第27話 裏切り者を見る目
騒動が一段落し、大聖堂の広間から人々が三々五々引き上げていく中、セシリアとディアボロスは、教会の裏手にある静かな中庭へと移動していた。
「あの、ディオ様……」
セシリアが、俯きがちに口を開いた。彼女の頬は、いまだうっすらと赤みを帯びたままである。
「先ほどは、その、大変な騒ぎになってしまい、申し訳ございませんでした」
「いや……。まあ、王子には、その、災難だったとしか言いようがないが」
ディアボロスは、努めて平静な口調でそう答えた。だが、その内心では、依然としてあの、正体を掴みきれない感情が渦巻いていた。
「あの……。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
セシリアが、意を決したように顔を上げた。その瞳には、これまでにない、真剣な光が宿っていた。
「な、なんだ」
「ディオ様は、私が王子様と結ばれることを、本当に望んでいらっしゃったのですか?」
その問いかけに、ディアボロスは、思わず言葉に詰まった。
(――どう答えるべきだ)
彼は、これまで自分自身に言い聞かせてきた「合理的な理由」を、改めて頭の中で並べ立てようとした。王家との縁談、生存戦略、婚活の練習相手としての役目――だが、その言葉のどれもが、今のセシリアの真剣な眼差しの前では、空虚に響くように感じられた。
「その……」
「私、王子様に求婚された時、少しも胸が高鳴りませんでした」
セシリアは、ディアボロスの返答を待たずに、静かに続けた。
「素敵な言葉をかけていただいて、綺麗な指輪も見せていただいて。それなのに、私の心は、少しも動かなかったのです」
「……そうか」
「なのに、その時ふと目に入ったディオ様が、あまりにも落ち着いた顔をされているのを見て――」
セシリアの声が、わずかに震えた。
「なぜか、無性に、腹立たしくなってしまったのです。私が他の殿方に求婚されているというのに、ディオ様は、まるで他人事のように、平然とされていて」
「それは……」
「その苛立ちのせいで、王子様の手を、あんなに強く握り返してしまったのだと思います」
セシリアは、そこまで言うと、真っ直ぐにディアボロスを見つめた。
「ディオ様。あなたは、本当に、私と王子様が結ばれることを望んでいらっしゃったのですか」
*
その真っ直ぐな問いかけに、ディアボロスは、しばし言葉を失っていた。
(――これ以上、誤魔化すことはできぬ、ということか)
彼は、深く息を吐いた。
「――正直に言おう」
彼は、覚悟を決めたように、静かに口を開いた。
「俺は、貴殿と王子の縁談が進めば、この命がけの婚活訓練から解放されると考えていた。それは、事実だ」
「……」
「だが」
彼は、一拍置いてから、続けた。
「王子が貴殿に求婚するのを見ていた時、俺の中に湧き上がってきたのは、安堵ではなかった」
セシリアが、息を呑んで彼の言葉を待つ。
「王子が貴殿の手に口づけようとした瞬間――俺は、正直、それを見ていることが、耐え難かった」
その告白に、セシリアの瞳が、みるみる大きく見開かれていった。
「ディオ様……」
「なぜそう感じたのか、俺自身、まだうまく言葉にできずにいる。だが」
ディアボロスは、初めて素直な言葉で、自分の内心を打ち明けた。
「貴殿が、俺以外の誰かのものになるという想像だけで、胸が締め付けられるような感覚を覚えたのだ」
沈黙が、中庭に流れた。
セシリアは、頬を真っ赤に染めながら、両手を胸の前で握りしめていた。だが、その表情は、これまでの羞恥だけではなく、ほんのりとした喜びも滲んでいるように見えた。
「その……」
彼女は、震える声で、そっと呟いた。
「では、まだ、裏切り者ではない、ということでしょうか」
「――ああ。むしろ、裏切っていたのは、俺自身の本心の方だったのかもしれん」
その言葉に、セシリアは、思わず小さく微笑んだ。
「それを聞けて、安心いたしました」
セシリアは、ほっとしたように微笑んだ。だが、その笑みの端に、ふと悪戯っぽい色が差した。
「では、これからは、他の殿方が私に求婚されるような場面では、もっとはっきりとご自分のお気持ちを示していただかないと、困りますね」
「そ、それは……」
「今日のように、平然としたお顔をされていたら、また誤解してしまうかもしれません。次に同じようなことがあれば、私、今度こそ本気で拗ねてしまいますよ」
セシリアは、頬を膨らませながら、そう言った。冗談めかした口調ではあったが、その言葉には、確かな圧を感じさせるものがあった。
「わ、分かった。以後、気をつける」
ディアボロスは、そう答えながらも、内心で冷や汗を流していた。
(この女を『本気で拗ねさせる』とは、一体どのような事態を招くのだ……。想像するだけで、恐ろしい)
彼の脳裏に、これまでの数々の惨状――粉砕された王子の手、消し飛んだ石畳、溶解した下級魔族たちの姿が、次々と蘇ってきた。
(このまま、無知のままではいられぬ。人間の恋愛というものを、もっと真剣に、体系的に学ばねば……! 次に彼女を怒らせれば、今度は俺の骨が折れる番かもしれん……!)
そう考えると、ディアボロスの背筋に、冷たいものが走った。
「セシル、俺は少し、魔王城に戻って調べ物をする。今日のところは、これで失礼する」
「あら、そうなのですか。分かりました。またお会いできるのを、楽しみにしております!」
セシリアの屈託のない笑顔を背に、ディアボロスは、逃げるようにその場を後にした。
その足取りは、まるで戦場に赴く兵士のように、切実な使命感に満ちていたのだった。




