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第3章 母・智代との再会

【霧の彼方から現れた影】


 父・治郎蔵が金色の粒子となって至高の彼方へと旅立ち、その余韻が白銀の神殿に漂うなか、神界の境界線にうっすらと紫の霧が立ち込め始めた。

 主護霊としての純白の光を纏う千夜子の前に、一人の女性の霊体が静かに姿を現す。


 それは、昭和48年に61歳でこの世を去った、千夜子の母・智代ともよであった。


 生前の智代は、お世辞にも立派な母親とは言えなかった。

金銭にだらしなく、夫である治郎蔵が必死に築き上げた伊崎家の財産をことごとく食い潰し、家族を翻弄し続けた。

 千夜子はかつて、幽界ゆうかいの記録の部屋で、智代の哀しい過去を見せられた日のことを思い出していた。

 若き日の智代は、進んだ女学校で歴史や文学は得意だが裁縫や家事がうまくこなせなかった。

 そのため周囲から「生意気な女だ」と激しく罵られ、最後には家計の逼迫を理由に不本意な退学を余儀なくされていた。

 その時の劣等感と絶望が、彼女の金銭感覚や歪んだ自己顕示欲へと繋がっていたのだ。


 その事実を知って以来、千夜子の胸からかつてのような激しい憎しみは消え去っていた。

 しかし、いざ本人の霊体を目の前にすると、主護霊となった今でも、どう言葉をかけ、どう接したら良いのか分からず、戸惑いのなかに立ち尽くした。


【幽界の鏡が明かす、隠された記憶】


 智代の霊体は、生前の派手で刺々しい雰囲気は完全に削ぎ落とされ、幽界での長い反省と学びを経て、驚くほど静かで、どこか気恥ずかしそうな波動を放っていた。


「千夜子……。立派な主護霊になったね」

 智代はすま低く、震える声で語り始めた。

 その瞳には、かつて現世では決して見せることのなかった、深い悔恨の念が滲んでいた。


「私はね、幽界の鏡で、あの人のことも、あんたたちのことも、すべて見てきたんだよ……」


 智代の口から語られたのは、千夜子さえも知らなかった、あるいは忘れていた過去の霊的な真実だった。

 千夜子がまだ現世で苦労していた頃、父・治郎蔵は、愛知県蒲郡市にある当時千夜子が住んでいた部屋に、心配のあまり霊体となってこっそり様子を見に行っていたのだという。

「あの人は本当に不器用でね。あんたの部屋で添い寝をしながら、愛おしさのあまり、つい、すーすーと大きな寝息を立ててしまったんだ。あんたと、姉の八千代が『お父ちゃんの寝息が聞こえたような気がする』って話していたのを、私はハラハラしながら見ていたんだよ」


 千夜子はハッと息を呑んだ。あの蒲郡の夜、確かに不思議な気配を感じた記憶が、何十年の時を超えて鮮やかによみがえる。

 父親の愛は、あの時からずっと自分を包んでいたのだ。


 智代はさらに、胸を締め付けられるような告白を続けた。

「あんたと、兄の政夫が、私を激しく恨むあまり、私の位牌をめちゃくちゃに壊したことも知っている。当然の報いだ。私が家族を壊したんだから。……でも、その私の作った因縁が、政夫の心を歪めてしまった。政夫が学歴を目の敵にし、進の高校進学を邪魔しようとしたのも、元を正せば、女学校を中退して狂ってしまった私への、根深い恨みが原因だったんだね。私が、あのすべてを引き起こしてしまったんだ……」


【正される視点と、指導霊の宣告】


 母の口から語られる因縁の深さに、千夜子は胸が痛んだ。

 政夫のあの異常なまでの学歴への執着と進への妨害が、自分と母・智代との歪んだ関係から派生した連鎖だったとは。

 二人の間に流れる複雑な沈黙を破るように、指導霊が静かに二人の間に歩み寄った。


「主護霊・千夜子、そして智代よ。これこそが、霊界が求めた第三のプログラムであり、あなたたちの『最後の修行』です」

 指導霊の杖が、二人の足元を純白の光で繋ぐ。

「過去の因縁をただ赦すだけでなく、かつて傷つけ合った母娘が、時を超えて同じひとつの天命のために手を携えること。これ以上の魂の純化はありません。智代もまた、己の罪を認め、進の守護の一翼を担うために、長い幽界の試練を耐え抜いてここへ来たのです」


 智代は千夜子の前に進み出ると、深々と頭を下げた。

「千夜子、済まなかった。母親らしいことなんて、何一つしてやれなくて。でも、あんたが命がけで産んで、命がけで育てたあの進という子は、伊崎の家の、私たちのすべての泥を美しい蓮の花に変えてくれた。お願いだ、私にも、あの子の行く末を陰から応援させておくれ。もう二度と、財産も心も食い潰したりはしない。ただの、名もなき守護の光として、あんたの手伝いをさせてほしいんだ」


【響き合う血脈、共にある守護】


 千夜子は、深く息を吸い込んだ。

 目の前にいるのは、かつて自分を泣かせた悪母ではない。

 己の未熟さに泣き、現世の不条理に迷い、そして今、ようやく本物の愛に目覚めようとしている、一人の切ない「魂」の姿だった。


「お母さん……」

 千夜子はゆっくりと手を伸ばし、智代の透き通るような手をしっかりと握りしめた。

「もう、自分を責めないで。私はあなたを赦します。政夫兄さんのことも、進が自らの力ですべての呪いを解き明かしてくれたわ。だから、私たちの因縁は、ここで終わり」


 千夜子の純白の光と、智代の微かに震える光が溶け合い、一つの大きな美しい波動となって神殿を満たしていく。


「お母さん、一緒に見守りましょう。あの子は今、現世で、私たちが成し遂げられなかった『本物の正義』を若者たちに教えているの。最高の主護霊として私が前を走るわ。お母さんは、その後ろから、あの子の足元を静かに照らして」


「ありがとう、千夜子……。本当に、ありがとう」

 智代の目から、浄化の涙が光の粒となって溢れ落ちた。


 鏡の向こう、現世の京都の教室では、伊崎進が教壇の上で、迷いのない、堂々とした声で民法の講義を行っていた。

「法律は、人が前を向いて生きるための、大切な道具なのです」


 その力強い言葉に、何十人もの学生たちが一斉にペンを走らせる。

 その進の背中には今、最高責任者である主護霊・千夜子の圧倒的な純白の結界と、その後方で、過去のすべての過ちを贖うように優しく寄り添う祖母・智代の、つつましき補助の光が重なっていた。

 治郎蔵から千夜子へ、そして智代の和解へ。

 伊崎家の血脈に流れたすべての不条理と確執は、現世と霊界の双方において完全に昇華され、進の歩む教壇を、二重の強固な愛の光がどこまでも厳かに護り続けるのであった。

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