第21話 神の国からの押し売り
「普通のデート」訓練が始まって数日が経ち、ディアボロスとセシリアの奇妙な関係は、それなりに軌道に乗りつつあった。
もっとも、「軌道に乗る」とは言っても、街の一角が半壊したり、露店の商品が消し飛んだりする頻度が、初日に比べて多少減った程度のことである。ディアボロスの胃は、相変わらず慢性的な痛みを抱えたままだった。
その日、セシリアは久方ぶりに聖ルスニア王国の大聖堂へと戻り、教会の業務に当たっていた。魔王城でのデート訓練とはいえ、彼女とて本業を完全に放棄しているわけではない。
「聖女様、本日は珍しく機嫌がよろしいようですね」
見習いシスターが、そう声をかけた。
「ええ、実はですね――」
セシリアが、頬を染めながら何かを語ろうとしたその時、大聖堂の正面広間に、けたたましいラッパの音と共に、豪奢な馬車が乗り付けてきた。
「な、なんでしょう、あの馬車は……」
金銀の装飾が施された馬車の扉が開くと、そこから降り立ったのは、金髪を縦ロールに整えた、きらびやかな身なりの青年だった。背後には、まるで薔薇の花びらが舞っているかのような錯覚を、周囲に与えるほどの自信に満ちた佇まいである。
「私こそ、聖ルスニア王国第一王子、ルミナス!」
青年は、大聖堂の広間に響き渡るほどの声量で名乗りを上げた。
「本日は、世界最強にして、この世で最も美しき大聖女セシリア殿に、大切な用件があって参上した!」
その場に居合わせた人々が、一斉にざわめいた。
「王子様が、聖女様に……?」
「まさか、あの噂は本当だったのか」
*
セシリアは、突然の来訪者を前に、困惑した表情を浮かべていた。
「あの、ルミナス王子。本日は、どのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか」
「決まっている」
ルミナス王子は、自信満々に胸を張り、腰に手を当てながら宣言した。
「世界最強の聖女に相応しいのは、次期国王たるこの私をおいて他にいない。セシリア殿、私の妃として、迎え入れたいのだ」
会場に、驚きのどよめきが広がった。
「せ、聖女様が、王妃に……!」
「なんと名誉なことでしょう!」
周囲の人々は、色めき立って歓声を上げたが、当のセシリアは、複雑な表情を浮かべたまま黙り込んでいた。
(求婚……。これは、まさに『普通の恋』の一場面なのでしょうか……。でも――)
彼女の脳裏に浮かんだのは、意外にも王子の顔ではなく、変装した黒髪のディアボロスの姿だった。
(なぜでしょう。こういう場面では、もっと胸が高鳴るはずなのに……)
「セシリア殿、いかがか。私の妃として、共に人間界に平和と繁栄をもたらそうではないか」
ルミナス王子は、自信たっぷりの笑みを浮かべながら、そう畳みかけた。彼にとって、この求婚が断られるなどという可能性は、微塵も想定されていないようだった。
「あの、その……大変光栄なお申し出ではございますが」
セシリアは、慎重に言葉を選びながら答えた。
「実は、私にはすでに、婚活の練習相手が――」
「ん? 婚活の練習相手、とは何のことだ?」
ルミナス王子は、怪訝そうに眉をひそめた。
「ええと、その……普通の恋を学ぶために、共にデートの練習をしている、いわば仮のお相手が、おりまして」
「なんと! つまり、正式な婚約者ではないということだな! ならば問題あるまい!」
ルミナス王子は、都合よく解釈し、満面の笑みを浮かべた。
「その練習相手とやらが誰であろうと、私が本物の恋を教えて差し上げようではないか! さあ、日を改めて、正式に求婚の場を設けようではないか!」
その強引な物言いに、セシリアは思わず言葉を失った。
「あ、あの、王子様……」
「では、三日後! この大聖堂にて、盛大な求婚の儀を執り行う! 皆の者、しかと支度をせよ!」
ルミナス王子は、こちらの返事を待つことなく、一方的に宣言すると、優雅な足取りで馬車へと戻っていった。
*
残されたセシリアは、しばし呆然とその場に立ち尽くしていた。
(三日後に、求婚の儀……。どうしましょう。ディオ様に、相談しなければ)
彼女は、慌てて魔王城への転移準備を整え始めた。
その頃、魔王城では、ディアボロスが四天王からの報告書に目を通しながら、平穏な午後を過ごしていた。もっとも、その平穏がまもなく終わりを告げることになるとは、彼はまだ知る由もなかった。
「ディオ様! 大変です!」
セシリアが、転移魔法陣から慌てた様子で飛び出してきた。
「な、なんだ、どうした」
「人間の国の第一王子様が、私に求婚しに来られました! しかも、三日後に、正式な求婚の儀を執り行うと……!」
その報告に、ディアボロスは思わず持っていた書類を取り落としそうになった。
「――王子が? 貴殿に、求婚だと……?」
彼の胸の奥に、これまで感じたことのない、ちくりとした感覚が走った。それが何であるのか、この時のディアボロスには、まだ正確に言い当てることができずにいた。
「はい……。あの、どうしたらよいでしょうか」
セシリアの不安げな瞳を見つめながら、ディアボロスは、複雑な感情を押し殺すように、静かに考えを巡らせ始めるのだった。




