第41話 腹をくくった魔王
崩壊した魔王城での一件から、数日が経った。
四天王たちの手により、突貫工事で最低限の生活空間が整えられた魔王城の一室で、ディアボロスは、一人静かに窓の外を眺めていた。
胃の痛みは、相変わらず続いている。だが、その痛みの質は、これまでとは少しばかり違うもののように、彼自身は感じていた。
(これまでは、死の恐怖からくる痛みだった。だが今は――)
彼は、小さく苦笑した。
(この痛みは、あの女と共に生きていくと決めた、いわば覚悟の証なのかもしれん)
セシリアとの想いが通じ合ってから、二人の関係は、これまでとは明らかに違う段階へと進みつつあった。もっとも、彼女の「力加減」の問題は、依然として根本的な解決を見ていない。相変わらず、彼女が感情を昂らせるたびに、周囲の建造物や自然環境が、何かしらの被害を受け続けていた。
「――だが」
ディアボロスは、静かに呟いた。
「この化け物を御せるのは、世界で俺しかいない」
彼の脳裏に、これまでのセシリアとの日々が、次々と蘇ってきた。
石畳を粉砕したステップも、上着を引き裂いた指先も、王子の骨を砕いた握力も、そして城の三分の二を消し飛ばした巨大な光のハートも――そのすべてが、彼女の不器用な優しさと、真っ直ぐな愛情の裏返しであることを、彼はもう、はっきりと理解していた。
(誰も、あの女の力を制御することはできぬ。だが、俺だけは――彼女の傍らに立ち続けることができる)
そう考えた瞬間、ディアボロスの胸の内に、これまでにない、確固たる決意が芽生えていた。
*
「魔王様、失礼いたします」
宰相バルトロが、部屋の扉を叩いた。
「なんだ、バルトロか。入れ」
バルトロは、恭しく一礼しながら、部屋に足を踏み入れた。
「先日の一件について、四天王一同、改めて話し合いを重ねました」
「――ああ、あの盛大な誤解の件か」
ディアボロスは、苦笑しながら、そう答えた。実のところ、彼はあの日以来、四天王たちの誤解を正そうと何度か試みていたのだが、彼らの感激と忠誠心があまりにも強固で、なかなか訂正が受け入れられずにいたのである。
「はい……。その、大変申し上げにくいのですが」
バルトロは、慎重に言葉を選びながら続けた。
「我々は、魔王様が、聖女様との交渉の末、見事に彼女の心を懐柔し、ひいては魔界の存亡を守り抜かれたのだと、そう理解しております」
「実際には、少々違うのだがな」
「その、詳細がどうであれ――結果として、魔王様と聖女様の間に、確かな絆が結ばれたことは、事実でございましょう」
バルトロは、静かにそう言うと、深々と頭を下げた。
「魔王様。もし、聖女様との関係を、正式なものとされるおつもりがあるのでしたら、我々一同、全力でお支えする所存でございます」
*
その言葉を聞きながら、ディアボロスは、しばし黙考した。
(正式な関係、か……)
これまで、彼とセシリアの関係は、あくまで「婚活の練習相手」という、いわば仮初めのものとして始まった。だが、今や、その関係は、彼自身の中でも、明確な意味を持つものへと変わりつつあった。
「バルトロ」
「はい」
「俺は、セシリアとの関係を、正式なものにしようと思う」
その宣言に、バルトロは、驚いたように目を見開いた。
「――それは、つまり」
「人間界と魔界の和平、そして、彼女との婚約。両方を、同時に進めるつもりだ」
ディアボロスは、これまでにないほど、力強い声で、そう告げた。
「魔王として、そして一人の男として、俺はもう、逃げも隠れもせぬ。あの女の力を、正面から受け止め、共に生きていく覚悟を、ここに決めた」
「魔王様……!」
バルトロは、感激した様子で、深く頭を下げた。
「かしこまりました。この老骨、微力ながら、全力でお支えいたします」
*
ディアボロスは、窓の外に広がる、崩壊しつつも再建の途上にある魔王城の敷地を見つめながら、静かに拳を握りしめた。
(これから先、正体を明かし、和平を宣言し、そして――彼女に、正式な求婚をする)
その道のりは、決して平坦なものではないだろう。魔界と人間界、両者の間には、長年にわたる争いの歴史がある。それを乗り越え、真の平和を築き上げるには、相応の困難が伴うはずだ。
だが、彼の心には、もはや迷いはなかった。
「この化け物を、御してみせよう。世界で、俺だけが、それを成せるのだから」
ディアボロスは、夕暮れの空を見上げながら、静かに、しかし確かな決意を胸に刻んだのだった。




