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第3章 高次元の修行の始まり

【高次元のささやきと、主護霊の微笑】

 指導霊スピリットガイドへの昇格を果たし、自らの霊体が放つ気高い青い光を見つめながら、千夜子は魂の底から湧き上がる喜びに震えていた。

 扱える霊的エネルギーは格段に増え、現世の進を包む守護の障壁は、以前とは比べものにならないほど強固になっている。

 鏡の向こうでは、進が教壇の上で、迷える受験生たちの心を震わせる見事な講義を展開していた。

 進の言葉に救われ、笑顔を取り戻していく若者たちの姿を見るたびに、千夜子の放つ青い光はさらにその輝きを増していくように思えた。


「お父さん、私、本当に嬉しい……。進をこんなに強い力で守り、導くことができるなんて。霊界での学びが、これほどまでに現世のあの子の力になるのね」


 千夜子が隣の治郎蔵を振り返ると、老人は髭を揺らしながら嬉しそうに目を細めていた。

 しかし、その傍らに佇む指導霊の表情は、ただ祝福するだけの温かさとは少し異なっていた。

 その静謐な瞳は、さらに奥深い霊界の深淵を見つめているようだった。


 「千夜子よ。あなたの喜びは正当なものであり、ここまでの利他の実践は見事というほかありません」

 指導霊は光の杖を静かに地面へと立てた。

 すると、周囲を包んでいた美しい青い光の領域が、微かに波打ち、さらにその上空にある、目も眩むような白銀の光を放つ階層――「神界・光の領域」の手前で、目に見えない透明な壁に遮られるようにして静止した。


 「ですが、覚えておきなさい。霊格の向上に終わりはありません。あなたが今立っているのは、あくまで『専門リーダー』としての階梯。ここからさらに上を目指し、人間の人生の設計図すべてを掌る、揺るぎなき最高責任者――「主護霊しゅごれい」の座へと近づくためには、これまでのものとは全く質の異なる、真に過酷な『最後の試練』を乗り越えねばならないのです」


 「さらに上の、試練……ですか?」

 千夜子は身を引き締めた。指導霊の厳かな声に、霊体の奥が、現世の冬の寒さを思い出すかのようにピリリと緊張した。


【無私の究極――「干渉の全廃」という試練】


 指導霊は杖をひと振りし、精精緻な光の文字を空間に浮かび上がらせた。

 そこには、神界へ至るための、最も厳格な霊界の掟が刻まれていた。


 「補助霊や指導霊のうちは、人間の趣味や仕事に寄り添い、比較的近い距離で『手助け』をすることが許されていました。あなたが先ほど、進の焦りを鎮めるために送った直感も、その一つです。しかし――」

 指導霊の眼差しが、鋭い光を帯びた。

 「主護霊という、神仏に最も近い高級霊の位階へ至るためには、真の『無私のむしのあい』を証明せねばなりません。その試練とは、「担当する人間が、人生最大の不条理や危機に直面したとき、あえて一切の直感も助けも与えず、ただの『沈黙の光』として見守り抜くこと」です」


 「え……?」

 千夜子は息を呑んだ。せっかく強い守護の力を手に入れ、進を不運から遠ざけることができるようになったというのに、あえてそれを「使ってはならない」というのか。


 「主護霊の真の役割は、目先の不運を避けることではありません。その人間の『魂の設計図』が完遂されるよう、大局的に見守ることにあります。人間は、自らの力だけで絶望の底から這い上がるとき、最も魂を爆発的に成長させるのです。そのとき、背後にいる者が良かれと思って手を差し伸べ、インスピレーションで答えを教えてしまえば、それは人間の『自立の機会』を奪うエゴの愛――すなわち、甘やかしとなってしまう。」

