第29話 お詫びの高級スイーツ大作戦
翌日、ディアボロスは、懐にしまった「セシル専用対応マニュアル」を胸に、人間界の街へと向かった。
だが、彼が大聖堂を訪れると、そこで待っていたのは、予想外の光景だった。
「セシル、どうした。元気がないようだが」
セシリアは、教会の一室で、机に突っ伏すようにして、しょんぼりと肩を落としていた。
「あ、ディオ様……。その、王子様のお怪我のこと、やはり気になってしまって……」
彼女は、力なくそう答えた。
「王家の使者の方から、王子様のお怪我は思いのほか重く、しばらくは車椅子での生活を余儀なくされるだろうと、伺いました」
「……そうか」
「私、また力加減を誤って、大変なことをしてしまいました。王子様には、本当に申し訳ないことをしたと思っています」
セシリアは、深く落ち込んだ様子で、俯いたままだった。彼女のこうした沈んだ姿を見るのは、これまでにないことだった。
(これは……マニュアルにあった『褒める際は、行動そのものよりも、その動機や気持ちを称賛すること』の場面だろうか。いや、この場合はまず、彼女の落ち込んだ気持ちに寄り添うべきか)
ディアボロスは、内心で必死にマニュアルの内容を思い返しながら、慎重に言葉を選んだ。
「セシル。貴殿が、誰かを傷つけようと思ってやったわけではないことは、俺がよく分かっている」
「でも……」
「貴殿は、羞恥や動揺のあまり、力の加減を誤ってしまっただけだ。それは、決して悪意によるものではあるまい」
セシリアは、少し顔を上げ、ディアボロスを見つめた。
「それに」
彼は、少し言葉を選びながら続けた。
「あの状況で、貴殿があのように反応したのは――その、俺のことを、真剣に考えてくれていたが故のことでもあったのだろう」
その言葉に、セシリアの頬が、ほんのりと赤く染まった。
「そう……なのでしょうか」
「ああ。少なくとも、俺はそう思っている」
*
その様子を見ながら、ディアボロスは、密かに次の一手を思案していた。
(言葉だけでは、まだ彼女の気分は晴れきらないだろう。ここは、マニュアルにあった通り――何か、具体的な行動を示すべきだ)
彼は、しばし考え込んだ後、静かに立ち上がった。
「セシル、少し待っていてくれ。すぐに戻る」
「あ、ディオ様?」
セシリアが不思議そうな顔をする中、ディアボロスは、教会を後にすると、転移魔法で魔界へと戻っていった。
彼が向かったのは、魔王城の宝物庫の奥、代々の魔王のみが立ち入りを許された、特別な果樹園だった。
そこには、魔界でも「幻」と称されるほど希少な、深紅の輝きを放つイチゴが実っていた。魔界の濃密な瘴気と、限られた光の中でしか育たないこの果実は、その甘美な味わいゆえに、魔族の間でも垂涎の的とされる、極上の逸品である。
「これを使えば、セシルの機嫌を直せるはずだ」
ディアボロスは、丁寧にイチゴを摘み取ると、城の厨房に立ち寄り、腕利きの菓子職人に急遽指示を出し、豪奢なタルトを仕立て上げさせた。深紅のイチゴがふんだんに盛られ、繊細な生クリームで彩られた、まさに芸術品と呼ぶべき一品である。
「よし、これでいこう」
ディアボロスは、その特製タルトを丁寧に箱に詰めると、再び転移魔法で人間界へと戻った。
*
「セシル、待たせたな」
ディアボロスが、箱を手に教会へと戻ると、セシリアは、まだ沈んだ表情のまま椅子に座っていた。
「これを、貴殿に」
彼は、箱をそっと机の上に置き、蓋を開けてみせた。
「わあ……!」
その瞬間、セシリアの目が、大きく見開かれた。深紅の輝きを放つイチゴが、まるで宝石のように盛られたタルトに、彼女は思わず息を呑んだ。
「これは……とても綺麗な、イチゴのタルトですね……!」
「魔界――もとい、遠方でしか採れぬ、希少なイチゴを使っている。貴殿の元気がないようだったから、少しでも力になればと思ってな」
「ディオ様……」
セシリアは、感激した様子で、そのタルトを見つめた。
「いただいても、よろしいでしょうか」
「もちろんだ」
セシリアは、一切れをフォークで掬い上げ、口へと運んだ。
その瞬間、彼女の表情が、みるみる輝きを取り戻していった。
「――美味しい! とても、美味しいです、ディオ様!」
彼女は、頬に手を当てながら、感激した様子でそう叫んだ。
「このイチゴ、これまで食べたどんな果実よりも、甘くて、濃厚で……! こんなに美味しいものが、この世にあったのですね!」
先ほどまでの沈んだ表情は、既にどこかへと消え去っていた。セシリアは、次から次へとタルトを口に運びながら、幸せそうな笑みを浮かべている。
その様子を見ながら、ディアボロスは、密かに安堵の息をついた。
(――成功、か。マニュアルの効果は、確かにあったようだな)
彼は、自分の作戦が功を奏したことに、内心で小さな達成感を覚えていた。
だが同時に、これほど単純に機嫌を直してしまう彼女の様子に、一抹の呆れにも似た感情も抱かずにはいられなかった。
(餌付け、とでも言うべきだろうか。この様子では、次に何か問題が起きた際も、このタルト一つで解決してしまいそうだな)
「ディオ様、本当にありがとうございます! おかげで、すっかり元気が出ました!」
セシリアは、満面の笑みでそう言った。その笑顔を見て、ディアボロスもまた、自然と口元を緩めるのだった。




