第1章 千夜子、主護霊就任
【魂の対話、憎しみの彼方へ】
千夜子の修行が始まった。
それは、彼らの醜い精神の波動に自らの光を合わせ、彼らの犯した罪の痛みを理解した上で、それを「愛」の波動で包み込んで消滅させるという、想像を絶する精神的苦行であった。
最初に千夜子は、老人ホームで孤独に震える元夫・俊郎の前に、霊体となって静かに降り立った。
かつて自分を苦しめた男。
しかし、その小さくなった背中を見つめていると、彼もまた、現世の虚栄心や「男のプライド」という不確かな幻影に縛られ、誰にも本当の心を明かせずに生きてきた哀れな魂の一人に過ぎないのだという気付きが、千夜子の心に湧き上がってきた。
「俊郎さん……。私はあなたを恨みました。でも、あなたも不器用な生き方しかできなかったのね。もう、あなたを責めはしません。どうか、その心の平穏を取り戻してください」
千夜子がそっと俊郎の萎びた肩に手を触れ、純白の赦しの光を注ぎ込むと、老人は現世でふっと深い溜息を吐き、張り詰めていた顔の皺を和らげて静かに眠りについた。
千夜子の魂から、一つの太い呪縛の糸がプツリと切れる音がした。
その歩みは容易なものではなかった。
特に、我が子・進を傷つけた鈴木ふさゑや元担任の精神の毒に触れるときは、千夜子の霊体が激しく曇り、拒絶反応を起こすこともあった。
「どうしてあんな酷いことが言えたの」
怒りが何度も首をもたげた。
しかし、千夜子はその都度、進がコロナ禍の休講期間中に自力で「栴檀は双葉より芳し」という諺の嘘に気付き、その言葉の「呪い」を解き明かし、彼らを恨むことなく自立していったあの高潔な姿を思い出した。
(進があれほどの強さで過去を乗り越えたのよ。母親である私が、いつまでも彼らを憎しみの檻に閉じ込めておいてどうするの。彼らを赦すことは、進の過去を完全に美しいものへと書き換えることなのだわ)
千夜子は苦戦しながらも、木島の焦燥へ、鈴木ふさゑの孤独へ、元担任の惨めさへ、そして兄・政夫の崩壊したプライドへと、丁寧に、粘り強く、自らの清らかな知性の光を注ぎ込んでいった。
彼らの魂の未熟さを、上から裁くのではなく、同じ不条理な現世を懸命に生き、迷い狂ってしまった「哀れな旅人」として、丸ごと抱きしめたのだ。
【千夜子の完全なる純化と、主護霊団の喝采】
最後の因縁であった兄・政夫の魂へ、心からの「赦し」と、かつての家族としての感謝のエネルギーを送り届けたその瞬間、千夜子の周囲の世界が劇的な変化を遂げた。
千夜子の霊体から、最後の黒い澱が完全に消え去り、彼女を包んでいた青い光は、もはや現世のいかなる物質の光をも凌駕する、圧倒的な【純白無垢の神界の波動】へと昇華したのだ。
天空の教室が、眩いばかりの光の神殿へと姿を変える。
背後にいた指導霊は、自らの杖を深く地へと突き立て、千夜子に向かって恭しく一礼した。
「見事です、千夜子。あなたは魂の全因縁を赦し、エゴを完全に超越しました。これこそが、最難関の第二プログラムの遂行です。あなたの心にはもう、誰に対する恨みも、不条理への嘆きもありません。あるのはただ、すべての存在を等しく慈しむ、神仏の如き大いなる利他愛のみです」
治郎蔵は、ついに大粒の涙を流しながら、千夜子の前に跪いた。
「千夜子、お前はわしを、そして伊崎の先祖のすべてを超えてみせた。お前ほどの高潔な魂が、我が娘であったことを、これ以上の誇りはない」
「お父さん、立ち上がってください……。私はただ、進が、そして皆が幸せであってほしいと、それだけを願ったのです」
千夜子の放つ光は、優しく治郎蔵を包み込み、その涙を乾かしていった。
神殿の最上層から、厳かな宇宙のチャイムが鳴り響く。
千夜子は今、チームのいちヘルパー、いちリーダーという枠組みを完全に脱皮し、進の全人生の宿命、天命、そして未来永劫にわたる魂の設計図を統括する最高責任者――【主護霊】の位階へと、正式に就任したのだ。
鏡を見遣れば、現世の進は、すっかり呪縛の解けた晴れやかな顔で、熱心に論文添削のペンを走らせていた。
彼の周囲には、いかなる邪気も、過去の因縁の呪いも、二度と近づくことのできない完璧な純白の結界が張り巡らされている。
進が自らの足で歩む「正義の道」を、千夜子は今や、揺るぎなき最高峰の守護の力を持って、永遠の沈黙と無限の愛のなかで、静かに、しかしどこまでも眩しく照らし続けるのであった。




