第9話 変装の心得(※顔が良すぎて隠せていない)
翌日、魔王城の一室。
ディアボロスは、姿見の前に立ち、自らの変装具合を確認していた。
黒く染めた鬘を被り、地味な色合いの外套を羽織り、伊達眼鏡までかけている。魔王としての威圧感を消すため、表情もできるだけ大人しく、控えめに整えたつもりだった。
「……ふむ。これなら、ただの人間の青年に見えるだろう」
自信ありげに頷くディアボロス。だが、彼付きの侍従は、その姿を見て思わず言葉に詰まった。
「へ、陛下……その、大変申し上げにくいのですが」
「なんだ」
「隠しきれておりません」
「……なに?」
「お顔立ちが、あまりにも整いすぎておりまして。鬘や眼鏡程度では、とてもこう、庶民に紛れ込めるようなお姿には……」
ディアボロスは、改めて鏡を覗き込んだ。確かに、地味な格好をしているはずなのに、そこに映るのは相変わらず絶世の美男子である。むしろ、黒髪の地味な装いが、彼の端正な顔立ちを一層引き立てているようにさえ見えた。
「くっ……そんな馬鹿な」
「加えて、陛下は無意識のうちに、こう、独特の気品と申しますか、只者ではない雰囲気が滲み出ておられまして……」
「……」
ディアボロスは、しばし黙り込んだ後、諦めたように息を吐いた。
「まあいい。多少目立とうとも、正体さえ露見しなければ問題あるまい」
(どうせ人間どもは、俺の顔を見ても『魔王』だとは思うまい。ただの、やたら整った顔の男だと思われるだけだ)
一方その頃、隣室ではセシリアもまた、変装の真っ最中だった。
*
「これで、いかがでしょうか?」
セシリアが、控えめな色合いの町娘の服に着替え、髪を一つに結んで現れた。普段の聖女服とは打って変わった、素朴で可憐な装いである。
「……ふむ」
ディアボロスは、彼女の姿を一目見て、思わず言葉を失った。
確かに服装は町娘そのものだ。だが――
(な、なんだこの、隠しきれない神々しさは……!)
セシリアの周囲には、うっすらと聖なるオーラのようなものが漂っていた。本人はまったく自覚していないが、彼女の持つ膨大な神聖魔力が、常時薄っすらと漏れ出しているのである。
道行く人々が、なぜか彼女の姿を見ただけで、思わず手を合わせて拝みたくなるような、そんな不思議な威圧感すら放っていた。
「あの、何かおかしいでしょうか?」
セシリアが小首をかしげる。その仕草だけで、周囲の空気がわずかに浄化されていく気配があった。
「い、いや……。その、多少、目立つかもしれんが……まあ、なんとかなるだろう」
ディアボロスは、頭を抱えたい気持ちを必死に押し殺しながら、そう答えるしかなかった。
(顔が良すぎて隠せない魔王と、聖なるオーラが隠せない聖女。この組み合わせで、果たして『普通のデート』とやらが成立するのか……?)
一抹どころではない不安が、ディアボロスの胸中に渦巻いていた。
「では、そろそろ参りましょうか」
セシリアが、期待に満ちた瞳でディアボロスを見上げる。
「あ、ああ……」
「今日から、私たちの初めてのデートですね!」
セシリアは、両手を胸の前で組み、頬を染めながら弾んだ声を上げた。その拍子に、彼女の足元でぱりんと小さな音がした。見れば、床のタイルがわずかにひび割れている。原因は、彼女の高揚した気持ちが無意識に魔力として漏れ出したことだった。
「……セシリア殿、街に出るまでは、なるべく気持ちを落ち着けてもらえるとありがたい」
「あ、す、すみません! つい、嬉しくて」
セシリアは慌てて口元を押さえたが、その仕草もまた、儚げで可憐に見えてしまうのだから始末に負えない。
ディアボロスは、これから待ち受ける未知の一日を思い、深く長いため息をついた。
(これは、想像以上に前途多難な旅になりそうだ……)
彼はまだ知らなかった。この日から始まる「普通のデート訓練」が、街中を巻き込む数々の騒動の幕開けとなることを。
こうして、変装――とは名ばかりの、隠しきれない美貌とオーラをまとった二人は、いよいよ人間界の街へと足を踏み出すのだった。




