お付き合い宣言。
極度の緊張で空気が張り詰める。
梓の顔には笑顔一つなく、言い逃れる気配はない。
「き、昨日かぁ……なんでそんな事聞くの?」
「一応彼氏の動向を聞いておくのはそんなに変かな」
うっ、とぼくの息が詰まる。
「いや、そもそも彼氏彼女って関係自体曖昧なもので」
「『ぼくは梓の彼氏だ。悩みがあればぼくを頼って欲しい、寂しかったら傍にいるから』」
「すみませんでした」
負けだ。昨日のアレはやはり言い過ぎた。
あの時は必死だったとはいえ、ここで持ち出される事を事前に考えておくべきだった。
「はぁ。確かに私が君を束縛出来る立場にない事は分かってるつもりなんだけどね、ちょっと……」
梓の綺麗な顔が僅かに陰る。その表情にほんの少し、羞恥の色が見えてぼくは自然と勘づいた。
「もしかして……嫉妬、してくれてるの?」
「……っ、べつに」
やばい。可愛い。
トクン、と心臓が嫌な鼓動を打つ。
露骨に顔を隠しているが、真っ赤になった耳たぶまでは隠しきれていない。ぼくも自然と顔が暑くなる。
「ちなみに……情報源って何処から?」
「ああそれ、昨日携帯を触ってたら偶然これを見つけてね」
そう言いつつ、梓は自分の携帯を立ち上げて表示する。
開いていたのは、『ワンスタ』のストーリー。
アカウント名は、『MIOMIO』。
なんだこのアホそうな名前は。
「えっと……なになに。って、あれこれぼくじゃん!」
『先輩と、らぶらぶでーと中♡』
つまりこれを書いたのは明日原だ。たしかに昨日写真なんかを沢山撮っていた気がする。
「あいつ、何やってんだよ……」
「反響も凄くあるみたいだし。あれ、何これもしかして学内公認カップルなのって焦っちゃったわよ」
「ち、違うんだ。この子は同じ部活の後輩で、昨日は成績やばいから勉強見てくれって頼まれてさ。ほら、トーク履歴」
『LANE』の内容を人に見せるのは憚られたが、誤解を解くためならやむを得ない。梓は怒らせると大変なタイプだ。
「そう。ならいっか」
良かった。何とか納得してもらえた。
梓は興味を失ったのかぼくの携帯から目を逸らした。
「ねえ、伊織」
「なに?」
「そろそろ……私達の関係を学校内で公表しようかなって」
まさかの宣言だった。ぼくは慌てて梓を見る。
「だって人の彼氏にわらわらと女の子が寄り付いてたら、彼女である私の立場が危ういでしょう」
「いや。別にぼくは梓以外の人と正式に付き合う予定なんてないし大丈夫じゃないかな」
「……ありがとう。でも私が心配なの」
今日の梓はなんか変だ。
妙に積極的というか、周りの目を気にしている。
「女の勘ってやつかな……この明日原って子、ただの先輩として伊織を見ていない気がして」
「明日原は平気だよ。すぐぼくの事を馬鹿にするし」
「それも照れ隠しである可能性も……。いや、そもそも君は自分が思っている以上にモテてるんだから危機意識を持って!?」
「ぼくが? あの蓮見梓に言われても説得力がなぁ」
「あーーもう。やっぱり公表しよう、そうしよう」
梓は呆れた顔でぼくを見てくる。元々この関係を持ち出して来たのは梓の方だ。そのうえ自殺関連の問題もあるし、単なるお遊びと考えず慎重に行くべきだろう。
「分かった。梓の好きなようにしてくれ」
「本当? じゃあ、今日からよろしくね」
チュッと頬にキス。今日の分はこれで終わりか。
梓は一足先に教室へと戻っていく。
「ダメダメ。何を考えてんだぼくは。なんで梓からのキスが物足りないなんて思ってんだよ!」
これはあくまで契約上のキス。
そこに愛なんてものは存在しない。
ぼくは蓮見梓を意識してはいけないんだ。
それなのにどこか、ジリジリとぼくの心が見えない所で揺れ動いているような気がした。
□
その噂は瞬く間に広がった。
初めは休み時間の雑談中、彼女の友達に何気なく聞かれたぼくと梓の関係について、梓は首を縦に振った。
「うん、付き合ってるよ?」
勿論、学校内に激震が走った。
クラスの男子達は暴動を起こす勢いで走り回り、新聞部は号外と称してぼくと梓の関係を吹聴する。
表題は『蓮見梓が遂に陥落か!? まさかの交際宣言』と共にぼくの顔写真が乗せられている。
「おいおい、冗談だろてめぇ! マジで興味無さそうな顔しといてガッツリ付き合い始めてんじゃねぇか。おい、いつからだ。まさか朝のアレじゃねぇだろうな」
「藤堂落ち着け。付き合ったってのもあくまでお試しみたいな物だから。そんな怒るなよ」
男子からのバッシングはそれはもう酷い物だったが、ぼくのクラス内カーストではそこまで下位でもない。ましてイジメを受けるなんて心配は更々無かった。
