第26話 粉砕・玉砕・大喝采
大聖堂の広間は、いまだかつてない混乱の渦中にあった。
「王子様! 王子様、しっかりなさってください!」
侍従たちが、白目を剥いて泡を吹いたルミナス王子を担架に乗せ、慌ただしく運び出していく。彼の右手は、あらぬ方向に折れ曲がり、見るも痛々しい有様だった。
「く、国王陛下にご報告を!」
「医師団を至急招集せよ! 骨接ぎの名医も呼び寄せるのだ!」
会場は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、教会関係者も、招待客の貴族たちも、誰もがこの前代未聞の事態にどう対応すべきか分からず、右往左往していた。
その騒乱の中心で、セシリアは、握り潰した感触の残る自分の右手を見つめながら、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「わ、私、また……」
彼女の脳裏には、これまでの数々の失敗が、走馬灯のように蘇っていた。石畳の崩壊、上着の破損、そして今度は、一国の王子の手の骨を、完膚なきまでに粉砕してしまったのである。
「せ、聖女様……。あの、大変申し上げにくいのですが」
近くにいたシスターが、恐る恐る声をかけた。
「王子様の右手は、その、指先から手首に至るまで、粉々に……」
「わ、分かっています……! 私が、力加減を誤ってしまったせいです……」
セシリアは、今にも泣き出しそうな顔で、両手で顔を覆った。
*
一方、会場の隅では、事態の異様さに反して、奇妙な現象が起きつつあった。
「い、今の見たか? 王子様が、聖女様に求婚した瞬間に――」
「握手を返されただけで、あの粉砕音……。恐ろしい……」
会場に集まっていた人々の間から、恐怖とはまた違う、ざわめきが広がり始めていた。
「しかし、考えてみれば凄まじいお力だ……。あれほどの威力の握力とは」
「まさに、世界最強の聖女様の名に恥じぬ、規格外のお力ですな」
やがて、その驚愕は、次第に別の感情へと転じていった。
「それにしても、王子様も、随分と大胆な求婚をなさったものだ」
「ああ見えて、聖女様は本気で照れていらっしゃったのだろう。手を握り返すほど、動揺されるとは」
「なんと初々しい……。まさに、恋する乙女の一途さの表れというものですな」
会場の一部からは、いつしか奇妙な拍手や歓声すら上がり始めていた。
「聖女様、お気になさらず! 王子様も、きっとご本望でしょう!」
「ここまで情熱的な反応をいただけるとは、王子様も果報者ですな!」
会場は、事故の深刻さとは裏腹に、次第に「聖女の激しい照れ隠し」という、事実とは似ても似つかない、感動的な物語として消化されつつあった。
セシリアは、その様子に困惑しながらも、周囲の温かい(?)眼差しに、思わず身を縮こまらせるしかなかった。
(皆様、なぜか喜んでいらっしゃるようですが……。これは、本当に喜ばしいことなのでしょうか……)
*
一方、会場の隅に控えていたディアボロスは、この一連の騒動を、複雑な胸中で見つめていた。
(王子の手の骨が、完膚なきまでに粉砕された……。これは、由々しき事態のはずだが――)
彼の内心には、これまで感じたことのない、奇妙な感情が渦巻いていた。
表向きは、事態の深刻さを案じる冷静な態度を保っていたが、その胸の奥底では、隠しきれない安堵にも似た感情が、静かに広がっていたのである。
(――いや、これはよくない兆候だ。王子が負傷したことに、安堵を覚えるなど)
彼は、その感情に気づいた瞬間、思わず自分自身に戦慄した。
(俺は、一体何を喜んでいるというのだ。これでは、まるで――)
その先の言葉を、彼はあえて口にすることを避けた。だが、心のどこかでは、その正体に薄々気づき始めていた。
セシリアが、羞恥と困惑の入り混じった表情で、こちらをちらりと見つめてくる。その視線には、先ほどまでの非難の色は、少しばかり和らいでいるように見えた。
(あの視線は……)
ディアボロスは、思わず視線を逸らした。この場で彼女と目を合わせれば、自分の内心にある感情が、そのまま顔に出てしまいそうな気がしたからだった。
騒然とする会場の中、意識を失ったルミナス王子が担架で運び出されていく光景を見送りながら、ディアボロスは、これから自分たちの関係が、どのような方向へと向かっていくのか、漠然とした予感を抱いていた。




