エピローグ
昨夜、レイナは一睡もできなかった。
今日帰還する予定のサディスに会えるというワクワクもあるが、何より今日が『前の人生』における彼女の命日だからだ。
「大丈夫、サディスのおかげで敵は全て撃退しました。もう領内に敵はいません。大丈夫だいじょうぶ」
レイナがベッドの上で膝を抱えていると、部屋の扉がノックされた。
入ってきたのは侍女のシンシアだ。
「レイナ様、お客様ですよ」
「サディスですか!?」
「えっ? いや――」
「はーい。ミルちゃんですよー」
部屋の空気が凍る。
あれほどキラキラと輝いていたレイナの瞳は、完全に光を失ってしまった。
「何か御用ですか?」
「おっと、射殺さんばかりの目つきに恐ろしいほど低い声。歓迎されていない雰囲気をヒシヒシと感じますね!」
「何でそんなに嬉しそうなんですか……」
レイナがこめかみを押さえる。
「まあまあ。それよりも早く支度したほうが良いですよ。サディス様たちは間もなく帰還されます。せめて目の下の隈は隠さないとサディス様が心配しますよ」
「えっ? 戻るのは午後になると言っていませんでしたか?」
「ちっちっち。うちの情報網とレイナ様の人望を甘く見てもらっては困ります。昨日から兵士たちが早足になったんですよ。きっと、少しでも早くレイナ様に褒めていただきたいんでしょうね」
「えっ!? サディスが今すぐ私に会いたいって!?」
睡眠不足と死ぬかもしれないというストレスのダブルパンチにより、レイナの思考力は限界だった。
そんな主君を見て、シンシアが『やれやれ』と頭を抱える。
「言ってません。……レイナ様、一度湯浴みをして目を覚ましましょう。ここだけの話ですが、サディス様の一番好きな香りは石鹸の香りらしいですよ」
「早く浴場に行きましょう! 隅々まで身体を清めなくては!」
頭が働いていないレイナは、簡単に浴場まで連行されていく。
ちなみに、サディスの一番好きな香りが石鹸だというのはシンシアの出まかせである。
「良かったですね。レイナ様、サディス様」
ミルの言葉は誰の耳にも届かずに溶けていった。
◇
サディスたちが本拠地に凱旋したのは、それからすぐのことだった。
領地を守り抜いた兵士たちに労いと感謝の言葉を伝えようと、通りの左右に領民たちが集まる。
彼らは口々にサディスやネストの名前を呼ぶ。
中には、手作りの仮面を着けてクラーナの名を呼ぶ子供たちもいた。
(クラーナ殿も領民たちに歓迎されているみたいだな。本当に良かった)
サディスの心の奥に温かいものが広がっていく。
「おい、正面を見てみろ! レイナ様がいるぞ!」
「レイナ様……今日も可憐でお美しい」
兵士たちの声に反応し、サディスは前を向く。
湯浴みを終えたレイナが居城のバルコニーで優雅に手を振っていた。
(レイナ様……。良かった。今回は救えたんだな……)
そう実感した途端、サディスの目から熱い涙が溢れてくる。
もちろん、サディスに『前の人生』の記憶が宿ったわけではない。だが、湧き上がってくる涙を止めることはできなかった。
一行が城門を抜けると、ネストがサディスの背中をトンと叩く。
「サディス、お前は先にレイナ様のところに行って、戦勝を報告してきてくれ」
「えっ?」
ネストは言うだけ言うと、すぐに兵士たちに向き直った。
「ちゅうもーく! お前たち、今回はご苦労だったな。武器と装備品を武器庫に戻した者から順に解散だ! 後日、レイナ様が直々に労いの場を設けてくれるはずだから、今日は早く家に帰って家族を安心させてやれ。良いか、家に帰るまでが戦だぞ!」
「みなさーん! 押さずに前の人について行ってくださいね! 武器庫は逃げませんので慌てずに」
「クラーナ隊はこちらへ。僕が専用の武器庫まで案内します。武器を預け終わったら、仮設の兵舎へ」
サディスが呆然としている間に、家臣たちがてきぱきと動いていく。
「ほら、こっちは俺たちに任せて、早くレイナ様を安心させてやれ」
「ありがとうございます!」
ネストたちに見送られ、サディスは駆け出した。
「おかえりなさいませ、サディス様。どうぞこちらへ」
息を切らせてやってきたサディスに、シンシアは柔和な微笑みを送る。
彼女が案内したのは応接室や政務室ではなく、レイナの私室だった。
「レイナ様、サディス様をお連れしましたよ」
「ど、どうぞお入りください」
部屋の中から震えた声が返ってくる。
サディスはゆっくりと扉を開けた。
「レイナ様、ただいま戻――」
――とん。
サディスは胸部に小さな衝撃を感じ、言葉を中断する。
一瞬遅れて自身より少し高い体温と、石鹸と香水の匂いを感じた。
しばらくそのままの体勢でいると、今度はレイナ自身の匂いが顔を出す。
(レイナ様……)
サディスは無意識のうちにレイナの背中に手を回していた。
レイナも自然と両手に力を込める。
(レイナ様の体温、匂い、腕力、呼吸の音、鼓動……。レイナ様はちゃんと生きている! 当たり前のことなのに、嬉しくて嬉しくてしかたがない!)
