第47話 前夜祭の静けさ(嵐の前)
国を挙げた突貫工事の末、結婚式の準備は、ついに前日を迎えるまでに至った。
大聖堂の周囲には、竜の鱗を織り込んだ防魔繊維で補強された会場が、これまでにない威容を誇って完成していた。まるで、小さな要塞のようにも見えるその佇まいは、これから執り行われる式の特殊性を、雄弁に物語っていた。
式の前夜、ディアボロスとセシリアは、大聖堂の裏手にある、静かな中庭で、二人きりの時間を過ごしていた。
夜空には、無数の星々が瞬いている。人間界の星も、魔界の紅い星も、この夜だけは、同じ空の下で、共に輝いているように見えた。
「――明日で、いよいよだな」
ディアボロスが、静かにそう呟いた。
「はい。あっという間の日々でした」
セシリアも、穏やかな表情で頷いた。
*
「思えば、貴殿がこの城に攻め込んできてから、まだそれほど長い月日が経ったわけではないのだな」
ディアボロスは、これまでの日々を振り返るように、続けた。
「石畳を粉砕された待ち合わせ。光る弁当。下級魔族の殲滅。上着を引き裂かれた事件。王子の骨を砕いた握手。そして――城の三分の二を消し飛ばした、あの日」
「そ、その節は、大変ご迷惑をおかけしました……」
セシリアが、少し恥ずかしそうに俯いた。
「いや」
ディアボロスは、優しい声で続けた。
「今となっては、そのすべてが、俺にとってかけがえのない思い出だ。貴殿という存在に出会わなければ、俺は今も、ただ冷徹に統治するだけの、味気ない日々を送っていたことだろう」
「ディアボロス様……」
セシリアの瞳が、うっすらと潤んだ。
*
「明日、貴殿と、正式に夫婦になる」
ディアボロスは、彼女の手を、そっと取った。
「正直に言えば、まだ実感が湧かぬ部分もある。だが」
彼は、真剣な眼差しで、続けた。
「貴殿と共に、これから先の人生を歩んでいけることを、心から嬉しく思っている」
「私も、同じ気持ちです」
セシリアは、涙ぐみながら、微笑んだ。
「明日でお前の婚活も終わりだな」
ディアボロスは、少しからかうような口調で、そう言った。
「はい。私の長かった『寿退社への道』も、ついに完結を迎えるのですね」
セシリアは、くすりと笑いながら答えた。
「あなたの胃袋は、私が一生掴みます――物理的な意味で」
「それは、頼もしいような、恐ろしいような、複雑な宣言だな」
ディアボロスは、苦笑まじりに、そう答えた。
*
二人は、しばし、穏やかな沈黙を共有していた。
「――なあ、セシル」
「はい?」
「貴殿は、これから先も、その力を、完全に制御できるようにはならないかもしれん」
「……はい。正直、そう思います」
「だが、それでいい。俺は、貴殿のそのままの姿を、これからも、共に受け止めていくつもりだ」
ディアボロスの言葉に、セシリアは、深く頷いた。
「ありがとうございます、ディアボロス様。私も、これからも、精一杯、あなたの隣にいられるよう、努力いたします」
「ああ、期待している」
夜風が、静かに二人の間を通り抜けていった。
明日訪れる、盛大な――そして、おそらくは前代未聞の規模の騒動を伴うであろう結婚式を前に、二人は、この静かな前夜の時間を、大切に噛み締めていたのだった。
「では、そろそろ休むとしよう。明日は、長い一日になる」
「はい。おやすみなさい、ディアボロス様」
「ああ、おやすみ」
二人は、それぞれの部屋へと戻っていった。
穏やかな夜の静けさの中に、これから訪れる、爆音と共に鳴り響くであろう「世界平和の鐘」への、確かな予感が、そっと漂っていたのだった。




