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社畜の俺が猫に生まれ変わった、今度は気ままに生きようと思ったのに世界が許してくれない  作者: LightWell


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5/12

第五話 これって深夜残業だろ

深夜の公園は別の顔をしている。


昼間の騒がしさが嘘みたいに静かで、街灯が一本だけ、黄色い光の輪を地面に落としていた。

遠くで車の音。

草が夜露で湿っていて、踏むたびに肉球が冷たかった。

空に星が出ていた。

こんなに星があったのか、と思った。

会社の近くに空があることを、たぶんずっと忘れていた。


気ままに眠っていたところを、首根っこを咥えられた。

母猫だった。


(……ちょっと待て、俺もういい歳なんだが)にゃー


通じなかった。

当然だ。

引きずられた。


公園の隅、低木の陰に、猫が集まっていた。

三匹、四匹、五匹。

思い思いの方向を向いて、思い思いの姿勢でいる。

街灯の光が届かない場所で、目だけが光っていた。

誰一人、急いでいない。


誰かが何かを言った。

リズムがあった。

別の誰かが短く返した。

また別の誰かが欠伸をした。

また誰かが言った。


意味は分からない。

たぶん最初から意味なんてないんだろう。


母猫が隣にどっかりと座った。

温かかった。

それだけだった。


(……なんだこれは)


議題はない。

進行役もいない。

資料もない。

詰める上司もいない。


ただ、いる。


誰かの体温が隣から伝わってきた。

草の匂いと、獣の匂いと、夜露の冷たさが混ざっていた。


また誰かが短く鳴いた。

また誰かが返した。

それだけだった。

それだけなのに、誰も帰らなかった。


(……ああ)


言葉じゃないんだ、これは。

お前は生きているか。

俺も生きている。

それだけだ。


三十八年間、会議室で交わした言葉の数を思った。

資料の枚数を思った。

誰かを詰めた夜を思った。

詰められた朝を思った。

あの言葉の山の中に、これがあっただろうか。


風が低木を揺らした。

葉が擦れる音がした。

猫が一匹、あくびをした。

大きな口だった。

誰も笑わなかった。

誰も突っ込まなかった。

それでよかった。


どのくらい経っただろう。

母猫がこちらを向いた。

頭を舐め始めた。

ゆっくりと、丁寧に、何度も。

耳の裏、目の端、頭のてっぺん。

力加減が優しかった。

舌が温かかった。


理由はない。

見返りもない。

求めるものもない。

ただそうしていた。


目を閉じた。


そういや、親孝行もできなかったな。

盆も正月も帰れなかった。

電話もろくにしなかった。

会議資料を仕上げながら、また今度でいいかと思い続けた。

また今度は、来なかった。


母猫の舌が、もう一度頭のてっぺんを撫でた。


(……)


何も返せなかった。

それでよかった。


夜露の匂いがした。

草が風に揺れる音がした。

星がまだ出ていた。

会議はまだ続いていた。

何も決まらなかった。


たぶん最初から、何かを決める会議じゃなかった。


元社畜、一条大牙。 今夜だけは、ただの猫だった。

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