二人は心の底から湧き上がってくる感情に身を委ねたのだった。
◇
月日は流れ、ひとつ年を越した。
スモーフ家は滅亡の危機を乗り越えた後、復興と内政に専念する。
砦の修復に領民の慰撫、降兵とその家族のための住居建築など、やることが山積みだった。
周辺国ではこの半年間に何度か小競り合いが起きたが、スモーフ家は静観を貫く。
冬の到来とともに各国は軍を引き揚げ、大陸に短い平和が訪れた。
昨日まで降り続いていた雪は止み、この時期にしては珍しい快晴で、風も無い。
まるで天が今日という日を祝福しているかのようだが、底冷えする寒さはどうにもならない。
外は銀世界が広がっているが、壁一枚内側に入るとピンク色を基調とした壁紙や家具が配置されている。
この部屋の主、レイナ・スモーフの色の好みは幼少の頃から変わらない。
ある少年に『可愛い部屋だね』と褒められて以来、彼女の私物にはピンク色が増え続けている。
そんな温かみを感じる部屋の中で、レイナは『一年前の今日』のことを思い出していた。
「……結局、あの『未来』は何だったんでしょうか」
ちょうど一年前に見た、自身が領地を継いでから処刑されるまでの『未来』。
あれ以来、レイナは『未来』を見ていない。
何度も『未来』についてサディスに話そうとしたが、いまだに話せず仕舞いだ。
だが、レイナはそれで良いと考えている。
――自分たちが年老いて隠居した後、暖かな陽だまりの下で、隣でお茶を啜るサディスに『昔ばなし』と称して話す。その場に自分たちの孫がいると、もっと素敵。
そんな未来を思い浮かべていた。
「レイナ様、お時間ですよ」
「はい。今行きます」
『前の人生』とは違ってレイナは18歳になることができたし、彼女の人生はこれからも続いていく。
今後の人生は、彼女自身の力によって切り開いていくのだ。
大広間にスモーフ家の家臣たちが集結している。
それだけではない。同盟国の領主であるオルター・ヴィクタルと彼の配下たちも招待されていた。
誰もが幸せに満ちた表情で主役の登場を待つ。
彼らが歓談していると、大広間の扉が開き、レイナが姿を現した。
薄いピンク色のドレスに身を包んだ彼女の姿を見て、誰かが息を呑み、別の誰かが感嘆の声を漏らす。
反応は人それぞれだが、レイナの美しさに目を奪われているのはみな同じだった。
彼女は全員の視線を引き連れて壇上へと歩いていく。
レイナが壇上に立つと、シンシアが背後のカーテンを少しだけ開いた。
すると、外から一筋の光が差し込み、レイナの周りを明るく照らす。
それを見た参加者たちは言葉を失った。
家臣たちが茫然としている間に、サディスがレイナに花束を手渡す。
すると、レイナの表情が華やいだ。
「レイナ様、お誕生日おめでとうございます!」
自然と、サディスの頬を一筋の涙が伝った。
(Fin.)
数ある中からこの作品をお読みいただき、本当にありがとうございました。
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