第3話 魔王、優雅なティータイムを中断される
魔王城最深部、玉座の間。
漆黒の髪に紅蓮の瞳を持つ美丈夫が、玉座に深く腰掛け、優雅にティーカップを傾けていた。
魔界の絶対君主、魔王ディアボロス。その端正な顔立ちは、魔族と人間の区別なく誰をも魅了するほどに整っている。
「ふむ、今日の茶葉はなかなか香りがいいな」
ディアボロスは満足げに呟いた。
彼の統治下、魔界は長きにわたり人間界との戦いを優勢に進めてきた。少なくとも、半年前までは。
「陛下。本日の政務報告書でございます」
側近の一人が恭しく書類を差し出す。ディアボロスはそれを受け取りながら、ふと窓の外を見た。
かつて威容を誇った魔界の防衛拠点の多くが、今や瓦礫と化している。原因はただ一つ。
(――あの化け物聖女め)
半年前、突如として現れた人間界の大聖女セシリアが、たった一人で魔界の主要防衛線を次々と壊滅させていったのだ。
最初は「精鋭部隊の急襲」かと思われたが、蓋を開けてみれば実行犯は少女一人。
その報告を受けた時、ディアボロスは我が耳を疑ったものである。
「まったく、今のところ本城には近づいてきていないのが不幸中の幸いだな」
ディアボロスは呑気にそう呟き、ティーカップに口をつけた。
その時だった。
「へ、陛下ぁあああああ!!」
血相を変えた伝令兵が、玉座の間の扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできた。
「な、なんだ騒々しい。茶が冷めるだろうが」
「そ、それどころではございません! せ、正門が……グロム様とヴァルク様が……!」
「落ち着け。何があった」
「て、敵襲です! 例の大聖女が――正門の守護結界ごと、たった一撃で消し飛ばして、今まさに城内に侵入してきております!!」
ディアボロスの手からティーカップが滑り落ち、床で粉々に砕けた。
「……は?」
「せ、聖女が、単身で、この魔王城に、攻めてきております!!」
「ま、待て待て待て。あの化け物が、なぜよりによって本城に……!?」
これまで人間界の脅威は、あくまで前線の防衛拠点への散発的な攻撃だと思われていた。まさか、本丸である魔王城そのものへ、単身で乗り込んでくるとは誰も予想していなかった。
「至急、全軍を招集し――」
「陛下、間に合いません! すでに聖女は城内に――」
伝令兵の言葉が終わるより早く、遠くから「ドオオオオン!」という轟音と共に、城全体が大きく揺れた。
「な、な、な……」
ディアボロスは玉座から立ち上がり、思わず後ずさった。彼ほどの魔王が、である。
「今の音は……!?」
「て、廊下の防衛部隊が……全滅した模様です……」
さらに轟音が響く。今度は先ほどより近い。
「一部隊が……いえ、二部隊目も……三部隊目もっ……!」
まるで巨大な力の奔流が、城の奥へ奥へと一直線に迫ってくるかのような轟音の連続。
魔王軍が誇る精鋭たちが、まるで紙細工のように蹴散らされていく。
「バカな……我が軍の精鋭たちが、まるで時間稼ぎにすらなっていない……!?」
ディアボロスは冷や汗を流しながら、玉座の間の扉を見つめた。
そして――ついにその扉が、内側から爆ぜるように吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める土煙。
その中から、ゆっくりと一人の少女が姿を現す。
プラチナブロンドの髪、儚げな聖碧の瞳。血の匂いすら漂う戦場の跡から歩み出てきたとは思えぬほど、穏やかで、無垢な笑顔を浮かべている。
「――こんにちは。魔王様、ですよね?」
セシリアは、にっこりと微笑んで一礼した。
その足元には、彼女が今しがた蹴散らしてきたであろう魔王軍精鋭たちの残骸――もとい、彼らが装備していた武具の破片が、あちこちに散らばっている。本人たちの姿は、影も形もない。
ディアボロスは、生まれて初めて、心の底から恐怖というものを味わっていた。
(な、なんだこの女は……! 笑いながら軍を全滅させてきただと……!? しかも、悪気が一切感じられない……!)
「初めまして。私、聖ルスニア王国大聖女、セシリアと申します」
セシリアは胸に手を当て、丁寧にお辞儀をした。まるで社交界の挨拶のような優雅さである。
「本日は、あなた様に大切なお話がございまして、参上いたしました」
ディアボロスは、玉座の後ろにじりじりと後ずさりながら、震える声で問いかけた。
「……その、話とは」
セシリアは満面の笑みを浮かべ、両手を組んで胸の前に持ってきた。
まるで恋する乙女のような、輝かんばかりの表情で。
「私の愛を、受け取っていただきたいのです」
その言葉と共に、彼女の掌に、まばゆい神聖光が凝縮されていくのを、ディアボロスは呆然と見つめることしかできなかった。




