表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/31

第15話 空気を読めない下級魔族

悲鳴が響いた瞬間、ディアボロスとセシリアは同時に立ち上がった。


公園の入り口の方角から、黒い靄のような影が幾つも湧き上がり、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。


「あれは……下級魔族!」


ディアボロスは、その姿を見て眉をひそめた。角の生えた小鬼のような魔族たちが、十体ほど群れをなして街に侵入してきていたのだ。


(なぜこんな場所に下級魔族が……。まさか、俺が城を留守にしている間に、統制が緩んだせいで、はぐれ者どもが人間界に迷い込んだのか……! いや、それとも――)


彼の脳裏に、一つの可能性がよぎった。


(まさか、四天王どもが、俺を捜索するために放った偵察部隊が、統制を外れて暴走したのではあるまいな……)


もっとも、この時のディアボロスには知る由もなかったが、四天王たちは彼が「聖女とのハニートラップ作戦」に身を投じていると信じ込み、あえて手出しをせずに見守っている最中だった。目の前の下級魔族の群れは、単に統率の乱れた野良の魔族が、たまたま人間界との境界の綻びから迷い込んできただけの、まったくの偶発事だったのである。


「大変です! あの魔族たちを、なんとかしなければ!」


セシリアが、既に臨戦態勢に入りかけている。ディアボロスは、慌ててそれを制した。


「ま、待て、セシル! ここは俺が――」


彼は、変装を保ったまま、目立たぬ形で事態を収拾しようと考えていた。魔王としての力を密かに使い、正体を悟られぬよう、素早く片付けてしまえばいい――そう算段していたのだが。


「しかし、あのままでは、街の人々が危険です!」


「分かっている! だからこそ、俺が――」


二人が言い合っている間にも、下級魔族たちは、逃げ惑う人々を追い立てながら、露店の品を蹴散らし、暴れ回っていた。


「ぎゃはは! 人間ども、恐れおののけ!」


下級魔族の一体が、下品な笑い声を上げながら、逃げ遅れた老人に向かって手を伸ばした。


「――っ! させるか!」


ディアボロスは、咄嗟に指先に魔力を集中させた。変装を保ったまま、目立たぬ範囲で牽制の一撃を放つつもりだった。だが、彼が魔法を発動させるよりも早く、事態は思わぬ方向へと動いた。


下級魔族の一体が、逃げ惑う母子連れに向かって鋭い爪を振りかざした。


「ひっ……!」


母親が、子供を庇うように抱きしめ、恐怖に顔を歪める。


「――しまった!」


ディアボロスは、変装のことも忘れかけながら、咄嗟に駆け出そうとした。正体を晒す危険を冒してでも、この場は自分の手で片付けねばならない――そう判断してのことだった。


だが、彼が一歩を踏み出すよりも早く、隣に立っていたはずのセシリアの気配が、すうっと変わった。


彼女の表情から、先ほどまでの穏やかな笑みが消えている。代わりに浮かんでいたのは、静かな、しかし底知れぬ怒りの色だった。


「――子供に、刃を向けるなんて」


セシリアの体から、これまでとは比較にならないほど濃密な神聖魔力が、噴水のように立ち昇り始めた。周囲の空気がびりびりと震え、公園の木々の葉が一斉に逆立つ。噴水の水までもが、彼女の魔力に共鳴するように、逆巻くように立ち上り始めた。


「せ、セシル……?」


ディアボロスは、思わず足を止めた。彼女のこれほどまでに冷たい怒りの気配を見るのは、初めてのことだった。


(まずい……! これは、これまでの『無自覚な暴走』とは、種類が違う……! この女は、本気で怒ると、こうなるのか……!)


これまで彼が目にしてきたセシリアの「破壊」は、あくまで無自覚な、悪気のないものばかりだった。石畳を砕いたのも、上着を破いたのも、すべて彼女自身が意図したものではない。


だが、今、彼女の瞳に宿っているのは、明確な意志――守るべきものを傷つけられたことへの、純粋な怒りだった。


(無自覚の暴走が恐ろしいと思っていたが……本気で怒った時の、この女は――)


ディアボロスの背筋に、これまでとは種類の違う冷たいものが走った。


セシリアは、懐から取り出した大ぶりの水瓶――普段から携帯している「聖水」の入った瓶を、静かに、しかし確かな怒気を込めて、両手で持ち上げた。


「私たちの、甘い時間を――」


彼女は、下級魔族たちを真っ直ぐに見据えながら、低く、しかしはっきりとした声で告げた。


「――邪魔しないでください」


その静かな声音は、これまでの彼女の口調とはまるで違い、聖女としての威厳すら感じさせるものだった。街の人々は、その気迫に思わず息を呑み、逃げる足を止めて見入ってしまうほどだった。


その瞬間、瓶の中身が、彼女の意志と共に大きく波打ち始めるのを、ディアボロスは呆然と見つめることしかできなかった。


彼の脳裏には、これから何が起こるのか、おおよその予測がついていた。だが同時に、それを止める術も、止める理由も、今の彼にはなかった。


(止められるものなら、止めたい。だが――)


彼は、目の前の少女の横顔を見つめた。


そこにあったのは、無自覚な聖女でも、恋する乙女でもない。ただ、守るべき者を守ろうとする、一人の強者の顔だった。


(この女は……本当は、こういう顔もできるのだな)


その事実が、ディアボロスの胸に、これまでとは違う種類の感情を静かに芽生えさせていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