ch.3 海鳥と銃声
2007年12月22日
午前9時30分
「やあ、かわいいね。どこのお店で働いてるの? 今度のイブ、一緒に過ごさない?」
甲板の上でプラスチックの椅子に座る海軍士官に話しかけられたシェリは、事務的に笑いながら答えた。
「ごめんなさい」
そう言うと、ジョッキを乗せたトレイを慎重に次のテーブルへと運ぶ。
微妙に揺れる甲板に不快感を覚えながらアイスティーを配り終えたシェリは、トレイを木の箱に押し込んだ。
カーキの制服を着た士官たちは、シェリたちの運んだアイスティーを飲みながら、大げさな身振りを交えて談笑している。
シェリはその様子を見るとはなしに見ると、タラップ付近に集まっている来客たちに混ざった。
分厚いコットンの半袖シャツとジーパンの上に水色のエプロンを付けたシェリ。
彼女が髪を留めていたヘアカフスを直すと、その隣に同じエプロンを着けたミニスカートの女が立った。
身長150センチちょっとのシェリより背は高く、それでいてシェリよりも細い足を惜しげもなく見せている。
「全部終わった? シェリ」
「終わったよ」
エミリはうなじにかかる黒髪が風で乱れるのを気にしながら、シェリを見た。
「さっき口説かれてなかった?」
「ちょっとだけね」
「これって、ここで偉い人の話聞かないといけないの? 日焼けしちゃうじゃん」
「まあ仕事だから」
そこへスピーカー越しの控えめな声が、甲板に響き渡った。
「えー、君たちの嫌いな艦長、ジョーンズ中佐だ。ああ、立たなくていい。飲みながらでいいから、軽く言いたいことだけ言わせてくれ」
士官たちの笑い声が聞こえてくる。
二人は容赦ない日差しを浴びながら、船首の方に立った中佐を見た。
「今日は地元のカフェの皆さんがこの国の名物キロティーを振る舞ってくれた。日本語が公用語のイーシアと我が国の間には……」
話に集中できないシェリは艦長を見ながら、思い出していた。
彼女を落ち込ませる出来事が起きたのは、三週間前のことだった。
「許して欲しいなんて思ってない!」
音を立ててフローリングに両膝をついたシェリは叫び疲れると、そのまま床に突っ伏して泣き続けた。
「君がどんなことをしたって――」
「だからそれが嫌いだって言ってんの!」
自分の金切り声が、耳の中でキンキンする。
「もういい……。あたしたち別れた方がいいんだよ……」
喉から戻りそうな何かを飲み込み、ぐっと言葉に詰まる。
「シェリ……」
そっと肩に置かれた手を振り払ってうずくまる。
せっかく触れてくれたのに、振り払ったその手。
その感触を思い出すうち、シェリの目に映る青い海と空が輝きを失う……。
「あ……」
上で何かがサッと飛ぶのを感じて、現実に戻った。
顔を上げると、魚を咥えたアジサシがシェリの上を港の方へ飛んで行った。
頭のうしろに黒いハチマキのような線が入ったその鳥は、港の向こうのスラム街へ姿を消した。
ぼんやりとするシェリに、退屈そうなエミリが肩をぶつけて絡んでくる。
「ねえシェリって何歳だっけ?」
「二十七だけど?」
「うっそ? 全然見えない!」
「ナンバーワンキャバ嬢のあんたの方が、ずっとかわいいよ」
「『元』キャバ嬢だって」
言いながらエミリが片膝を上げると、その足に士官数名の視線が集まる。
エミリはスカートの裾を引き下げながら、話を続ける。
「結婚して五年。クオリ君、寄宿幼稚園に入れたんだって?」
「うん。その方が普通の大人になってくれるかなって。あたしたち、普通じゃないから」
エミリがスカートの前に手を置くと、白い足の上で黒とピンクの派手なネイルが目を引いた。
「旦那とは仲直りできた?」
「話そうとすると過呼吸になっちゃう」
「そもそも何があったの?」
「地元の知り合いに無理矢理キスされた」
エミリが厳しい目で聞く。
「浮気したの?」
「しないよ。ただ、断り方考えてたらいきなり……」
「旦那は怒った?」
シェリは顔を振って否定する。
