第3章 泥中の蓮、そして黎明の光
【魂の叫びと「背後霊」の猛省】
「……お父さん、私、本当に未熟でした。あんなに憤って、霊界のルールを壊そうとするなんて」
幽界の静寂の中で、千夜子は深く頭を垂れた。
進が定時制高校の寮で理不尽な「飯食い」の儀式に耐え、泥を啜るような生活を送っていた時、彼女は守護霊になりたいという私欲と母としての情愛を混同していた。
だが、進は教頭先生の言葉に救われた。
「君は僕の大学の後輩になるんだ」
その言葉が、進を勇気づけた。
山崎先生という「隠れた賢者」の導きもあった。
山崎先生は、ボランティアで、付きっきりで進の英語を見てくれた。
しかも、凄い語学力だった。
「見ろ、千夜子。進の目の輝きを」
治郎蔵が呟く。
千夜子は、進がこの定時制高校に入って、本当に良かったと思った。
自分の力で運命を切り拓く進。
その姿を見て、千夜子は悟った。
「進は、私が守らなくても、もう自分の中に『守護神』を宿しているのね」
治郎蔵は優しく微笑んだ。
「そうだ、千夜子。お前がすべきことは、あの子の代わりに戦うことではない。あの子が戦う理由そのものに、愛という光を当て続けることなのだよ」
【全国大会、そして届いた「祈り」の形】
進が生活体験発表会で、自らの過去をさらけ出すと決めた時、千夜子は震えた。
母の死、親戚の裏切り、形見の本が捨てられたこと——。
それを皆の前で語るという。
それは千夜子にとっても、魂に刻まれた生々しい傷跡だった。
「進、言わないで……そんな惨めな思い、もう思い出さなくていいのよ」
つい口走る千夜子を、指導霊が厳しく諫める。
「黙って聞きなさい、千夜子。これはあの子の『魂の洗濯』です。言葉にすることで、彼は過去の奴隷であることを卒業し、自らの人生の語り部になるのです」
進の演説は、多くの人の心を打った。
校内の大会で優勝し、府大会も優勝。
全国大会に出場した。
進の声が全国に響き、見知らぬ人々から支援金が届いたとき、千夜子は号泣した。
かつて自分が朝から晩まで働き、指の節が太くなるまで労働しても手に入らなかった「世間の善意」。
それが、進の「真実」に呼応して集まってくる。
♪人として 人に出会い……
海援隊の「人として」の旋律が流れる。
千夜子は贈られた現金封筒の山に手をかざした。
(このお金は、ただの紙切れじゃない。進、これはあなたの勇気を信じた人たちの『祈り』なのね。一円一円に宿る温もりを、忘れないで)
【『トップガン』の影と、補助霊の動揺】
でも、やっぱり進は進だ。
そう母・千夜子は感じてしまった。
それは、寮の仲間たちと一緒に進は、「トップガン」という映画を観た時だ。
興奮する若者たちの中で、一人冷徹に時代の暗雲を感じ取る進がいた。
トム・クルーズ演じる若き軍人が、女教官と恋に落ちるストーリー。
寮友達は、映画のテーマ曲をテープに録音し、熱狂した。
しかし、進は冷静だった。
「アメリカでは、たぶん志願兵が増える。戦争をやりやすくなる。近いうちにアメリカは大きな戦争をする」
そう呟く進を見て、母・千夜子は誇らしさと共に、深い悲しみを感じた。
「この子は……どうしてこんなに早く大人にならなければならなかったの。みんなと同じように、かっこいい戦闘機に憧れるだけでいられたら、どんなに楽だったか」
千夜子は進の横顔を、切なく見つめた。
(進、あなたは『予感』してしまうのね。正論が通じない世界の冷たさを。でもね、その悲しみを知る眼差しこそが、いつか法を扱うあなたの最大の武器になるのよ)
治郎蔵が言う。
「それが、彼の武器だ。人は皆、個性を持ってこの世に生まれ、それをどう活かして人を愛せるかが試されている。全て魂の学びなのだ」
【運命の入試、そして五回目の命日】
黎明大学入試当日。
それは、なんと千夜子の5回目の命日だった。
試験会場の門をくぐる進の背中。
そこに、千夜子は自分の持てるすべての光を注ごうとした。
「進、今日はお母さんの大切な日よ。あなたの合格というプレゼントが欲しくて、私はずっとここにいたの」
だが、配られた問題は無慈悲なほど難解だった。
進が絶望し、校門を逃げるように飛び出したとき、千夜子は狂おしいほど心が動いた。
「お父さん! どうして! 今日は私の命日なのよ! あんなに頑張った進に、どうして微笑んでくれないの!」
千夜子の慟哭が、霊界の霧を乱す。
「千夜子、落ち着け。まだ、結果は分からんだろう」
その後、千夜子は西畿大学2部に進が合格したと知った。
進がオフコースの『思いのままに』を聴きながら、暗い車窓に自分を映したとき、千夜子はその窓ガラス越しに、進の頬をそっと撫でた。
(行かせてあげる。あなたの行く道を、もう誰にも止めさせない。お母さんも、もうあなたを『可哀想な子』として見るのをやめるわ)
【鉄板越しの真実、そして守護霊への一歩】
「黎明大学、合格」
その文字が進の目に飛び込んだ瞬間、千夜子の周囲には、この5年間に進に関わったすべての善意の霊たちの祝福が満ち溢れた。
そして、焼き肉屋の煙の中。友人が語った「願掛け」の真実。
進が、自分の打算や「換金生活」を恥じ、友の無償の愛に涙したとき、千夜子の背後で導き霊が静かに告げた。
「見なさい、千夜子。進は今日、知識だけでなく、『信じる力』を手に入れた。自分は一人で戦っているのではないと知った時、人は真の意味で他者のために法を振るうことができるようになる」
進が泣きながら肉を頬張る姿を見つめ、千夜子は静かに手を合わせた。
そこにはもう、現世への未練や、「なぜ私だけが」という恨み言は微塵もなかった。
「進。おめでとう。あなたは私の誇りよ。そして……私をここまで連れてきてくれて、ありがとう」
千夜子の魂が、一段階、強く、澄んだ光を放った。
それでもまだ、「守護霊」への道は遠い。
それは、千夜子も分かっていた。
だが、進が黎明大学法学部の重い扉を開けるとき、千夜子は、もう感情に振り回されるたたの未熟な補助霊から、彼の宿命を静かに、そして力強く支える「不変の愛」へと、変わり始める第一歩を掴みかけていた。




