第25話 照れ隠しの握力
「セシリア殿、いかがされた」
指輪から手を遠ざけようとするセシリアの様子に、ルミナス王子は怪訝そうな表情を浮かべた。
「あ、いえ、その……」
セシリアは、慌てて言葉を探した。会場中の視線が集まる中、はっきりと断りの言葉を口にすることも、かといってこのまま指輪を受け取ることも、彼女にはできそうになかった。
その逡巡を、ルミナス王子は都合よく解釈したらしい。
「ふふ、照れていらっしゃるのだな。無理もない。これほどの求婚を受ければ、誰しも動揺するというもの」
彼は、自信満々にそう言うと、セシリアの手を取り、恭しく跪いたまま、その甲へと顔を近づけた。
「――どうか、この口づけをもって、私の想いの証としてほしい」
その仕草は、まさに絵物語から抜け出てきたような、洗練された求婚の一場面だった。
会場の人々は、うっとりとした表情でその光景を見守っている。
だが、セシリアの胸中は、まったく別の感情で満たされていた。
(――どうしましょう。この状況、恥ずかしくて、たまりません)
彼女の顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
そして、その羞恥心に追い打ちをかけるように、もう一つの感情が、彼女の胸の内に湧き上がっていた。
(それに――ディオ様は、なぜあんなに落ち着いた顔をしていらっしゃるのでしょう。私が、他の殿方に求婚されているというのに……)
会場の隅で、あくまで冷静な表情を崩さないディアボロスの姿を思い出すと、なぜか胸の奥が、もやもやとした苛立ちで満たされていくのを、セシリアは感じていた。
(婚活の練習相手だからと、応援してくださっているのは分かります。でも……。もう少し、何か、言ってくださってもよいのではないでしょうか)
その羞恥と苛立ちが入り混じった感情の昂りが、彼女の指先に、無意識のうちに力を込めさせてしまった。
*
ルミナス王子の唇が、セシリアの手の甲に触れようとした、まさにその瞬間。
セシリアは、恥ずかしさとイライラのあまり、思わず、握り返すようにその手に力を込めてしまった。
「――パキパキピキィッ!!」
会場に、鈍く、しかし確かな破砕音が響き渡った。
「――っ、な、なんだこの音は――」
ルミナス王子が、疑問の声を上げようとした矢先、彼の顔が、みるみる蒼白に変わっていった。
「ぎ、ぎゃあああああああああ!!」
耳をつんざくような絶叫が、大聖堂の広間に響き渡った。
ルミナス王子の右手――セシリアに握られていたその手の骨が、指の先から手首に至るまで、綺麗に、そして完膚なきまでに粉砕されていたのである。
「な――なんですって!?」
「王子様の、お手が――!」
会場は、瞬時に大混乱に陥った。
ルミナス王子は、白目を剥き、口から白い泡を吹きながら、そのまま後方へと崩れ落ちた。壇上に控えていた騎士や侍従たちが、慌てて彼の元へと駆け寄っていく。
「へ、陛下をお呼びしろ! 医師も、急いで手配を!」
「一体、何が起きたのだ!?」
会場中がパニックに包まれる中、セシリアだけが、握り潰した感触の残る自分の手を見つめながら、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「あ……。あ、あの……」
彼女は、震える声で、周囲の様子を見回した。
(や、やってしまいました……! また、力加減を……!)
*
騒然とする会場の中、セシリアは、モジモジと落ち着かない様子で、両手を体の前で握りしめていた。羞恥のあまり、目の焦点も定まっていない。
「あ、あ義がど怒……」
彼女は、消え入りそうな声で、そう呟いた。「ありがとうございます」と言おうとして、あまりの恥ずかしさに、言葉が上滑りしてしまったらしい。
だが、その視線は、しっかりとディアボロスの方へと向けられていた。
その眼差しには、羞恥だけでなく、明らかな非難の色も込められていた。
(――私を、他の男に譲ろうとしましたね?)
セシリアの視線が、そう雄弁に語っていた。
ディアボロスは、その視線を受けて、思わず身を強張らせた。
「な――」
彼は、これまで自らが「キューピッド」として振る舞ってきたことを、彼女がどう受け止めていたのかを、その瞬間、はっきりと悟った。
(まずい……。この視線は、明らかに――裏切り者を見る目だ……!)
会場の混乱をよそに、ディアボロスとセシリアの間に流れる空気だけが、これまでとはまったく違う、緊迫したものへと変わっていくのを、彼は肌で感じ取っていた。
意識を失ったルミナス王子が、担架で運ばれていく光景を横目に、ディアボロスは、これから自分に降りかかるであろう、新たな「胃痛の種」を予感し、そっと額に手を当てるのだった。




