第13話 発光するお弁当(怨嗟の声付き)
昼時が近づき、二人は街外れの公園にやってきた。緑豊かな木々が並び、噴水の周りには家族連れやカップルが穏やかに過ごしている、平和な光景である。
「ディオ様、こちらへどうぞ!」
セシリアは、ベンチに敷いた布の上に、大きな包みを広げた。その手つきには、並々ならぬ気合が感じられる。
「実は、少女漫画で読んだんです。恋人のために、手作りのお弁当を用意するシチュエーションを。ですので、今朝、腕によりをかけて作ってまいりました!」
「ほ、ほう。それは、楽しみだ」
ディアボロスは、そう答えながらも、内心では言い知れぬ不安を感じていた。これまでの彼女の「善意」が、悉く災害級の結果を招いてきたことを思えば、無理もない。
「実は、材料選びから、とても悩んだのです」
セシリアは、包みを広げながら、興奮した様子で語り始めた。
「教会の厨房を借りて、朝早くから準備をいたしました。せっかくですから、私の持てる技術のすべてを注ぎ込もうと思いまして」
「技術の、すべて……?」
その言葉に、ディアボロスは一抹の――いや、抹どころではない不安を覚えた。
「では、開けますね!」
セシリアは、包みの結び目を解いた。
その瞬間――。
「――ぴかっ」
包みの中から、まばゆい光が七色に輝きながら溢れ出した。
「な――!?」
ディアボロスは、思わず目を細めた。
そこにあったのは、確かに弁当箱の形をしてはいた。だが、詰められたおかずの一つ一つが、虹色のオーラを纏いながら、微かに脈打つように明滅している。よく見れば、卵焼きらしき物体からは、うっすらと湯気ではなく「怨嗟の声のような」低い唸り音まで聞こえてくる気がした。
近くを飛んでいた蝶が、その光に引き寄せられるように近づいた瞬間、ふわりと消滅した。
「じゃじゃーん! どうでしょうか!」
セシリアは、満面の笑みでその弁当を差し出した。
(な、なんだこれは……! ただの弁当が、まるで禁呪の触媒のような様相を呈しているぞ……! 蝶まで消えたぞ、今……!)
「あの……セシル。これは、その、普通の卵焼き、なのか?」
「はい! 心を込めて作りましたので、少し神聖魔力が乗ってしまったかもしれません」
「少し、というレベルではないと思うが……」
弁当箱全体から立ち昇る神聖なオーラは、周囲の空気を薄っすらと浄化しつつあり、近くにいた蟻や虫たちが、なぜか光に包まれて成仏していくのが見えた。ベンチの下に隠れていた野良猫までもが、なぜか目を輝かせて拝むような姿勢を取っている。
(虫が成仏する弁当だと……!? 猫まで崇め始めたぞ……! これはもはや、食べ物ではなく儀式の供物だろう……!)
「さあ、どうぞ召し上がってください!」
セシリアは、期待に満ちた瞳でディアボロスを見つめている。その表情には、一切の悪意もなく、ただ純粋に「喜んでほしい」という気持ちだけが溢れていた。
「その……見た目だけでも、十分に伝わってくるものがあるが」
「それはきっと、私の愛情が形になったからだと思います!」
「そ、そうか……」
(愛情が形になると、こうなるのか。恐ろしい話だ……)
*
ディアボロスは、震える手で箸を取った。
(食わねば……。ここで断れば、彼女はきっと傷つく。傷つけば、また何をしでかすか分からん……!)
彼の脳裏に、これまでの数々の惨状が走馬灯のように蘇る。石畳の崩壊、時計塔前の破壊、そして真っ二つに引き裂かれた上着。
(俺は……ここで、命をかけてこの弁当を食わねばならん……!)
魔界の絶対君主が、たかが弁当一つを前に、まるで戦場に赴くかのような覚悟を決めていた。
「い、いただきます」
ディアボロスは、光り輝く卵焼きを箸で掴み、意を決して口に運んだ。
口に含んだ瞬間、彼の全身を凄まじい神聖魔力の奔流が駆け巡った。味覚を通り越して、体の芯にまで響くような衝撃。まるで浄化の光を丸ごと飲み込んだかのような感覚だった。
(ぐ、ぐああああ……! 胃が、焼けるように熱い……! だが、まずくは……ない、のか……?)
味そのものは、意外にも悪くなかった。丁寧に下味がつけられ、素材の旨味もしっかりと感じられる。ただ、そこに纏わりつく神聖魔力の圧が、常人の食事の域を遥かに超えているだけなのだ。
ディアボロスは、涙目になりながらも、一つ、また一つと、光る弁当を口に運んでいった。
途中、煮物らしき一品を口にした瞬間、頭の中に一瞬、遠い先祖の記憶のようなものが走馬灯のように流れた気がした。
(今、何か、見てはいけないものを見た気がする……)
彼はそれを、必死に見なかったことにした。
「お、美味しいですか?」
セシリアが、期待に満ちた瞳で尋ねる。
ディアボロスは、胃の奥に走る鈍い痛みを必死に堪えながら、それでも彼女の顔を見た。
無垢で、まっすぐで、ただ「喜んでほしい」という気持ちだけに満ちた笑顔。
「……ああ。美味い」
その一言に、セシリアの顔がぱあっと輝いた。
「よかったです! 本当に、よかった……! 実は、少し心配だったんです。初めて作る料理でしたので」
「初めて、なのか」
「はい! いつもは教会の食堂で用意していただいていたので、自分で一から作るのは、これが初めてでした」
その告白に、ディアボロスは思わず箸を止めた。
(初めての料理で、これか……。いや、待て。むしろ、初めてでこの威力ということは、次からはさらに――)
考えるだけで恐ろしい未来が脳裏をよぎったが、彼はそれを慌てて振り払った。
その屈託のない喜びように、ディアボロスの胸の奥が、ほんの少しだけ、じんわりと温かくなった。
(……くそ。胃は死にそうだというのに、なぜこんな気持ちに……)
自分でも説明のつかない感情に戸惑いながら、ディアボロスは、光る弁当の最後の一切れを、静かに口に運んだのだった。
食べ終えた後、彼の胃の中では、聖なる光と魔族の生命力が、静かに、しかし確実に激しい攻防を繰り広げていた。だが、その痛みすら、なぜか悪いものではないような気がしてくるのが、彼自身にとって最も理解し難いことだった。




