2076年5月15日金曜日、10時03分、新所沢、倉庫。クライマックス
戸吹と槙田は倉庫に入った。トイレだけの廊下の先にある扉がいよいよ本番だ。鍵は生意気な電子錠だが戸吹にはマスターキーがある。大きな音で気づかれるのが難点は今回に限れば無視できる。どうせすでに気づいている。
手鏡で扉の先を除くが情報は取れない。車に木の板を立てかけただけの間に合わせだが蔀の役目には十分で、動くには右か左か、分かれるか並ぶか、余計な考えを浮かばせる。こちらは隊列を組めない烏合だが、悩むほどの間に合わせでもない。分担だ。戸吹は右、槙田は左。まともに動けるのは先頭の一人だけだから双頭で行けば二倍強い。
さてこそこそ歩きの戸吹の鼻先を弾丸が掠めた。あと半歩でも前に出ていたら頭が弾けていた。姿勢を下げたくなるが本能を抑えろ。堪えて足を動かすべきだ。目先の当たりやすさを飲んででも時間を縮めるほうが総合的には生き残りやすい。ただし音を立てずに。足音の間隔で歩幅が割れたら次は耳だ。
蔀から出て戸吹が見た姿は見知らぬ男なのでまずは挨拶がわりに三発、これが戸吹の対話の席だ。アーバンプローン、物陰から顔と銃だけを出して寝転がる姿勢が。遮蔽物が多く、奥の壁に傷をつけるだけに終わった。「霧島刃だな。恨みはないが私のために死んでもらう」答えを待たずに横から槙田が一発、やはり外して銃声よりやかましく物が落ちた。なぜだか霧島の顔色が変わった。「てめえら!」霧島の銃口が槙田を追う。戸吹からは見えない位置にそんなに重要な物があったらしく、槙田が走った先は薄っぺらな棚だがフルオートの音が止まった。慎重派か。けたたましい銃声の反響の終いには真鍮の薬莢が落ちるかわいい音が空間を飾った。
霧島の銃はF2000、大昔の発表から今日に至るまで未来的なフォルムと言われ続けた宇宙戦艦のような形のライフルだ。マガジンが後ろにあるので銃身の長さと取り回しを両立し、空薬莢を前へ捨てる機構により利き手を問わず、しかも隊列を組んだ味方の顔を焼かずに済むおまけつきだ。もちろん高級品で、自動車と同等の価格を小脇に抱えている。そんな品が流れ着くのだから曰くの質も量もきっと桁外れだ。
拳銃とライフルの違いは弾速にある。火薬と銃身だ。ライフル弾の明らかに大きい部分には火薬が詰まっている。拳銃弾より燃焼ガスが多く、すなわち弾頭を押す力が強い。慣性の法則により止まっている弾頭は止まり続けようとするから、動かす力をより強く、より長くかける。強さは火薬の量で、長さは銃身の長さで。
では弾速がどう関わるかといえば、骨に当たった時が最も目立つ。拳銃弾はあまり骨を貫けないが、ライフル弾なら骨を砕く。骨は血液の生産所であり、大きな動脈があり、砕ければ激しい出血が始まる。骨の破片が暴れ回って血管を切り刻むのだ。動脈の価値は静脈すべてに匹敵する。心臓を出た血液は動脈で末端まで運び、いくつもの静脈に分岐して帰ってくる。一周して心臓に戻るまでの時間は一分程度で、その一分で血が流れ出して戻ってこないから失血死は免れない。止血しても細菌感染による化膿が始まる。銃弾の菌は熱で死んだかもしれないが、貫通した勢いで周囲の空気や服の破片を吸い込んで奥まで菌が入り込む。普段なら菌の影響を気にせず生きられるのは、表皮による保護があり、些細な怪我なら体液が染み出して外へ押し出すおかげだ。それらを突破した菌はどうしようもない危険な存在になる。