「許してくれた。でも我慢してる感じが……頭に来ちゃって……」
エミリは片方の眉を大げさに上げて聞き終えると、笑った。
「中坊みたいなこじらせ方して、元用心棒が聞いて呆れるね」
キレ顔で睨むシェリの頬に手を当て、エミリは言った。
「そんな時はこう頼めばいいの」
「え?」
「あたしなら言うよ。『お願い! こんなひどいあたしを襲って!』って!」
「はぁ……?」
ウインクするエミリに呆然とする。
そのシェリの向こうを、食事を終えたアジサシが横切って行った。
次の瞬間、フルオートの散発的な銃声が響き渡り、アジサシがバタバタと羽ばたいて向きを変えた。
シェリとエミリがそろって周囲を見回すと、船室から、十名ほどの武装した士官が飛び出して来た。
武装した士官たちが、アイスティーを飲んでいた士官たちに銃を向けると、エミリが悲鳴を上げて手すりにしがみ付いた。
シェリはエミリを守るように片手を延ばしつつ、状況を観察する。
銃を向けられていた士官の一人が立ち上がって言った。
「何考えてんだ!? お前いったい――」
銃声がして、立ち上がった士官の胸に赤い穴がいくつも開いた。
士官は一瞬壁にもたれてから崩れ落ち、前屈をするような姿勢で動かなくなった。
「これほんとに起きてんの!?」
「落ち着いて、エミリ」
シェリはエミリの前に手をかざして落ち着けながら、船首の方を確かめた。
艦長が二人の男に捕らえられ、左右両側から首に銃を突きつけられていた。
座っている士官たちに銃を向けているのが八人、艦長を捕らえているのが二人、そして中央に一人。
全員、軍人たちと同じ服装で顔は隠していない。
中央に立っていたリーダーらしき男が、艦長のそばに近づいて何かを言った。
艦長は銃を突きつけられたまま、座っている士官たちに命令した。
「離艦しろ」
士官らは艦長に困惑の目を向けるが、艦長は落ち着いて繰り返した。
「無駄死にするな。上陸するんだ」
「早くしろ!」
リーダーらしき男が、艦長の顔を銃の台尻で殴った。
「何しやがる!」
抗議した士官が即座に撃たれ、硬い甲板に砂袋が落ちるような音がする。
動かなくなった二人目の犠牲者。
それを見たエミリが口を手で覆う。
「バカ」
呟くシェリを、エミリがおびえた顔で振り返る。
結局、艦長以外の乗員たちは全員両手を上げ、タラップへと歩き始めた。
仲間二人の亡骸も運び出すことを許された士官たちは、慎重にゆっくりとタラップを降りていく。
誰も何も話さない。
漁船のエンジン音と海鳥の声。
甲板に二つの血だまりが残る。
武装メンバーの一人が、タラップのそばにいるシェリたち民間人に言った。
「お前らもさっさと降りろ」
エミリがひいぃっと息を吸った。
それを見た一人のカジュアルスタイルの男が、エミリとシェリに言う。
「シェリちゃん、エミリちゃん、降りよう。大丈夫、助かるから」
「店長……」
エミリは半分泣きながら、タラップの列に並んだ。
シェリはこっそり木箱から何かを取ると、エミリの後ろに並んだ。
後部甲板から一人の武装メンバーが艦首の方に歩いてきたが、エミリに気がつくと、急に立ち止まった。
そして品定めするように上から下まで眺めると、エミリのスカートに手を突っ込み、怯えるエミリの顔を見て笑いながら、さらに奥へと手を入れようとした。
エミリはすくみ上がって固まった。
だが、それは一瞬で終わった。
シェリは男の背後に素早く近寄ると、脇腹にペティナイフを突き刺した。
それほど深くは刺さらなかったが、エミリを逃がすには十分だった。
「ぐあぁ!」
男は銃を掴もうとするが、シェリがナイフをさらに深く差し込むと、両手で脇腹を押さえて倒れた。
その隙にシェリは男の腰から、コンバットナイフを抜いて立ち上がる。
「おい!」
異変に気付いた艦首のメンバー2名がシェリの方へ向かってくると、シェリは異常とも言える速さで後部甲板へと走り始めた。