 進がこれから迎えるであろう、人生最大の壁。

 そのとき、千夜子が増大したその力を使って彼を助けたいという『母親としての本能的な愛着』を完全に断ち切り、ただ神仏の如き沈黙を保てるか。

 己の胸を引き裂かれるような痛みに耐え、進の『不条理を生き抜く力』を百パーセント信じ切ることができるか……。

 「これこそが、高級霊へと脱皮するための、最も過酷な試練なのです」


 千夜子は、鏡の中の進の横顔を見つめた。

 これまで、進が苦しむ姿を見るたびに、自分の心がどれほど千々に乱れたか。

 それを、指導霊となった今、あえて「何もしない」で見守れというのは、手を差し伸べることよりも何倍も、何十倍も苦しい拷問のように思えた。


【治郎蔵の背中と、覚悟の共有】


 動揺する千夜子の肩に、ごつごつとした、しかし圧倒的に温かい大きな手が置かれた。父・治郎蔵だった。

 治郎蔵は、自らもかつてこの試練を乗り越え、何百年もの間、伊崎家の血脈を遠い高次元から見守り続けてきた高潔な先祖霊の一人であった。


 「千夜子よ。不条理を耐えるのは、地上に生きる人間だけではないのだ。我ら背後に立つ霊にとっても、不条理に悶える我が子を『何もしないで見守る』ことこそが、最大の苦行であり、最大の修行なのだ」

 治郎蔵の声は、低く、深く響いた。

 「わしも、お前が現世で病に倒れ、若くして命を落とすその瞬間まで、涙を流しながらも手出しをせず、ただお前の魂の輝きを信じて見守り続けた。なぜなら、その苦しみを通じて、お前がこの霊界で美しく輝くことを知っていたからだ。今度は、お前が進に対して、その『神の眼差し』を持つ番なのだ。あ奴の力を、信じてやるのだ」


 「お父さん……」

 千夜子は治郎蔵の胸に顔を埋めた。

 霊格が上がるということは、単に強い力を得て万能になることではない。

 むしろ、その強大な力を、現世の人間の「真の自立」のために完全にコントロールし、忍耐という名の無償の愛へと昇華させることなのだと、千夜子は真に理解した。


 現世の進は、宅建試験の講師を経て、公務員試験の講師として頭角を現し、受験生たちの絶大な信頼を得始めていた。

 しかし、これから先、予備校内の激しい競争や、受講生たちの人生を背負うという、さらに重く冷酷な現実の嵐が待ち受けている。

 その嵐は、かつての司法試験の挫折や極貧生活をも凌駕する、精神の試練となるかもしれない。


【沈黙の聖域へ】


 千夜子はゆっくりと治郎蔵から身体を離し、涙を拭って、もう一度まばゆい白銀の神界の光を見上げた。

 その胸には、指導霊としての凛とした覚悟が、静かに、しかし確実に定まっていた。


 「指導霊様、お父さん。私、逃げません。進がこれからどんな闇に直面しても、あの子が自らの足で立ち上がり、自らの論理で不条理を跳ね返すその力を、誰よりも信じ抜きます。あの子を信じ切ることこそが、私の本当の『愛』です」


 千夜子がそう宣言した瞬間、彼女を包む知性の青い光のなかに、微かに、しかし決定的な純白の輝きが混ざり始めた。

 まだ主護霊への昇格ではない。

 しかし、過酷な試練を「引き受ける」というその無私の覚悟自体が、千夜子の霊的波動を、さらに高次元の領域へと共鳴させ始めたのだ。


 「よく言いました、千夜子」

 指導霊は、その光の杖を優しく千夜子の頭上に掲げ、祝福の光を注いだ。

 「その覚悟がある限り、あなたの光は進を決して見失わない。さあ、進の人生の第二幕が、本格的に始まります。あの子が紡ぐ『正義の講義』を、私たちはただ、宇宙の如き深い沈黙と、無限の慈愛を持って見守りましょう」


 鏡の向こう、現世の京都の街に、また新しい朝が訪れる。

 進は美智子が作ったおにぎりを鞄に詰め、引き締まった表情でアパートの扉を開けた。

 その背中には、一切の甘えを排し、ただ我が子の「魂の完全なる自立」を信じて微笑む、指導霊・千夜子の、どこまでも高く、深く、美しい沈黙の光が、厳然として寄り添い続けるのだった。

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