9話 魔法学部・初等生活魔法の講義
アイギス王立騎士学園、魔法学部・初等生活魔法実習室。
そこは、荒事の絶えないこの学園において、唯一と言っていいほど平和が形を成したような場所だった。
(……ククク。完璧だ。完璧すぎるぜ、この環境は……!)
俺、ユウ・エゴ・イーストは、片隅にある初等生活魔法実習室の硬い椅子に深く腰掛け、満足げに鼻を鳴らした。
ここには、剣術学部のようなむさ苦しい野郎どもの咆哮も、高位魔術学部の派手な爆発音も届かない。
窓の外から聞こえるのは、のどかな小鳥のさえずりと、遠くで訓練に励む馬鹿ども(騎士候補生)の微かな足音だけだ。
(ククク……最高だぜ。全学部視察権、マジで神アイテムじゃねーか。一番楽そうなクラスで堂々と寝てられるんだからな!)
教壇に立つのは、分厚い瓶底眼鏡をかけた、いかにも真面目だけが取り柄です、といった風貌の老魔導師――バルガス先生だ。
彼は手元の古い羊皮紙をめくりながら、枯れ木のような声で講義を始めた。
「えー、本日学ぶのは、最も基本的な生活魔法……ライトアップ(照明)です。皆さんは騎士を目指す身ですが、暗いダンジョンや夜間の行軍において、この魔法は命を繋ぐ灯火となります。派手さはありませんが、心を込めて……」
(命を繋ぐだぁ? 寝言は寝て言えよ。こんなん、マッチ一本あれば済む話だろ。……まぁ、いい。この退屈な呪文を子守唄にして、俺は極上の二度寝を……)
「……さて。そこで、本日は特別なゲストが参加しています。特待生、ユウ・エゴ・イースト君だ」
「……あぁん?」
突然名前を呼ばれ、俺の意識が浮上する。教室中の視線が一斉に俺に突き刺さった。
「ほう……あの第三王女を命がけで守ったという噂のやつか……」
「報奨で一般学生から特待生に取り上げてもらったそうよ」
「その特待生がこの初歩クラスになんの用なんだ……」
「もっと上位の攻撃魔術を受ければいいのに。……やっぱり、基礎を大事にしてるのかしら」
バルガス先生が、感銘を受けたように眼鏡の奥を光らせた。
「ユウ君。特待生になった君が、あえて原点である生活魔法に立ち返る……その姿勢、実に素晴らしい。他の生徒も見習いなさい。魔法とは、心。基礎こそが、すべての奥義に通じる門なのです」
(いや、先公!ただのサボりだって。……あー、ダメだ。これ変に期待されてるな。まず基礎で俺が学ぶことなんてねぇよ。以前のコイツ「俺」の記憶もあるしな……)
俺は渋々立ち上がり、周囲に聞こえるように建前をカオスコンバーターへと流し込んだ。
「――バルガス先生。俺は本気です。基礎こそ俺が学びたいこと。今一度、一から学び直したいのです。……この小さな灯火の中に、真理があるかもしれないと信じて」
「おおお……! なんという謙虚な志だ!」
「さすがユウ様……言うことが哲学的すぎる……!」
満足げな顔の先公バルガス。
「えー、大変よろしい!では、本日は初歩中の初歩……『ライトアップ(照明)』の魔法について実習を行っていきます。皆さんも私の見本通りやってみてください。」
先生が指先を鳴らすと、ポッと小さな光の球が空中に浮かんだ。
焚き火の火の粉を大きくしたような、目に優しい暖色系の光だ。
(以前のコイツ「俺」の記憶だと俺は簡単な初歩魔法は使えるみたいだな……使い方も……なんとなく分かるぜ)
「魔力を光に変換し、空中に固定する。明るさや範囲は流し込む魔力量で調整できますが、基本的には周囲を優しく照らす程度にとどめるのが、魔力節約のコツですよ。さあ、皆さんも」
周囲の生徒たちが「えいっ」「出ろー」と、気の抜けた声を上げながら光を灯し始める。
ふわふわと頼りなく浮かぶ光の玉を見て、俺は鼻で笑った。
(ハッ、温い。温すぎるぜ。周囲を優しく照らす? 魔力の節約?……馬鹿か。そんなもんに魔力を使うくらいなら、最初から松明でも持ってりゃいいんだよ……ん?)
俺は、指示通りに魔力を指先に集めようとして、ふと思いついた。
(待てよ。このライトアップ。説明じゃ周囲を優しく照らすとか言ってたが……これ、魔力を一点に集中させて、一瞬で全解放したらどうなる?)
前世の知識が、俺の脳内で悪知恵を叩き出す。
俺はさっそく実験を開始した。
他の生徒たちが、ぽわんと掌の上に淡い光を浮かべて「わー、綺麗ー」とか抜かしている中、俺は指先の数センチ前だけに全神経を集中させる。
(……範囲はいらねぇ。全出力を一点に、瞬発力全振りだ。いくぜ……)
ピカッッッッッッッッッ!!!!!!
一瞬だけ、溶接の火花のような、青白く、凶悪なまでの閃光が俺の指先に爆ぜた。
「うおっ、眩しっ!?」
「今、雷でも落ちた?」
ピカッ! と、空気を裂くような鋭い音がした。
俺の指先から、一瞬だけ、太陽の欠片を切り取ったような強烈な閃光が放たれる。
「ぐわっ……!? 今、何が起きた!?」
「ま、眩しい! 目が、目がぁぁ!」
周囲の生徒たちが目を押さえてうずくまる。
バルガス先生も、眼鏡を外してしきりに瞬きを繰り返していた。
「ユ、ユウ君……今の、光の密度は一体……?」
(あ、できた。……ちっ、だが光量の調整が意外とムズいな。これじゃ俺の目もやられちまう。もっと角度を限定して、自分には当たらないように……)
理想は一瞬で輝度を限界まで高めることだ。
無言で、再び指先の光を絞り込み始めた。何度も、何度も。
指先をチカチカと明滅させていると、いつの間にか先生が俺の前に立っていた。
やべっ、怒られるか……?
「……素晴らしい。実に素晴らしいですよ、ユウ君」
(……へ?)
先生は、眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせ、感動したように俺の手元を見つめていた。
「無暗に範囲を広げて無駄な魔力を使うのではなく、光の指向性と輝度を限界まで高めることに集中している。これは、魔力の精密な収束を鍛えるための、極めて高度な基礎訓練です」
「……あ、いや。自分はただ……」
「分かっています。派手な攻撃魔法に頼らず、まずはこうした基礎の制御力を完璧にしようというのでしょう? 地味な生活魔法の中に、魔法の本質を見出そうとするそのストイックな姿勢……ユウ君。君の評価を上げさせてもらうよ」
(先公の評価なんざどうでもよいが……よし、いい感じに目潰しの角度が分かってきたぜ。しっしっし、魔法って便利じゃねーか!)
こうして、俺のはじめての講義は、先生の目にはストイックな生徒として映り、一時間目の授業は幕を閉じた。
一時間目の講義が終わり、俺は机に突っ伏して深く息を吐いた。
(ふぅ……魔力を使うのは意外と疲れるな。だが、これで手札が一枚増えたな。……さて、次の時間まで一眠り……)
と、その直後だった。
バァァァン!!
実習室の扉が、壊れんばかりの勢いで蹴り開けられた。
「いたわね! ユウ・エゴ・イースト!」
そこに立っていたのは、輝く金髪をなびかせ、威風堂々と胸を張る第三王女――筋肉……アシュリーだった。