よって戦いのルールはごく単純、最後まで無傷だった者が勝つ。射撃ゲームで見られる二発までセーフ現象は起こらない。ただし拳銃は手足に当てても直ちには終わらない。人数で勝るとも武器の性能で劣り、総合的にはトトカルチョが成り立つ程度の有利と言える。
銃弾は見えないが銃口なら見える。銃口ひとつにつき同時に狙えるのは一箇所までだ。狙う前に隠れれば勝機はある。姿を見せるのは決着の瞬間までおあずけだ。拳銃の優位は軽量さと小型さにある。相手の土俵には決して立たず、障害物を利用してモグラ叩きゲームのモグラ側になる。同時に狙えば片方がプレッシャーを与える間にもう片方がのんびり狙って当てられる。こうなると槙田のアンフィビアンは向かない状況だ。静音性による隠れやすさは威圧感の少なさでもある。当てる役は槙田で目立つ役が戸吹になる。事前に話したので槙田もわかっているはずだ。戸吹も今日はサイレンサーではなくストライクフェイスに付け替えている。
二人で撃つには位置関係が重要で、向かい合ったら同士討ちになりかねないし、逃れる方向が結局は同じだから余計なリスクが増えて利点なしになる。十字砲火という言葉はこのためにある。斜線に対して垂直に動くとき最も効率よく逃れられるが、側面から見たら止まっているのと同じ位置関係になるから、両方を回避するには効率の悪い斜めの動きが必要だ。具体的には一夜一夜に人見頃、1.41421356倍の負担を押し付ける。二人分だから1.98倍、的が二つなので3.96倍、発射数も二人分なので7.92倍、さらに守るべきこだわりがない分を加味して10倍の力で霧島を叩く。銃や人体の性能を割引いても勝機の方がずっと高い。
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
壁 棚 寝台 机 棚 シ
壁 棚 寝台 机 棚 ャ
窓 棚 霧島 棚 ッ
窓 A棚 棚 タ
壁 シ
壁 槙田 棚 棚 ャ 南
壁 B棚 車体 棚 ッ 側
窓 板板板板板板板板 タ
窓 戸吹 壁
壁調 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
壁理 壁壁壁洗面壁壁壁壁壁
壁台水道 扉廊下廊下廊下廊下扉
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
このような位置関係になった。槙田はA地点とB地点を往復する途中で霧島へ撃ち込んでは外し、戸吹は音でアピールする。建物の東側はお隣さんのガラクタ置き場なので安心して空振りできる。しかし南へ撃たせてはいけない。流れ弾がハルに当たるのが最悪だ。逆に南からの流れ弾もあり得るので戸吹は姿勢をあまり高くしたくない。壁が薄い建物なので銃弾をとても防げないがサイレンサーつきの音を抑える程度には防音性能がある。ハルの様子は全くわからない。今は一〇時八分。そろそろ外でもどんちゃん騒ぎが始まっているはずだ。
外が静かなおかげで槙田のアンフィビアンを戸吹なら聞き取れる。距離が近いし、具体的な音をよく覚えている。二発に続いて霧島の銃が続き、騒いでいる間の戸吹はほぼ安全圏なので顔を出して撃ってはすぐに引っ込む。霧島が何かに執心のようで戸吹への射撃が少ないが、うまく当たるまで続けられるかは微妙なところだ。戸吹の弾倉は十五発しかない。チャンバーに入れていた一発を足して、ここまでの繰り返しで七発を撃ったので残り九発だ。同じことをあと四回やったらマガジン交換、を二回が限度だ。槙田も弾倉を二つで合計二十発、とても長続きはしない。