元々他人に馬鹿にされないように学内成績や運動能力を伸ばしていた節もあるし、仮にも剣道部ともあって喧嘩を売られた時の保険もしっかり効いている。
昼休みになって梓がぼくの元へと近付いてくる。
「伊織、今日は一緒にご飯食べよ?」
「学食になるけどいいの?」
「勿論。だから今日は何も持ってきてないんだ」
梓の中では昨日の時点で決めていたという事か。
断る理由はなくて、ぼくは梓と共に席を立った。
藤堂は魂が抜けたような顔でぼく達を見送った。
□
「あー、愉快愉快。伊織の傍から色目を使ってた女子が距離を取っていくのを見ると気持ちがすーっとする」
「逆にぼくは男子達からの視線で何も集中出来ないんだが」
「"あの"蓮見梓を陥落させたんだから当然でしょ」
梓はぼくの手を握って学食の中へと移動する。堂々と見せ付けるように梓は泰然たる素振りで食事を受け取って席に座る。心做しか他人が道やら席を譲っているみたいだ。
お陰でぼく達の周りだけポッカリと穴が空いたような配置になってしまった。注目の的ってかなり疲れるな。
「私は後悔してないよ。これで学校でも君と話せるから」
まただ。ぼくの胸がざわめく。
ぼくは梓から目を逸らしてラーメンを啜った。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる」
「ん。早く戻ってきてね。麺が伸びちゃうから」
梓に見送られて、ぼくはトイレに閉じこもる。
くそ、今日の梓は卑怯だ。ぼくを本気で落としに来ている。
もしかしたら、昨日の仕返しのつもりかもしれない。
とにかくほとぼりが冷めるまでは頑張るしかないな。
□
伊織が席を立ったら、当然梓は一人きりになった。視線を一身に集めながらも、彼を独占出来る事に比べたらなんの弊害にもならないかと寧ろ開き直って食事を取った。
いつもは混み合う食堂も、今日は皆が遠慮している。
学校一の美少女というステータスはこんな時に役に立つ。
ガタン。
トレイを雑において、誰か女子生徒が前の席に座った。
さっきまで伊織が座っていた席だ。
梓は気になってその少女の顔を拝むと、途端に顔が引き締まる。今回の一件は、単なる公表では無い。目の前にいる少女に向けた明確な宣戦布告だった。
その少女は、愛嬌のあって可愛らしい後輩だった。年下好きの男子なら一撃で沈んでしまいかねない美貌も兼ね揃えている。
「蓮見先輩ですよね……私は」
「明日原 澪さんね。彼から話は聞いてる。同じクラブの後輩で、少し仲が良いだけの"友達"だって」
「……っ」
明日原は拳に力を込めた。
敵意と敵意がぶつかり合う。その異様な雰囲気に周りの生徒達は無心で目線を逸らした。
「蓮見先輩、率直に言いますが伊織先輩と別れてください」
「理由を聞いてもいいかな」
「だって先輩が、そんな……貴女と付き合いたいなんて言い出す訳が無いじゃないですか。大方、蓮見先輩があの人を誑かしたんでしょ、私には言われなくても分かります」
「随分彼を慕っているのね。でも、無理かな」
梓は余裕の表情で食ってかかる後輩をあしらう。
「私は、伊織先輩と何度もデートしているんです。昨日だって実は映画も一緒に行ったんですよ」
「なっ……勉強会だけじゃなかったの」
思わぬ反撃に梓は僅かに焦りを持つ。
帰ってきたら伊織を必ず問い詰めよう。
「蓮見先輩はデートとかした事あるんですか!?」
「土曜日に私の家でお家デートしたかな」
「そ、そんな……。先輩ってば、土日で別々の女の子と遊んでたんですか、普通に最低じゃん」
確かに。そう言われると最悪な気がしてきた。
「とにかく、私達の関係に文句があるなら、彼を奪ってみなさい。まあ無理だと思うけど」
「蓮見先輩、今だけ彼を"貸して"おきます。精々勝ち誇っておいてください。では失礼します」
一瞬で食べ終えた明日原はすぐに立ち去ってしまう。
「あれ、明日原?」
伊織は無言で立ち去る明日原とすれ違った。
「梓、もしかしてあいつとなんか話した?」
「別に。ちょっと縄張りを主張し合ってただけかな」
「はあ。そうなんだ」
「それより、明日原さんと映画も行ったって聞いてないんだけど。その辺はどう弁明するつもりなのかなー?」
「あいつ、なんでバラして……あはは。いや、なんでだろう、勉強前の息抜きって所かな」
「私の家で手足縛って監禁でもしようかな」
「冗談です、本当にごめんなさい許してください」
「ふふっ、よろしい。でも、浮気は厳禁だから」
「浮気も何も。そもそもぼくは……」
「何か言った?」
「なんでもありません。了解です」
うちの彼氏はもう少し危機感を持って欲しい。




