第5話「子どもたちの朝、ふたりの時間そして子供達の入学準備」
午前5時45分――
ルクシア本社の最上階、社長室兼自宅の一室では、
まだ空が青く染まりきらぬ時間に、ひとつ、またひとつと命の気配が芽吹いていた。
「……んー……ぱぱ……」
「……こっちは“まま”って言ったよ」
ダブルベッドの両端にあるベビーベッドから、交互に聞こえる小さな寝言。
陽翔は片目を開けてすぐ、いつものように“育児スイッチ”をオンにした。
「はい、おはよう陽葵、おはよう悠翔。ミルクはただいま準備中です」
ふわふわの髪が跳ねたままの双子をひょいっと抱え上げると、隣で起き上がった結衣がすでに哺乳瓶を温め始めていた。
「……昨日の夜、理沙から電話があったわ」
「……うん、聞こえてた。ありがとうって、言ってたね」
「ええ。……誰にも“親であること”を明かせない。そんな私を支えるって、
理沙も、本当に……強くなったわ」
「結衣だって、十分強いよ。だけど“弱さを自覚してる強さ”を持ってる」
ふたりは笑い合う。
赤子の泣き声も、くすぐるような笑いも、
いまやこの家の“生活音”の一部になっていた。
***
朝の6時半。
リビングでは、トーストの香ばしい香りと、卵焼きをつつく音が響いていた。
「しょーた、パンたべるー!」
「れんしょー、ジュースこぼしたぁ!」
「こずえ、バナナばっかり食べてるでしょ」
三つ子――翔太・廉翔・梢。
6歳になったばかりの彼らは、今春から小学校に上がる予定だ。
けれど、その朝は、まだまだ“親に甘えたい盛り”の小さな暴れん坊たちだった。
「……まさか、三つ子に双子って。
陽翔、育児のスキル、どこまで進化していくのかしら」
「もう転職した方がいい気がしてきたよ。“在宅マネージャー兼育児の鬼”って名刺、作る?」
結衣が紅茶を吹きそうになりながら笑う。
陽翔の仕事は、今や完全に“自宅主軸”で行われている。
デザイン関連の監修・商品開発の一部・在宅会議の補佐。
必要があれば、企画部や開発部へオンラインで直接指示を飛ばすが、
現場に出ることはもう、ほとんどない。
一方、結衣もまた“隠れ社長”として在宅で稼働しているが、
社外・社内の誰もがそれを表向きには知らない。
「ねえ、陽翔」
「ん?」
「……私、たまに不安になるの。
この子たちのために“すべてを伏せて”生きてるけど、
それが本当に正しいのかな、って」
陽翔は、ジュースを吹きこぼした廉翔の口元を拭きながら言った。
「正しいかどうかは分からない。けど――
“正しさよりも大事なこと”を、俺たちは選んでると思うよ」
「……正しさよりも、大事なこと」
「“母であること”を笑われない未来。
“秘密のままでも守れる誇り”。
それを、この子たちに残せたら――きっと、正解だったって思える」
その言葉に、結衣は目を細め、軽くうなずいた。
「……ありがとう、陽翔。あなたが“夫”で、本当に良かった」
「それを言うなら、俺は“あなたが社長で、母で、妻”でいてくれて良かったよ」
ふたりの間に、静かで、やさしい沈黙が流れる。
その後ろで、翔太が言った。
「ママー! はやくしないと、ランドセル取り合いになるよー!」
「それは早すぎる」
陽翔と結衣は同時に突っ込みを入れながら、また笑った。
***
この家は、社長室であり、育児の戦場であり、
ふたりが“親”でいられる、たったひとつの拠点だった。
世間に背を向けても、家族にだけは顔を向けられるように。
秘密を守る日々は、今日も穏やかに進んでいく。
***
朝食がひと段落すると、リビングのローテーブルに大きな封筒が三つ、トン、と置かれた。
「はい、お知らせ来ました。“入学説明会資料一式”。三名様分」
陽翔が読み上げながら、おかしそうに笑う。
「……あぁ、三つ子って、こういうとき、書類も三倍なんだ……」
「名前記入も、住所記入も、保護者名も三倍よ。
しかも“保護者欄”が“父母どちらか”って項目しかないの。どっちに書くか問題、勃発よ」
結衣が資料を開いて、ぴらりと見せると、確かにそこには
「保護者氏名(父母いずれか)」
とだけ書かれていた。
「うーん……俺が書こうか?」
「でも、“氷室”の名字じゃないのよね、あなた。職場では旧姓使ってるし、
書いたら“誰?”ってなるかも」
「じゃあ、結衣が書いて“父親は仕事の都合で伏せています”ってする?」
「それだと逆に不審がられそうね……」
ふたりはテーブルを挟んで、頭を抱える。
「いっそ、“保護者:氷室結衣・瀬川陽翔(共に在宅勤務中)”って書きたいくらいよ」
「“共に在宅勤務中”ってなんだ(笑)」
「もう肩書も正体も、書けないことだらけね。
私、“社長”じゃなくて、“在宅の人”って書くしかないのかしら」