対する霧島は贅沢に撃っているので潤沢な弾があるようだ。しかし身につけている様子がなく、いつの間にか次の弾倉を左手に握っていた。どこからか出したなら、どこから? 霧島の手が届く位置、しかも戸吹からは見えない位置。怪しいのは机だ。戸吹から見て手前側に箱が立っている。戸吹が箱を撃つと、何の箱だか知らないが頑丈では決してなく、一発目で箱が跳ねて、二発目で奥のマガジンを一つ破壊し、残りは勢い余って周囲に散らばった。「てめえ!」霧島の睨みに銃は応えず、マガジンを捨てて左手で入れ直す。もちろん隙だが上下に左右にと狙いを逸らして再び立ち上がる頃には装填済みで戸吹へ一発、引っ込まなかったら即死だった。
戦い慣れている。少なくとも銃器の扱いはチンピラ上がりとは違う。マガジン交換を手だけでできるのがその証拠だ。どの陣営からも疎まれて生きるのは伊達ではない。
拾う時間を使わせるだけでもひとまずの収穫とする。残る二十九発が切れる前に拾う隙ができるか、さもなくば拳で語る。どちらも戸吹の拳銃で勝てる局面になる。あとは追い込むまでの流れだ。
正しく準備して、正しく構えて、最後に引き金で意思を示したら、銃はいつでも望んだ通りの結果をくれる。戸吹の残りは七発、霧島の四分の一だ。まだ勝ち目がないので左手には交換の準備をして、この七発は下準備に使う。大きさは見られていて、おおよその頃合いを知られているから、六発で消耗させて、一発を捨てて、最後の十五発で勝負とする。槙田の残弾はわからない。音は反響も聞き漏らしもあるから手がかりには弱い。指の感覚で覚えている。なのでわかるのは自分の弾だけだ。
遮蔽物を中心として、3時の方向から9時の方向へ、4時の方向から10時の方向へ。カッティングパイの名の通りパイを切る軌道で撃ち込む。霧島に選択肢をプレゼントだ。射線から逃れる後じさりで逃げ場所を狭くするか、射線を横切って戸吹の先制を許すか。本日の主役にとって楽なほうを選ぶといい。結果は後じさりで、徐々にベッドのほうへずれていく。
五発目で槙田も意図に気付いて撃ち始めた。周期が近いので戸吹なら意図がわかる。今が交換どきだ。残った二発を捨て置き再装填して十五発にした。これで決める。槙田が交換している間に身を大きく出して。
戸吹が放った銃弾は霧島の左胸に当たった。二発も。霧島はベッドの奥へ転げ落ちる形になったが、銃口は前を向いている。咄嗟に戸吹は姿勢を下げて、頭があった位置を超音速の弾丸が通った。
冷や汗が出る。空気が動いて髪を撫でた。まだ終わっていない。ベッドの奥とは戸吹の死角だ。槙田からは丸見えでも、そちらへ撃つ音が聞こえる。霧島は長生きしている。
防弾シャツだ。衝撃までは防げないから肋骨は折れるし肝臓や横隔膜にはダメージが入るが心臓は動き続ける。拳銃弾では貫通しないから、戸吹の勝ち目は小さな頭に当てるか、さらに小さな手に当てるしかない。
「クソッ、どいつもこいつも使えねえ!」霧島の聞き苦しい悪態に紛れてカタカタとやけに軽い音が聞こえた。マガジンを拾われた。机から飛ばしたのとは違うはずだ。さては事前に少しずつ置いていたか。
失敗した。戸吹は銃口を見た。普段は決して見えない正面からの様子を見る者は、整備のときか、これから死ぬかだ。せめて悪あがきに一矢報いる。
戸吹の手元からは一発だけが飛んだ。ベッドを叩いて驚かすにとどまった。弾切れが遠いはずなのに二発目がでない。弾詰まりだ。弱々しい手首をやらかした。本来なら発射による反動を保持する力で抑えて上部だけが反動を受けて再装填するはずのところを、保持が弱かったために反動を吸収してしまう。半端な下げ方になり、弾を捨て切れずに引っかかる。
