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第4章 「沈黙の修行」プログラムその①

【茶の間の陽光と、冷徹な劇薬】


 指導霊への位階を拝命し、白銀の神界の光を間近に仰ぐ階層へと移った千夜子に、さっそく「沈黙の試練」を伴う新たな修行プログラムが提示された。


 霊界には地上の物理的な時間の流れはない。

しかし、幽界の鏡が「平成28年」という地上の秋の刻限を映し出していた。

 千夜子は現世の進が、講師として一つの「完成」の域に達しているのを見て取った。


 ある日の夕暮れ、帰宅した進の前に広がっていたのは、妻・美智子の屈屈のない笑い声と、スマートフォンの画面の中で軽快に踊る「PPAP」の映像だった。

 外の世界で法律という冷徹な「正解」を説き続け、張り詰めた糸のように生きる進。

 進にとって、美智子がただ純粋に目の前の楽しさを享受して笑っているその茶の間の陽光こそが、魂を癒やす最大の救いであり、永遠に守るべき平穏であった。


 「綺麗な光ね……」

 千夜子は美しく澄んだ青い光を放ちながら、その平穏を愛おしそうに見つめていた。

 しかし、その背後で指導霊の杖が静かに床を叩く。

 「千夜子よ、現世の平穏の裏には必ず陰影が伴います。職場の毒が動き始めました。ここからが、あなたの『不干渉』を試すプログラムの始まりです」


 予備校の個別指導ブース。

 元公務員の面接対策担当講師が、自信をなくした受講生に対し、「そんな面接では、君は絶対に受からないよ」という致命的な猛毒の一言を放った。

 受講生の全人格を否定するような冷徹な言葉。

 千夜子の胸に、かつて進を「とろっくさい」と切り捨てた理不尽な小学校担任の影が重なった。

 千夜子は守護のエネルギーを放って、そのブースの邪気を吹き飛ばしたいという衝動に駆られた。


(いけない。私は指導霊……あの子の力を信じて、沈黙を守るのよ)


 千夜子は自らの青い光をきつく制御し、胸の前で手を握りしめて耐えた。

 進は取り乱すことなく対処した。

 この問題講師は、更迭となった。

 去りゆくその講師に「お疲れ様でした」とだけ声をかけ、傲慢な背中を黙って見送る進。

 そして皮肉にも、「受からない」と呪いをかけられた受講生たちは、翌年、意地を見せるかのように全員が第一志望の合格を勝ち取ったのである。

 (進、お母さんは見守ってる。余計なことはしない。それで良いのね)

 千夜子は、そう呟いた。

 治郎蔵は、そばで、静かに頷いた。


【ライバルの挑発と、緊急の沈黙】


 しかし、試練の波は一度では収まらない。

 この騒動を容赦なく突いてきたのがライバル予備校だった。

 (最近、大きく水をあけられていたが、反撃のチャンスだ)

 ライバル予備校の動きは顕著だった。

 「指導という名のハラスメントをする学校に行きたいですか。我がスクールは紳士的な指導を徹底しています」

 連日のネガティブ・キャンペーン。

 そのおぞましい邪気に、千夜子の心はざわめいた。

 (この邪気を一掃してしまいたい)

 そばで治郎蔵が、そっと首を振る。

 (そうだった) 

 千夜子は、静観する覚悟を決めた。

 進の予備校の本部では、緊急の講師会議が招集された。


 重苦しい空気の中、責任者が教卓を叩く。

 「ライバル校の挑発が激化しています。しかし、我々が同じ土俵に立って反論したり、相手を攻撃し返したりすることは、かえって我々の品位を貶めることになります」


 一切の挑発に乗らず、ただ目の前の受講生に専念する――その方針を確認し、資料を見つめる進の横顔を、千夜子は固唾を飲んで見守っていた。

 進の心の中には、怒りや焦燥ではなく、より深い本質への気付きが芽生えようとしていた。


 (合格を決めるのは、講師の予言ではない。受験生自身の、内なる火だ)


 千夜子は、進が自らの力でその境地に達したのを見て、深く安堵した。

 茶の間の美智子の笑い声と、教室での殺伐とした罵り合い。その激しいコントラストを男らしく引き受け、再び静かにペンを握り直した進の魂は、千夜子が直感を与えずとも、すでに自立して輝いていた。


 進の予備校の評判は落ちなかった。

 むしろ、ネガティブキャンペーンを組んだライバル予備校は苦境に陥った。

 千夜子は、この修行の意味を悟った。

 (世の中は全て学びなのだ)

 そんな悟りが、千夜子に訪れていた。

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