第36話 魔王、死を覚悟する
「――ディオ様! この想いを、受け取ってください!」
セシリアの手の中で、まばゆい光が急速に凝縮されていく。それは、もはや魔法という言葉で片付けられるような規模のものではなかった。彼女自身の感情の昂りが、そのまま神聖魔力へと変換され、巨大な光のハートの形を成しつつあったのである。
「な――」
ディアボロスは、その光景を目の当たりにしながら、思わず後ずさった。
(あれは……惑星規模の破壊力を秘めているぞ……! あの一撃を直接受ければ、魔界どころか、この一帯の地脈そのものが崩壊しかねん……!)
彼の脳裏に、これまでの戦いの記憶が、瞬時に蘇ってきた。数多の戦場を渡り歩き、あらゆる強敵と対峙してきた彼の戦闘勘が、今まさに、生涯最大の危機を告げていた。
「せ、セシル! 待て、落ち着くのだ!」
ディアボロスは、必死に呼びかけた。だが、感情の昂りきったセシリアの耳には、もはやその声も届いていない様子だった。
「ディオ様、私、あなたのお手紙を読んで、初めて気づいたのです!」
セシリアは、涙を浮かべながら、叫ぶように続けた。
「あなたが、こんなにも情熱的に、私を想ってくださっていたなんて! 私も、同じ気持ちです! いいえ、それ以上に、あなたのことを――」
「て、手紙とは、一体なんの話だ……!?」
ディアボロスには、彼女が何を言っているのか、まったく心当たりがなかった。だが、その疑問を口にする余裕すら、今の彼には残されていなかった。
セシリアの手の中の光のハートが、既に巨大な城の規模にも匹敵するほどの大きさへと膨れ上がっていたからである。
*
「――逃げなければ」
ディアボロスの脳裏に、その考えが、真っ先に浮かんだ。
(これは、俺一人の力でどうにかできる規模の攻撃ではない。逃げる以外に、生き延びる術はない……!)
彼は、咄嗟に踵を返し、転移魔法を発動させようとした。魔界の絶対君主として培ってきた、逃走のための最速の術式である。
だが――。
彼の脳裏に、ふと一つの光景が過ぎった。
涙を浮かべながら、必死に自分の想いを伝えようとしているセシリアの姿。
その表情には、これまでの彼女の様々な感情――喜び、羞恥、怒り、そして寂しさ――が、すべて凝縮されたかのような、切実な色が浮かんでいた。
(――もし、俺がここで逃げれば、この街は……いや、この一帯は、確実に消し飛ぶ。だが、それだけではない)
ディアボロスの胸の奥に、ある考えが、静かに広がっていった。
(もし俺が逃げれば、あの女は、自分の想いを拒絶されたと思うだろう。そして――その絶望と混乱が、さらなる暴走を招くやもしれん)
彼は、発動しかけていた転移魔法を、寸前のところで止めた。
「――くそっ」
彼は、震える拳を握りしめた。
(逃げれば、俺は生き延びられるかもしれん。だが、それでは、何一つ解決しない。むしろ、事態はさらに悪化するだけだ)
彼の脳裏に、これまでのセシリアとの日々の記憶が、走馬灯のように駆け巡っていった。
光る弁当を、涙目になりながらも完食した日。噴水の前で、彼女の素直な言葉に耳を傾けた夕暮れ。試着室から出てきた自分を見て、頬を染めた彼女の表情。中庭で交わした、あの真剣な告白。
(俺は……この女のことを、いつの間にか、本当に――)
その先の言葉を、彼は、ようやく自分自身の中で、はっきりと認めることができた。
「――逃げるものか」
ディアボロスは、静かに、しかし確かな決意を込めて、そう呟いた。
*
「セシル」
ディアボロスは、迫りくる巨大な光のハートを見据えながら、その場に踏みとどまった。
「な、なんでしょうか、ディオ様!」
セシリアが、涙で潤んだ瞳のまま、彼を見つめる。
「その想い――俺が、正面から受け止めよう」
彼の言葉に、セシリアの表情が、驚きに満ちたものへと変わった。
「ディオ様……!」
「たとえ、これで俺の身がどうなろうとも、貴殿の想いから、目を逸らすことだけは、決してすまい」
ディアボロスは、両腕を大きく広げ、迫りくる光のハートを、正面から受け止める構えを取った。
魔界の絶対君主が、生まれて初めて、逃げることよりも、その場に踏みとどまることを選んだ瞬間だった。
彼の脳裏には、これから訪れるであろう凄まじい衝撃と、それに伴う痛みが、はっきりと予感されていた。
だが、それでも、彼の心は、これまでにないほど、静かで、そして確かなものだった。
「――来い!」
ディアボロスの叫びと共に、セシリアの放った巨大な光のハートが、彼の元へと、まっすぐに迫っていった。