終わった。終わったんだ。戸吹の冒険はただ一瞬だけ手の力が抜けて終わったんだ。
が、戸吹の諦めに反してなぜか人生は続く。霧島は撃たずに横を向いた。
おかしいじゃないか。なぜ勝てる瞬間を見送ったのか。横に槙田がいるのは確かだが、銃を向けているのは戸吹だ。戸吹のほうが威力が高いのもわかっているはずだ。槙田はなんだかんだで、腰が引けた狙いで撃っている。腕も殺意も衝撃力も、あらゆる情報が危険なのは戸吹と示している。
霧島が撃って困る理由とは何か。周囲に目立つものを探してもせいぜい棚だけじゃないか。跳弾や貫通した先に何か、例えばトイレの壁の裏に大事な大事な金塊でも隠してあるなら話は早いが、誰がトイレを守るのか。
では棚の中身はどうなのか。見ると144分の1サイズの同じプラモデルが12体も、かっこいいポーズで並んでいる。まさかご自慢のコレクションが汚れたり壊れたりを嫌って? 戸吹には信じがたいが撃ち方が静かになったのは事実だ。
棚はともかく品をすぐ用意できるはずがない。アジトから持ち出したと考えるのが自然だ。高さも合うしヤニの痕跡もある。霧島にとってはいくつかの銃より優先するだけの価値があるらしい。
念のため他の棚も見たら中身は子供部屋じみた要塞だった。タバコ、ガム、缶ビール、学位授与証明書、ドローン、プラモデル、超人の消しゴム、ヒーローの武器、トミカ。二十代半ばで霧島に子供がいるとは思えない。にも関わらず持ち出すほど大切にしている。「離れろよ!」彼の叫びに反して銃口は黙っている。ベッドの陰からでは威勢も感じられない。小口径ライフルは貫通力を落としようがなく、当てても外しても棚はただでは済まない。
戸吹は確信した。棚の中身は霧島自身の成長の軌跡だ。手放すことを知らず、見たい物だけで頭がいっぱいの、自分の世界を維持するだけでいっぱいいっぱいの、未来がない、過去に囚われた男だ。大学に行くほど恵まれたお育ちでも使い方がこれでは恵んだ側も浮かばれない。
しかし難しいぞ。霧島くんの宝物を背にして戦えば理論上は有利だが、他ならぬ霧島自身が吹っ切れたら守護神は力を失う。命と共に全てを失うくらいなら棚ひとつを諦めるだろう。意を決する前に終わらせるべきだ。しかし、終わらせるために銃を構えれば意を決する助けになる。であれば結局、特に使いようもない情報だ。使えそうで使えない仕掛けほどメモリを無駄遣いするものはない。霧島の弱点に見えてその実は戸吹のミスを誘うばかりだ。
いや、逆に戸吹が意を決したらどうか。いつまでもモグラ叩きを続けてはいられないのだから、弱点が見えた今が一番の好機かもしれない。そうに違いない。今は好機だ。
戸吹は銃を目の前で構えて斜めに走った。見かけの位置を動かして距離も詰める。冷静に見たら距離は大して詰まらないが、この世はいつでも主観的で間接的で相対的だ。焦った当事者にとってはさらに。霧島が使う机やベッドが並ぶパーソナルスペースへ近づけば、空間を経由して位置関係を間接的に理解するから、肥大化した自己への急接近に感じられる。
昭和の時代なら男は度胸だったらしいが良くも悪くも男女平等の時代だ。男は度胸、女も度胸。女は愛嬌、男も愛嬌。誰もが最強を求めている。酔狂な夢想家を東京の頭でっかちが布教した。昨日今日の話ではない。机上でのみ美しく、多くの人間を苦況へ追い込み失敗する。共産主義と同じだ。多様さから目を背けた狭量さでは未来を築けない。多細胞生物がなぜ顕微鏡なしで見える巨体を持つかといえば単機能の細胞を集めた分業のおかげだ。人類は元より巨大な多細胞生物をさらに集めた巨人の細胞となって繁栄している。