「それ、完全に“怪しい職業”って思われるやつだ」
三つ子たちは、自分のランドセルに名前シールを貼りながらきゃっきゃと笑っていた。
「ママー! これ、赤にした! しょうたのだからね!」
「こっちはれんしょーの! ぶどういろ!!」
「こずえは黄色ーっ!!」
――世界でたった一つの“特別なランドセル”。
色も中身も、まるでその子自身のように違っていて、愛おしい。
「……ねえ、陽翔。
私、やっぱり入学式、行きたいな」
「うん。行こう。名前も肩書も隠したままで構わない。
ただの“母親”と“父親”として、立ってればいいんだ」
「ありがとう。……あなたと一緒に立てるなら、それでいい」
ふたりの視線が重なり、また静かに、笑みが交わされた。
まだまだ課題は山積み。
だけど、“家族として進む”ための準備は、確かに始まっていた。
***
週末。
自宅リビングに設けられた仮デスクの上には、A4の案内状がぺらりと一枚、置かれていた。
《〇〇区立第一小学校・新入生保護者顔合わせ会のご案内》
日時:今週土曜日 午前10時〜
場所:第一小学校 体育館
※できる限り、保護者様そろってのご参加をお願いいたします
「……え、ふたりで参加!?」
陽翔が思わず声を上げる。
「いやいやいや、名前出さないって決めたのに!?」
「どうする? 子ども3人いて、どっちかだけって言われたら、
“父親は不在です”って顔するのも、それはそれでアレよね……」
結衣もやや混乱気味に案内状を握りしめた。
「待って。これ、体育館に“他の保護者が集まる”んでしょ?
みんなスーツとか着て“はじめまして〜”って言うのよ?
そんな中で、氷室結衣と瀬川陽翔が揃って立ってたら……!」
「即バレる。社内で顔見知りの人が保護者だったら、100%アウト」
「じゃあ、どうするのよ……!」
数秒の沈黙。
陽翔がぽつりと口にした。
「……変装、する?」
「いやそれ、逆に怪しいから」
「じゃあ、俺ひとりで行くよ。
“母は体調不良です”って言えばいい。
育児の片腕として、俺が全部抱えるよ」
「……それはそれで、私が不在だって噂が出る……」
結衣は深く頭を抱えたあと、決意した。
「……よし、行こう。
ただし、“限界までナチュラルな一般人風”で。
ヒールもスーツもNG。
オーラを殺して、“ただの育児中の母親”で参加するわ」
「了解、“ただの父親”モードで行くよ」
***
土曜日・午前10時。
〇〇区立第一小学校 体育館。
「……あの、これ受付ですか?」
「はい、ご記入をどうぞ。あら、お子さん三人……」
「はい、三つ子です。翔太、廉翔、梢です。よろしくお願いします」
「おぉ〜、ご兄弟が多いと賑やかですねえ」
「(ご兄弟……まあ……そういうことに)」
体育館にはすでに、20組以上の保護者たちが集まっていた。
ちらほらとスーツ姿の父親、ブランドバッグを持った母親。
そして目立つことなく、その片隅に座る、
地味色カーディガンの氷室結衣と、シンプルなジャケットの陽翔。
完璧に“空気のような”夫婦だった。
――はずだった。
「……あれ……えっ? あの人……氷室……さん?」
「……嘘……あの隣って、瀬川陽翔……!?」
(やばい!)
瞬間的に空気がざわつき始める。
同じ校区に住む“社員の奥さん”らしき女性が、どこかで噂を聞いたことがあるらしく、隣の保護者と小声で話し出す。
「え、あのルクシアの……!? てか、社長じゃなかった? 今引退してるって本当なの?」
「それよりも、結婚してたの!? 相手って瀬川さんっていう……デザイナーの?」
(終わった……)
結衣が目を伏せた瞬間――
「うちの翔太くん、さっきからカッコいいって人気ですよ〜!」
陽翔の絶妙すぎる“親バカ変化球”が炸裂した。
「えっ、そうなんですか? いや〜、イケメンなんですよね〜、わが家の息子」
「長男ですか?」
「いえ、翔太・廉翔・梢、三つ子なんですよ。大変ですけど、楽しいですよ〜」
「あら〜! 三つ子!? すごい!!」
(……陽翔、やるわね)
結衣は静かに拍手を送った。
こうして、“顔合わせバレ騒動”は、
“圧倒的育児感で押し切る”という力技で、なんとか幕を引いたのだった。
***
帰り道。
「……あの即興トーク、すごかったわね」
「“バレそうになったら親バカで押し切れ”って、昔誰かが言ってた」
「誰よそれ」
「……理沙」
ふたりは思わず笑い合う。
秘密はまだ守られている。
けれどその裏には、言葉にできないほどの“機転”と“努力”と、
何より――“夫婦の連携”があった。
(つづく)
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