第六話 深夜の職場(なわばり)見回り
深夜のネオン街は昼間と別の生き物だ。
赤と青と黄色の光が濡れたアスファルトに溶けて、滲んで、どこまでが現実か分からなくなる。
酒の匂い。
煙草の匂い。
揚げ物の匂い。
どこかで誰かが笑っている声。
遠くでサイレンが一度だけ鳴って、消えた。
野良猫にとって、これはなわばりの見回りだ。
(では始めるか)にゃー
誰も聞いていない。 まあいい。
路地を曲がったところに、見慣れた背中があった。
ビルの壁に寄りかかって、ネクタイを緩めて、鞄を抱えたまま眠っている。
中年のおっさんだ。
スーツのしわが気の毒なくらいついている。
(またお前か、鈴木)にゃー
鈴木はたびたびここで眠っていた。
深い眠りじゃない。
眉間にしわが寄っている。
口元が動いていた。
「……だから言ったじゃないですか……」
「……部長がそう言うなら……でも現場は……」
「……俺が全部やればいいんですか……」
(きついよな、中間管理職)
上からも押される。
下からも突き上げられる。
板挟みのまま、それでも誰かがやらなきゃならない。
知っている。
三十八年間、自分もそうだった。
尻尾を大きく振って、鈴木の顔を叩いた。
ぺし
起きなかった。
もう一度。
ぺし
起きなかった。
(仕方ないな)
猫パンチを一発。
ベシッ!
「……っ、な、なんだ」
鈴木が目を開けた。
焦点が合っていない。
街灯を見上げて、アスファルトを見て、こちらを見た。
「……せ、先輩?…あれ猫?」
(かあちゃんと子供が待ってるぞ)にゃー
鈴木がゆっくり立ち上がった。
壁に手をついて、鞄を持ち直して、ネクタイを直そうとして、途中で諦めた。
「……帰るか」
誰にともなく言った。
フラフラとした足取りで、でも確かに、家の方向へ歩いていった。
街灯の下を通り過ぎた時、おでこに肉球跡が光った。
(まあ、明日も頑張れや)
返事はなかった。
もう角を曲がっていた。
ネオンの光が、濡れたアスファルトに揺れていた。
酒の匂いが風に流れた。
なわばりの見回りを続けた。




