第33話 脳内超変換フィルター、起動
翌朝、大聖堂の自室で祈りを捧げていたセシリアの元に、一通の手紙が届けられた。
「聖女様、こちらの手紙、先ほど不思議な使いの者が届けに参りました」
見習いシスターが、少し戸惑った様子で、黒い封蝋の施された手紙を差し出した。
「あら、どなたからでしょう」
セシリアは、不思議そうに首をかしげながら、その手紙を受け取った。手にした瞬間、うっすらと不穏な気配――闇の魔力の残滓のようなものを感じ取ったが、彼女は特に気にする様子もなく、封を開けた。
「――『我が闇にて、汝の光を包み込まん』」
セシリアは、記された文字を、一字一句、丁寧に読み上げていった。
その瞬間、彼女の頭の中で、何かが、静かに、しかし確実に作動し始めた。
セシリア固有の精神的パッシブスキル――通称「脳内超変換(乙女フィルター)」である。
このスキルは、どれほど殺気立った脅迫や呪いの言葉であっても、彼女の中で「情熱的なアプローチ」や「愛の告白」へと、都合よく変換してしまう、恐るべき精神フィルターだった。
(我が闇にて、汝の光を包み込まん……。これはつまり――)
セシリアの脳内で、文字の羅列が、瞬時に再構成されていく。
(――あなたを、私の闇で優しく包み込みたい、ということでしょうか……!)
彼女の頬が、みるみる赤く染まっていった。
「わ、私の光を、包み込みたいだなんて……」
セシリアは、両手で頬を押さえながら、感極まったような声を漏らした。
*
「聖女様、いかがされましたか」
見習いシスターが、心配そうに尋ねる。
「な、なんでもありません! ただ、少し、感動してしまって……」
セシリアは、手紙の続きを、さらに丁寧に読み進めていった。
「――『その輝きも、いずれ我が手により、永遠の静寂へと導かれるであろう』」
本来であれば、対象の破滅と終焉を予告する、明確な脅迫の文言である。
だが、セシリアの脳内では、その言葉もまた、瞬時に別の意味へと変換されていった。
(永遠の静寂へと導かれる……。これはつまり――私を、永遠に、あなたの傍らで、穏やかに包み込んでくれる、ということでしょうか……!)
「な、なんて情熱的な……!」
セシリアは、手紙を胸に抱きしめながら、その場にしゃがみ込んでしまった。
彼女の脳内では、この呪いの手紙が、既に「情熱的な愛の告白」として、完全に処理されつつあった。
「あの、聖女様。その手紙、どなたからのものでしょうか」
見習いシスターが、恐る恐る尋ねた。
セシリアは、手紙の末尾に記された、闇の魔力で歪んだ署名――本来であれば「魔王軍呪術師団」と記されているはずのその文字を、じっと見つめた。
だが、彼女の脳内フィルターは、その文字すらも、都合よく解釈してしまう。
「――これは、きっと」
セシリアの瞳が、大きく見開かれた。
「ディオ様からの、お手紙です!」
*
「な、なぜ、そのように思われるのですか」
見習いシスターが、困惑した様子で尋ねる。
「だって、この手紙には、私への深い想いが、こんなにも溢れているのですから!」
セシリアは、確信に満ちた様子で、そう断言した。
彼女の脳内では、既に一つの物語が、完璧に組み上がっていた。
(ディオ様は、いつも私の前では、あまり多くを語ってくださいません。でも、本当は、こんなにも深く、情熱的に、私のことを想ってくださっていたのですね……!)
「きっと、面と向かっては恥ずかしくて言えないから、こうしてお手紙という形で、想いを伝えてくださったのですわ!」
セシリアは、手紙をぎゅっと胸に抱きしめながら、うっとりとした表情を浮かべた。
彼女の周囲では、その感激の度合いに比例するように、神聖魔力が、じわじわと漏れ出し始めていた。部屋の壁に飾られていた聖画が、光を反射してぼんやりと輝き始める。
「あ、あの、聖女様。少し、落ち着かれた方が……」
見習いシスターが、慌てて声をかけたが、セシリアの耳には、もはやその言葉は届いていなかった。
「私も、お返事を差し上げなければ! いいえ、お返事だけでなく――直接、この想いをお伝えしなければ!」
セシリアは、感極まった様子で立ち上がると、手紙を大切そうに懐にしまい込んだ。
その表情には、これまでにないほどの、強い決意と情熱が滲んでいた。
四天王たちが、魔王のために渾身の呪いを込めて送ったはずの手紙が、まったく予期せぬ形で、これから起こる大惨事の引き金となろうとしていることに、セシリア自身は、もちろん、まだ気づいていなかった。




