第30話 王子のリベンジ(車椅子にて)
イチゴのタルトによってすっかり機嫌を直したセシリアと、それを見て安堵するディアボロス。二人が教会の一室で穏やかな時間を過ごしていたところに、突如として、けたたましい車輪の音が近づいてきた。
「セシリア殿ォォォ!!」
扉が勢いよく開け放たれ、そこに現れたのは、両手両足に大仰なギプスを巻きつけ、車椅子に乗ったルミナス王子だった。
「お、王子様!? もう起き上がってよろしいのですか!?」
セシリアが、驚いた様子で立ち上がった。
「無論だ! この程度の怪我で、私が引き下がるとでも思ったか!」
ルミナス王子は、車椅子の上から、なおも気迫のこもった声で叫んだ。だが、その全身を覆う痛々しいギプスの数々が、彼の言葉の勢いとは裏腹に、事の深刻さを雄弁に物語っていた。
「先日の求婚、あのような不測の事態で中断されてしまったが、私の想いは、いささかも揺らいではおらぬ!」
彼は、車椅子の車輪を、侍従に押されながら、セシリアの元へとにじり寄った。
「セシリア殿、改めて申し上げる! 私は、諦めない!」
その悲壮なまでの決意に、周囲に居合わせたシスターたちも、思わず言葉を失っていた。
「あ、あの、王子様。まずは、お怪我を治すことを優先されては……」
「いいや! 愛する女性への想いを伝えることに、怪我の有無など関係あるまい!」
ルミナス王子は、なおも熱弁を振るい続けた。
(――この王子、なかなかの根性の持ち主だな)
離れた場所で見守っていたディアボロスは、内心で複雑な感嘆を覚えていた。骨を完膚なきまでに砕かれてなお、こうして求婚を続けようとする彼の執念には、ある種の敬意すら抱かざるを得なかった。
*
「セシリア殿、どうか、今一度、私の想いを――」
ルミナス王子が、車椅子の上から、なおも懸命に言葉を続けようとしたその時。
セシリアは、彼の熱意に対して、申し訳なさそうな、しかし確かな決意を込めた表情を浮かべた。
「王子様。そのお気持ちは、大変ありがたく思います。ですが」
「な、なんだ」
「私には、既に大切な想い人がおります。ですので、王子様のお気持ちにお応えすることは、できません」
その明確な拒絶の言葉に、会場は静まり返った。
ルミナス王子は、しばし呆然とした様子で固まっていたが、やがて、その顔に、これまでにない衝撃と落胆の色が浮かび始めた。
「な……、なんと……。まさか、この私が、振られるとは……」
彼は、がっくりと項垂れた。プライドがエベレストより高いと自称する彼にとって、この経験は、生まれて初めての挫折だったのかもしれない。
「し、しかし! 私は諦めないぞ!」
彼は、なおも気力を振り絞るようにして、そう叫んだ。
「たとえ今は振られようとも、私の情熱は、決して消えることはない! 必ずや、いつかセシリア殿の心を射止めてみせよう!」
その悲壮な決意表明と共に、彼は、侍従に命じて車椅子の向きを変えさせた。
「では、本日のところは、これにて失礼する! だが、これで終わりではないぞ!」
*
ルミナス王子が、意気揚々と(車椅子でありながら)その場を去ろうとした、まさにその時だった。
「はぁ……」
セシリアが、彼の後ろ姿を見送りながら、小さくため息をついた。
その拍子に、彼女の体から、ほんのわずかな衝撃波のようなものが、無意識のうちに放出された。
本人にとっては、ごくごく些細な、ただの深いため息に過ぎなかった。だが、その些細な吐息に込められた神聖魔力の圧は、常人のそれとは、比較にならないほどのものだったのである。
「――ぶわっ」
その衝撃波が、ちょうど廊下を進んでいたルミナス王子の車椅子を直撃した。
「な――!?」
車椅子は、車輪をきしませながら大きく傾き、そのまま勢いよく廊下を滑り出した。
「お、王子様!?」
侍従たちが慌てて追いかけようとしたが、時すでに遅く、車椅子は教会の正面扉を突き破り、そのまま外へと飛び出していった。
「ぎゃあああああああああ!!」
ルミナス王子の絶叫が、次第に遠ざかっていく。車椅子は、そのまま街道をひた走り、あっという間に地平線の彼方へと消えていったのだった。
*
呆然とその光景を見送っていたシスターたちが、恐る恐る口を開いた。
「せ、聖女様……。今のは……」
「あ……」
セシリアは、自分がやってしまったことに気づき、両手で口元を覆った。
「わ、私、また……!」
「い、いや、まあ……。王子は、頑丈な体質のようだったし、大事には至らぬだろう」
ディアボロスが、努めてフォローするようにそう言ったが、その声には、隠しきれない諦めの色が滲んでいた。
(あの様子では、王子は、しばらく戻ってこられまいな……)
こうして、諦めることを知らなかったルミナス王子のリベンジは、セシリアの何気ないため息によって、あえなく終幕を迎えることとなった。
会場に残された、彼の乗っていたはずの轍の跡だけが、この一件の顛末を静かに物語っていたのである。




