第37話 逃げちゃダメだ(色んな意味で)
「――来い!」
ディアボロスの叫びと共に、セシリアの手から放たれた巨大な光のハートが、地響きにも似た轟音を伴いながら、彼の元へと迫ってきた。
その質量と魔力の圧は、これまで彼が経験してきたどの攻撃とも比較にならないものだった。まるで、小さな星が一つ、丸ごと降ってくるかのような、途方もない威圧感である。
(――これは、想像以上だ)
ディアボロスは、全身の魔力を極限まで練り上げ、防御の障壁を張り巡らせながら、内心でそう独りごちた。
(だが、ここで退くわけにはいかん)
彼の脳裏に、これまでのセシリアとの日々が、改めて鮮明に蘇ってきた。
*
(――逃げれば、楽だろう。だが、それでは、この女の想いに、一生報いることができなくなる)
彼は、迫りくる光の塊を見据えながら、静かにそう考えていた。
これまでの人生において、ディアボロスは、常に合理性と生存本能を最優先に行動してきた。魔界の絶対君主として、感情に流されることなく、冷静な判断を下すことこそが、自らの責務だと信じてきたのである。
だが、今、彼の目の前にあるのは、そうした合理性では到底測ることのできない、一人の少女の、あまりにも真っ直ぐで、不器用な想いだった。
(この想いから、逃げることは――俺自身の、これまでの生き様を、裏切ることになる)
彼は、拳を強く握りしめた。
「セシル!」
ディアボロスは、迫りくる光を見据えながら、大声で叫んだ。
「な、なんでしょうか!」
セシリアが、涙を浮かべながら、応じる。
「貴殿の想い、正面から受け止めると誓った! だから――俺のことを、信じて待っていてくれ!」
その言葉に、セシリアの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「ディオ様……! はい、信じています!」
*
巨大な光のハートが、ついにディアボロスの元へと到達した。
「――ぐああああああああああっ!!」
凄まじい衝撃と共に、彼の全身に、これまで経験したことのないほどの激痛が走った。
彼が張り巡らせた防御障壁は、その圧倒的な質量の前に、瞬く間に砕け散っていく。魔王としての彼の魔力の粋を集めた防御術式ですら、この想いの重さの前には、あまりにも脆弱だった。
(――くっ、これは……想像を、遥かに超えている……!)
彼の意識が、激痛によって朦朧としていく。だが、その中でも、彼の心は、不思議と穏やかだった。
(逃げなくて、よかった)
そう思った瞬間、彼の脳裏に、恐怖の奥に浮かぶ、涙目のセシリアの姿が、はっきりと浮かび上がった。
必死に、自分の想いを伝えようとしている、あの姿。
(――どうしようもなく、愛おしい)
その感情に気づいた瞬間、ディアボロスは、これまで自分自身が意固地に否定し続けてきた真実を、ついに、はっきりと受け入れた。
(俺は……この女のことを、愛しているのだ)
*
激痛の中、ディアボロスは、迫りくる光の塊を、両腕を広げて、正面から抱き留めようとした。
(――逃げるな、俺自身よ。逃げてしまえば、この想いは、永遠に受け取れなくなる)
彼の全身が、光に包まれ、白く染まっていく。
「ディオ様ぁあああああああ!!」
セシリアの叫び声が、遠くに聞こえた。
(この痛みの先に、俺は、この女と本当の意味で向き合うことができるのだろうか)
そんな考えを最後に、ディアボロスの意識は、まばゆい光の奔流の中へと、深く沈み込んでいったのだった。




