第12話 少女漫画の通りにやってみた
時計塔前の騒動から一段落し、二人は連れ立って街の大通りを歩き始めた。
「わあ……見てください、ディオ様。あちらのお店、可愛らしい雑貨がたくさん並んでいます!」
セシリアは、露店に並んだリボンやアクセサリーに目を輝かせている。その様子は、年頃の少女そのものだった。
(悪意さえなければ、本当にただの可愛らしい娘なのだがな……)
ディアボロスは、内心でそう思いながらも、油断なく周囲に気を配っていた。彼女がまた何かに感動して、無自覚に破壊活動をしないとも限らない。
「あちらのお店も、こちらのお店も、素敵ですね! ディオ様は、何かお好きな色などございますか?」
「……特に、こだわりはない。強いて言えば、黒だろうか」
「なるほど、黒ですね! 覚えておきます!」
セシリアは、まるで大事な試験の内容を書き留めるかのように、真剣な顔で頷いた。その一挙一動に、恋人としての彼への理解を深めようという純粋な意志が滲んでいる。
(この様子だけを見れば、本当に、ただの初々しい娘なのだがな……)
しばらく歩いたところで、セシリアが何やら意を決したような顔で、懐から一冊の本を取り出した。昨日も見た、恋愛小説である。表紙は擦り切れるほど読み込まれた様子がうかがえた。
「あの、ディオ様」
「……仕草?」
「はい。ヒロインが、想い人の服の裾を、ちょこんと引っ張るんです。振り向いてほしい時、言葉にせずに気持ちを伝える、可愛らしい仕草だそうで。私、ずっと憧れていたんです」
セシリアは、頬を染めながら本のページを指差した。そこには確かに、そういった描写が書かれている。
「な、なるほど。それを、俺に?」
「はい! 一度、やってみたいのです。よろしいでしょうか?」
ディアボロスは、内心で身構えた。だが、断れば彼女が気落ちするかもしれず、それはそれで何が起こるか分からない。
(断るのも危険、受け入れるのも危険。ならば……)
彼は、腹を括った。
「わ、分かった。やってみるといい」
「はい!」
セシリアは、緊張した面持ちで、両手を胸の前で組み、深く息を吸った。恋愛小説の一場面を、いよいよ再現する瞬間である。
(そっと、優しく……。ヒロインは確か、こう、指先だけで、ほんの軽く……)
彼女は本の描写を、脳内で何度も反芻しながら、そっとディアボロスの上着の裾に手を伸ばした。
(軽く、そっと……)
彼女は本の描写通り、控えめに、優しく――そのつもりだった。
だが、いざ指先が布地に触れた瞬間、初めての経験に対する緊張と興奮から、彼女の握力に無意識の力がこもってしまった。
「ちょこん」ではなく、「ガシッ」。
「――びりびりびりっ!!」
けたたましい破裂音と共に、ディアボロスの上着が、肩口から裾まで見事に真っ二つに引き裂かれた。
「な――!?」
周囲を歩いていた通行人たちが、ぎょっとした顔でこちらを振り返る。
「あ……」
セシリアは、自分の手の中に残った上着の切れ端を見つめ、みるみる顔を青ざめさせた。
「も、申し訳ありません! そんなつもりでは……!」
「い、いや……大丈夫だ……」
ディアボロスは、破れた上着の隙間から見える自分の胸元を見下ろしながら、震える声で答えた。幸い、下に着ていたシャツは無事だったが、上着はもはや原型を留めていない。
(少女漫画の可憐な仕草が……なぜ物理的破壊活動に変換されるのだ……! これでは、いくら服があっても足りぬぞ……!)
彼は心の中で盛大に叫びたい気持ちを、必死に押し殺した。
*
「本当に、申し訳ございませんでした……」
セシリアは、しょんぼりと肩を落としながら、何度も頭を下げた。その姿は、先ほどまでの高揚した様子とは打って変わり、まるで叱られた子犬のようだった。
「その、加減がまだよく分からなくて……。恋愛小説には、力加減の説明までは、書かれていなかったものですから」
「い、いや、よい。誰しも、最初は失敗するものだ」
ディアボロスは、寛大な態度を装いながら、内心では冷や汗が止まらなかった。
(これが『最初の失敗』で済むならいいが……この先、一体何回、俺の衣服が犠牲になるのだろうか……。いや、衣服だけならまだいい。骨まで持っていかれかねん……)
「あ、そうだ! お詫びと言ってはなんですが」
セシリアは、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「新しいお洋服は、後日必ずお贈りしますね。今日のところは、応急処置をさせてください」
そう言うと、セシリアは小さな浄化魔法を上着にかけ、破れた繊維を丁寧に縫い合わせるように修復してみせた。手先の器用さだけは、確かなものがあるらしい。
驚くべきことに、修復された上着は、元の状態よりもいくらか丈夫になっているようにさえ感じられた。神聖魔力による強化の副産物だろうか。
「おお、これは助かる。むしろ、以前より頑丈になった気さえするな」
「よかったです! では、気を取り直して、次に参りましょう!」
セシリアは、すっかり機嫌を直した様子で、ディアボロスの手を軽く引いた。それだけで、彼の腕にずしりとした衝撃が走る。
「うっ……」
(手を引かれるだけで、腕が抜けそうになるとは……。この娘の『軽く』は、常人の『全力』を軽く凌駕しているようだ)
ディアボロスは、思わず漏れそうになった呻き声を、辛うじて咳払いで誤魔化した。
「ディオ様、どうかされましたか?」
「い、いや、なんでもない。少し咳が出ただけだ」
「まあ、風邪でしょうか。ご無理はなさらないでくださいね」
セシリアは、心配そうな眼差しでディアボロスを見つめた。その屈託のない優しさに、ディアボロスは何とも言えない感情を覚えながら、応急処置された上着を風になびかせて歩き出した。
これから始まる長い一日に、早くも先が思いやられる気持ちでいっぱいだったが、それと同時に――先ほどの、彼女の心配そうな瞳を思い出すと、なぜか胸の奥が、ほんの少しだけ、くすぐったいような感覚を覚えるのだった。
(……いや、今は考えるまい。まずは、この一日を無事に生き延びることだ)
こうして、記念すべき初デートの最初の「イベント」は、少女漫画の甘い仕草が、物理的な破壊力へと変換されるという、この物語らしい結末を迎えたのだった。