度胸担当がいて、愛嬌担当がいて、笑う役がいて、泣く役がいて、貴族がいて、奴隷がいて、未来を紡ぐ者がいて、寿命限りの使い捨てがいる。誰もがスポットライトを求めたら誰も観客がいなくなる。社会には無能も必要だ。もちろんスポットライトを浴びる役も必要だ。重要なのは己を知ることだ。最強なのか、度胸だけか愛嬌だけか、あるいはそれらの引き立て役かを見誤ってはいけない。
戸吹は度胸を見せた。戸吹の左目、戸吹の右手、そして霧島の首を一直線に並べて歩いた。歩くだけでいい。人間は動くものを見たらどんな軌道で動くかを無意識に見つけてしまう。軌道の先に自分がいると気づいたら会話の始まりだ。銃口の奥に潜んだ鉛玉がはじめましてと語っている。目を合わせるにも強さが必要だ。霧島の銃口は少し逸れた方へ唾を吐いた。戸吹の全身どこにでも当たれば話は終わるが、わかっているはずだが、向きあい慣れないものは大の男でも恐れを抱く。引き立て役にも男女差はない。
霧島の防弾シャツを殴りつけた。倒れたが引き続き、戸吹は足元へ撃ち込み、外しても跳弾した軌道で背中へ脚へと殴りかかる。霧島の右手が留守になった様子を認めて足を早めた。
倒れた喉に銃を押し付けた。少しでも意に反した動きをしたら頭を吹き飛ばす。いまや霧島は戸吹の手の中にいる。
「遺言を聞いてやろう。お前の遺言は金になる」
霧島は息も絶え絶えに最後の悪態を垂れた。「いいのかよ、撃てないぜ?」ショートリコイル方式の銃は押し付けると気密が解けて撃てなくなる話だが、戸吹はもちろん、その弱点を防ぐストライクフェイスをつけている。肉叩きの鋭い凹凸をさらに強く押し付けて捻り、周囲の皮膚を渦の中心へ引き寄せる。「遺言は終わりか?」美学を貫けない者がヤクザで生きられるはずがない。子分どもはこんな奴を慕った間抜けになり、子分を間抜けにしたダメ親分として情けなく死に、かっこ悪さだけが残る。
往生際が悪い男だ。子分が助けに来るとでも思っているのか、戸吹を虫も殺せない箱入り娘と思っているのか、不敵な顔で戸吹の目を見ている。ついさっきの情けない瞬間を都合よく忘れているらしい。あまり続けると痛みが引いて再び動き出す。いつでもいいよう、引き金の外側に力を込めた。
戸吹が持つグロックには仕組みがある。引き金が二重になっていて、外側だけをどんなに強く引いても内側が引っかかる。暴発を防ぐ安全装置、トリガーセフティの外側だけを強く引いておき、撃ちたくなったら内側の引っ掛かりを解消する。この方法なら射撃へ移る隙が最小になる。人体の仕組みで力をいきなり強くはできない。加速時間がある。事前に力を込めて加速しておけば遅れなく撃てる。
「遺言なんかねえよ。俺の物は俺の物だ。お前に握られても俺の物だ」
今の戸吹は霧島の命を好きにできる。戸吹の耳には痛い響きだった。かつて育ての父親が戸吹を好きにできたのと同じく。微妙な変化を霧島が目ざとく突く。「どうした、トラウマでもあるのか? お嬢ちゃん」戸吹はもうひとつ気づいてしまった。見た目が有利でも霧島から目を離せない。少しでも意識がずれたらいつでも反撃される。かつての戸吹がそうしたのと同じく。戸吹は答えなければならない。自分ならどうするか。
「きっと、そうだな」芥川の語を借りて戸吹は結論を始めた。まずはトリガーセフティに触れた。霧島の頭蓋骨を撹拌してピンクと赤のスムージーに変えた。マッシュルーム型の鉛玉をアクセントに添えて栄養バランスもいい。傷口を熱風が香ばしく焼き上げた。硝煙の香りはいい女に似合う。遺言を聞くのはやめた。金になるのは事実だが今はもっといいものを得られる。
