第10話 いざ征かん、死線(デート)の街へ
魔王城から転移魔法で人間界の街の外れに降り立った二人は、しばし無言でその場に立ち尽くしていた。
目の前には、活気に満ちた城下町の光景が広がっている。露店が立ち並び、行き交う人々の笑い声が響き、平和そのものといった雰囲気だ。
「ここが……人間の街」
セシリアが、感慨深げに呟いた。
「聖女としての任務ではなく、こうして一人の女性として街を歩くのは、初めてかもしれません」
その言葉には、確かな実感がこもっていた。物心ついた頃から聖女としての英才教育を受け、成人してからは戦場と教会を往復するだけの日々。彼女にとって、目の前に広がるありふれた日常の光景は、それだけで胸が高鳴るほど新鮮なものだった。
一方のディアボロスは、まったく別の感情でその場に立っていた。
(この街のどこかで、こいつが暴走すれば、すべてが灰燼に帰す……)
彼の脳裏にあるのは、期待や高揚ではなく、純粋な危機感だった。魔界の絶対君主として数々の戦場を経験してきた彼だが、これほどまでに緊張を強いられる場面は初めてかもしれない。
「では、行きましょうか、ディアボロス様!」
セシリアが、無邪気な笑顔でディアボロスの方を振り返った。
「あ、ああ。だが――」
ディアボロスは、念のため今一度、確認の言葉を口にした。
「今日この街で使う名は、互いに『ディアボロス』『セシリア』ではなく、別の名にしておいた方がいいだろう。目立たぬためにな」
「そうですね! では、どのようにお呼びすれば?」
「……そうだな。俺は『ディオ』とでも名乗ろう」
「では私は、『セシル』とお呼びください!」
「……あまり変わっていないな」
「大丈夫です、きっとバレません!」
セシリアは自信満々に胸を張った。その根拠のない自信こそが、この二人の前途を暗示しているようで、ディアボロスは思わず頭を抱えたくなった。
*
「では、参りましょう、ディオ様!」
セシリアは、ディアボロスの――もといディオの腕に軽く手を添えると、街の中心に向かって歩き出した。
その足取りは軽やかで、まるで長年の夢が叶った少女のように弾んでいる。実際、彼女にとってこれは長年の夢そのものだったのだ。
(心のどこかでは……このまま何事もなく、平穏に一日が終わってほしいものだが)
ディアボロスは、内心で祈るような気持ちを抱えながら、隣を歩くセシリアを横目に見た。
町娘に扮したセシリアは、屈託のない笑顔で街並みを眺め、露店に並ぶ品々に目を輝かせている。その表情は、確かに年頃の少女らしい、素直な喜びに満ちていた。
(普段の――いや、街を破壊する時の顔とは、まるで別人のようだ)
そんなことを考えながら、ディアボロスはふと、自分の胸の奥にわずかな違和感を覚えた。それが何なのか、彼自身もまだ理解していなかった。
「見てください、ディオ様! あちらに綺麗な花が!」
セシリアが、道端の花屋を指差して声を上げた。その拍子に、彼女の中に眠る膨大な神聖魔力がわずかに漏れ出し、周囲の花々が一斉に満開になった。
「わあ、綺麗……!」
道行く人々が、突然の異変に驚きの声を上げる。
「な、なんだ、急に花が咲いた!?」
「奇跡だ! 神様のお恵みかもしれない!」
騒然とする周囲をよそに、セシリアは無邪気に花を眺めて微笑んでいる。ディアボロスは、冷や汗を浮かべながら、慌てて彼女の背中をそっと押した。
「せ、セシル、あまり長居はよくない。先へ進もう」
「あ、はい! すみません」
こうして、互いにまったく異なる思惑――セシリアは「初めての恋の予感」に胸を高鳴らせ、ディアボロスは「絶対に生き延びること」を胸に刻みながら――二人は、賑わう人間の街の中へと、その一歩を踏み出していったのだった。
この日から始まる「普通のデート訓練」という名の、前途多難な一日が、ここに幕を開ける。




