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第28話 魔王、深夜の読書会(生存戦略)

魔王城に戻ったディアボロスは、その足で自室に籠もると、机の上に山のように積まれた本の数々に目を落としていた。


「恋する乙女の心理学」「必勝!女心の掴み方」「なぜ彼女は怒るのか――男が知らない一〇〇の理由」


いずれも、侍従に命じて人間界から急遽取り寄せさせた、恋愛指南書の類である。魔界の絶対君主が、深夜、蝋燭の明かりの下で真剣にこれらの書物と向き合っている姿は、傍から見れば、これ以上ないほど滑稽な光景だっただろう。


「まったく……。俺ともあろう者が、なぜこのようなことを……」


ディアボロスは、自嘲めいた呟きを漏らしながらも、ページをめくる手を止めることはなかった。


「なぜ怒らせた!? どうすれば機嫌が直る!? 次は俺の骨が折れる!」


彼は、一冊の本の見出しを声に出して読み上げながら、思わず身震いした。


「これだ……。これこそが、俺が今、最も知りたい情報だ」


彼は、真剣な眼差しでページをめくり続けた。


 



 


「ふむ……。『女性が怒る時、その多くは、話を聞いてもらえていないと感じた時である』、か」


ディアボロスは、ぶつぶつと呟きながら、要点をメモに書き留めていく。


「つまり、俺がセシルの話に、より真剣に耳を傾ければよいということか」


彼は、次のページをめくった。


「『褒め言葉は、具体的であればあるほど効果的』……。なるほど、これは参考になる」


「『デートの後は、相手が無事に帰宅したかを気遣うメッセージを送るとよい』……」


ディアボロスは、一つ一つの項目を、まるで戦の作戦を練るかのような真剣さで吸収していった。彼のこれまでの人生において、恋愛という分野は、完全に未知の領域だった。だからこそ、彼はこの未知なる敵――もとい、未知なる課題に対して、持てる限りの知略を総動員しようとしていたのである。


「しかし……」


彼は、ふと本を閉じ、深く息を吐いた。


「これらの助言は、あくまで一般的な人間の女性を想定したものであろう。セシルは、その、少々――いや、かなり特殊な存在だ」


彼は、これまでのセシリアとの日々を思い返した。


石畳を粉砕するステップ。上着を引き裂く力加減。素手でナイフを握り潰す膂力。そして、王子の手の骨を完膚なきまでに砕いた握力。


「一般的な恋愛指南書の知識だけでは、到底対応しきれまい……」


ディアボロスは、腕を組み、しばし黙考した後、一つの結論に至った。


「ならば――俺自身が、セシル専用の対応マニュアルを作成するしかあるまい」


彼は、新しい紙を取り出すと、そこに丁寧な文字で書き記し始めた。


「一、感情が高ぶった際は、まず深呼吸を促すこと」

「二、褒める際は、行動そのものよりも、その動機や気持ちを称賛すること」

「三、彼女が何かを『やってしまった』際は、まず結果を咎めるのではなく、その意図を汲むこと」

「四、不用意に他の異性の話題を振らないこと」


書き進めるうちに、彼のペンは、次第に迷いのないものへと変わっていった。


 



 


夜が更けていく中、ディアボロスは、自らが書き記したマニュアルを、改めて見返していた。


「四番目の項目は……。まあ、王子のような存在との比較を、二度と口にしない、ということだな」


彼は、その一文を見つめながら、先日の中庭での自分自身の告白を思い出した。


(――貴殿が、俺以外の誰かのものになるという想像だけで、胸が締め付けられるような感覚を覚えたのだ)


あの言葉を口にした瞬間の、自分自身の心境を思い返すと、ディアボロスは、なんとも言えない気恥ずかしさを覚えた。


「……俺は、一体、いつからこのような感情を抱くようになったのだ」


彼は、独り言のように呟きながら、窓の外に広がる夜空を見上げた。


魔界の空には、人間界のものとはまた違う、深い紅色の星々が瞬いている。その光を眺めながら、ディアボロスは、これまでの自分の人生を振り返った。


魔界の絶対君主として、常に冷静沈着に、合理的な判断のみを下してきた自分。そんな自分が、たった一人の少女の存在によって、これほどまでに感情を揺さぶられる日が来るとは、半年前の彼には、想像すらできなかったことだった。


「まあ、いい」


彼は、静かにそう呟くと、書き上げたマニュアルを丁寧に折りたたみ、懐にしまい込んだ。


「明日からは、このマニュアルを胸に、より万全の態勢で、あの女と向き合うとしよう」


魔王としての威厳など、もはやどこかに置き忘れてしまったかのような、この深夜の読書会。だが、その真剣な取り組みの中には、確かに、彼なりの不器用な誠意が込められていたのだった。


蝋燭の火が、静かに揺れる中、ディアボロスは、明日という日への決意を新たにしながら、ようやく眠りについたのだった。

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