実感だ。戸吹は生を実感している。戸吹は殺した。だから生きる側になった。戸吹の自称父親は戸吹を殺さなかった。だから死ぬ側になった。霧島は戸吹を殺せなかった。だから死ぬ側になった。
「ふふ」笑みがこぼれた。「はははは」もういらない腕時計をポケットに入れた。腹の底から湧き上がってくる。「はははははははは!」こんな興奮は久しぶりだ。四年前の十二月二十五日だ。あたら屋の二階での暮らしに慣れてきた頃の朝だ。ものを得ていいのだ。戸吹も生きる側になっていいのだ。
異変を察知して槙田も顔を出した。その位置からでも霧島が明らかに死んでいる様子がわかるはずだ。目の前で高らかに笑う女も見えている。戸吹は行動と意識が遠く感じた。大喜びしている自分をどこか冷めた自分が観察している。まるで明晰夢だ。冷めた自分は次の行動を決められるが敢えて体が望むままに振る舞わせてやる。どうせ迎えはまだかかる。
「戸吹さん、一体どうしたんだ」「どうもしなかった! 槙田さんが見る私はどうだ、どう見える?」冷めた自分にとっては変な内容だが、言葉は一方通行だ。槙田の目が往復した。「お疲れ様に見える。休もうか」言葉を選ぶ甘い男だ。冷めた戸吹には、壊れたように見えると言いたげにみえた。肉体は全く気にせず満足げに頷くばかりだ。「やったんだ。私が」念のためライフルを蹴った。座りこむほど疲れてはいないが、歩き回るほど気持ちのいい景色でもない。最もましな天井を眺めた。
あらゆる生物は他者の死を求める。文明は死と石と金属でできている。死が石油を経由してペットボトルになり、食材を経由してハンバーグになり、靴になり、服になる。周囲を見て、死でも石でも金属でもない物をひとつでも見つけられるか。戸吹の周囲にはひとつもない。きっと誰の周囲にも。せいぜいまだ死んでいない生き物だけだ。世の中に蔓延る、死とは無縁を気取ったお坊ちゃんお嬢ちゃんとは、原産地から目を背けているにすぎない。食卓の牛は牧場で生きて屠殺場で死んだ。畜産業者に頼んで殺してもらった。豚も、鶏も、マグロも、芋も。名も知らぬ誰かが殺したおかげでスーパーマーケットへ届く。死を喰らい、死で着飾り、死に乗り、さらには新たな誕生さえ拒むコンクリートの町を求める。死が生を育む。大切な大切な死を得るには三つの手段がある。自分で殺すか、誰かに殺してもらうか、死ぬまで待つか。
つまるところ戸吹は、頼む側から請け負う側になった。他人任せのモラトリアムは終わりだ。お母さんに伝言を頼むのも、お父さんに期待するのも終わりだ。誰もがいつかは大人になる。いつかとは今だ。大人とは請け負う者だ。戸吹の身近には模範となる大人たちがいた。オーナーは調達し、店長は場を作り、槙田は営業をかけた。助け合い、同時に奪い合って生きている。調達した分だけ誰かが調達できず、誰かが場所を使えず、誰かが請け負えずにモラトリアムか失業者に甘んじる。
戸吹も同じく、これから責任持って請け負う。では何を請け負うかといえば、格別どうしようという当てもないが、この世はなにかと探せば見つかるものである。現にあたら屋も、適当なアルバイト先をと探して見つけたものだ。きっと次もうまくいく。まずは閉店だ。これまでの暮らしを閉店する。
戸吹の行方は、誰も知らな「いやいやいや、待ちなよやばたん」スマホが勝手に喋り始めた。十六女警視正どのだ。「はるるんが行くから話はその後ね。いやー、まいったまいった。甘く見てたよ。本当にやってくれちゃうとはね」




