第31話 忠臣たちの涙
聖女セシリアとの「婚活訓練」が始まって、はや一ヶ月近くが経とうとしていた。
魔王城では、依然として四天王――脳筋の竜魔人ガルドス、妖艶な吸血鬼リリアーナ、陰気な呪術師モルディア、生真面目な魔導士ファウストが、日々ディアボロスの帰りを待ちわびていた。
「今日も、我が君は人間界に赴かれたようだな」
宰相バルトロが、静かにそう告げた。
「ええ。相変わらず、聖女様との『交渉』とやらに、身を捧げていらっしゃるご様子で」
ファウストが、書類を整理しながら頷いた。
会議室に集った四天王たちは、依然として「魔王様は魔界を守るため、身を挺して聖女に接近している」という、事実とは似ても似つかない誤解を、確固たる真実として信じ続けていた。
「しかし……」
竜魔人ガルドスが、ふと眉をひそめた。
「最近の魔王様の御姿、日に日にやつれておられるように見えるのは、私だけだろうか」
その指摘に、会議室の空気が、ぴりりと張り詰めた。
*
その日の夕刻、ディアボロスが人間界から城へと戻ってきた。
「――ただいま、戻った」
彼は、疲れきった様子でそう告げると、そのまま自室へと向かおうとした。
「お、お待ちください、魔王様!」
ファウストが、慌てて彼を呼び止めた。
「な、なんだ」
「その……失礼を承知で申し上げますが、近頃の魔王様は、随分とお痩せになられたように見受けられます。お顔色も、優れないご様子で」
ディアボロスは、思わず自分の頬に手を当てた。
(そう言われてみれば……。あの光る弁当の影響で、胃の調子が万全とは言い難いからな)
「気にするな。少々、胃の調子が優れぬだけだ」
「胃の……調子が?」
ファウストの表情が、瞬時に強張った。
「まさか、聖女様に、何か無理を強いられておられるのでは……」
「い、いや、そういうわけでは――」
「魔王様! ご無理をなさらないでください!」
会議室に控えていたガルドスが、勢いよく立ち上がった。
「あの悪魔の聖女め、我が君に一体何をしているのだ!」
「ガルドス、落ち着け」
リリアーナが、扇で口元を隠しながら、しかし目には涙を滲ませて言った。
「魔王様は、我らのために、身を犠牲にしてくださっているのです。ここで騒ぎ立てては、その尊い覚悟に泥を塗ることになります」
「し、しかし、リリアーナ殿……!」
「我らにできることは、ただ一つ。魔王様の御身をお守りするための、然るべき手立てを講じることです」
*
ディアボロスが自室へと戻った後、会議室には、四天王と宰相バルトロだけが残された。
「皆の者、聞いてくれ」
宰相バルトロが、重々しい口調で切り出した。
「魔王様のご様子は、日に日に悪化の一途をたどっている。これは、もはや看過できぬ事態だ」
「では、我々は、これからどうすれば……」
モルディアが、陰気な声で尋ねた。
「我々は、魔王様が身を挺して聖女を懐柔してくださっていることに、いつまでも甘えているわけにはいかぬ」
バルトロは、深く息を吐いた。
「魔王様が、これほどまでにやつれられるほどの心労を抱えておられるのなら――我々もまた、何らかの行動を起こすべきではないか」
「行動、とは?」
ファウストが、慎重に尋ねた。
「聖女の心を、我々の手で、少しでも懐柔できぬものか。魔王様のご負担を、少しでも軽減できるような……」
「なるほど。しかし、どのような手段が……」
四天王たちは、それぞれに思案を巡らせ始めた。
「聖女の心に、直接訴えかけるのはどうだろうか」
モルディアが、静かに提案した。
「私の呪術には、対象の精神に強く働きかける術がある。それを用いて、聖女に、我らの――否、魔王様の想いを、強く印象付けることができるやもしれん」
「ほう……。詳しく聞かせてくれ」
バルトロが、興味深そうに身を乗り出した。
*
その夜、四天王たちは、密かに集まり、一つの計画を練り始めていた。
「魔王様を救うため――ひいては、魔界の存亡を守るために、我々にできる、最後の作戦だ」
ガルドスが、涙ながらにそう宣言した。
「聖女の心を、我々の手で揺り動かし、我が君への負担を、少しでも和らげようではないか」
「賛成だ」
「私も、賛成いたします」
「では、決行しよう。魔王様のために」
四天王たちの目には、揃って忠義の涙が光っていた。
彼らのその健気な忠誠心が、これから、想像を絶する形で、更なる大惨事を引き起こすことになるとは――この時、誰一人として、予想していなかったのである。




