第38話 軍師と名君の知恵比べ
翌日の明け方。
サディスやネストたちが慌ただしく城内を駆け回っている。
彼らは先ほどまで出撃に備えて仮眠をとっていた。
兵士の招集や兵糧や武器の準備などはレイナとミルが夜を徹して行ったので、サディスたちは身体を休めることができたのだ。
「あっ! サディス!」
「レイナ様? まだ起きていらしたんですね」
城内の廊下で、サディスとレイナが鉢合わせる。
レイナはサディスたちと交代で私室に戻っていたが、まだ寝ていなかったようだ。
「みなさんの出陣を見届けてから、少しだけ休ませてもらいます」
「少しと言わずに、今日は一日ゆっくりしてください」
「サディスまでシンシアと同じことを言うんですね……」
しょんぼり顔を見て、サディスは苦笑する。
「っと、そんなことを話しに来たのではありませんでした。これをサディスに渡そうと……」
レイナが背中に隠していた木箱を差し出す。
サディスはそれを丁寧な所作で受け取った。
「ありがとうございます。大切にしますね」
深々とお辞儀をして立ち去ろうとしたサディスの上着の裾をレイナが摘まむ。
「レイナ様?」
「……中、見ないんですか?」
潤んだ瞳に見つめられ、『この場で開ける』以外の選択肢が消える。
サディスは丁寧に箱の上蓋を外し、中のものを取り出す。
それは、青色の持ち手に白色の羽根があしらわれた扇だった。
「これは……!」
「以前の髪飾りのお礼をしたくて領内の名工に作らせていたんですサディスは昔から古の大軍師に憧れていましたから彼と同じようにこれを持って采配を振るってほしいなと決して私がサディスのカッコいいところを見たかっただけではなく――」
レイナがまくし立てる一方で、サディスは無上の喜びに打ち震えていた。
彼は目を輝かせてレイナの手をとる。
「ありがとうございます! 我が家の家宝にして、汚したり壊したりしないように――」
「ダメです! ちゃんと普段使いしてください! ほら、ここの金属はちゃんと鎧と同じ素材を使っているんですからね」
レイナはそう言って羽扇の持ち手を指差す。
彼女はその後も必死に説得を続け、サディスに羽扇を肌身離さず所持することを約束させたのだった。
朝から昼に差し掛かるころ、ネストを総大将とする部隊が領地の南、ゴルダス家との国境に向けて進軍を開始した。
兵数は1,500人。北にも兵を送ったので、本拠には最低限の守備兵しか残していない。
部隊にはサディスとピューラもそれぞれ参謀、副将として従軍している。
サウザン、クラーナ、ミルの3人はそれぞれ別の任務を帯びていた。
スモーフ軍は、ネストとサディスの旗を掲げ、威容を示しながら南下していく。
先の戦いで大きな功績をあげた二人の姿を一目見ようと、行く先々で領民たちが集まっていた。
「急な防衛戦になったが、大きな混乱もなく兵糧や武器を用意できて良かったぜ。ミル殿が加わってからというもの、物資に困ることが無くなったな」
「それに、サウザン殿が段取りをつけてくれたおかげで、わたしたちは最低限の荷物で前線に向かえますからね。部隊の機動力も上がるし疲労も軽減される。まさに兵站革命です!」
ネストとピューラが声を弾ませる。
「以前は違ったんですか? クシュー様なら何とか調達しそうに思えますが……」
「さすがのクシュー様も、身体は一つしかないからな。戦時は最前線で指揮を執り、平時は謀略と外交。とても物資調達を担当する余裕なんて無かったさ」
「文官のみなさんも頑張ってくれていましたが、さすがにミル殿は別格すぎますからね。正直、比べちゃダメなレベルです」
二人の返事を聞いて、サディスは苦笑した。
二日後の夕方。
ネストの率いる軍勢は本拠地からまっすぐ南下し、国境付近に布陣していた。
国境の向こう側には、ゴルダス軍が視界いっぱいに広がっている。
「ひゃー。壮観だなぁ……」
「見ただけで強敵だと分かる布陣ですね……」
隙のない布陣に、ネストとピューラが感嘆の声を漏らす。
先日のカムスのものと比べると一目瞭然だった。
「さすが、稀代の名君と言われるだけのことはありますね」
「兵力差もあるし、真正面からぶつかって勝てる相手じゃないな。……それで、『稀代の軍師』は何か思いついたか?」
ネストがいたずらっぽく笑う。
サディスはその二つ名にむず痒さを覚えながらも、あえて触れずに策を披露する。
「古来より、少ない兵で多くの敵を打ち破る際には『奇襲』と『火計』が多く用いられてきました。今回も先人たちの教えに従いましょう」
「だが、ラース殿はカムスとは違う。簡単に罠にかかってくれるとは思えんぞ?」
ネストが問うと、ピューラも『うんうん』と首を上下に振る。
彼の言うとおり、ラースはカムスとは比べ物にならないほどの戦上手だ。
ラースは20歳で家督を継ぎ、現在は30代前半。彼は領主となってわずか十数年で、ゴルダス家の領地を3倍以上に広げた。
元々、ゴルダス家の周囲には多くの小国が割拠していたが、ラースはそれらを次々と平らげていったのだ。
だが、彼は決して武勇一辺倒の男ではない。
ひとたび領地に戻れば開墾と治水、商業発展や治安向上に努めて国力を高めていった。
彼が攻め滅ぼした国の領民からは『これまでの悪政から解放された』と喜ぶ声も多く聞こえてくる。
戦場では苛烈な采配で敵を打ち破り、領地では民のことを第一に考えた政治を行う。これこそが、人々がラースを『稀代の名君』と称える所以だった。
「はい。ラース殿は実戦経験も豊富で、頭も切れる人物です。生半可な作戦では通用しないでしょう。ですので――」
サディスは二人に知恵を授けた。
その日の夜。
しんと静まり返った野営地の外に、51騎の騎馬武者の姿があった。
そのうちの1騎、夜襲部隊の指揮を執るネストが、最低限の声量で配下の兵士たちを鼓舞する。
「お前たち、目印の羽根は着けたな?」
兵士たちが無言でうなずく。
彼らは同士討ちを防ぐため、兜に鳥の羽根を着けていた。
ネストは内心で『先人の知恵は偉大だな……』と考えながら、激励の言葉をかける。
「さあ、訓練の成果を見せる時だ。ここだけの話、うちの姫さんは自分のために命を懸けてくれる男が好きらしいぞ。それに、ピューラは勇敢で頼りになる、年上の男が好みらしい。つまり、夜襲を成功させて凱旋すれば、スモーフ家が誇る美少女二人の覚えも良いということだ!」
兵士たちは大声で返事しようとするのを必死にこらえている。
暗闇の中でそれを感じ取ったネストは、小さく笑みを浮かべた。
「よし、姫様たちの居場所を守るため、精一杯戦うぞ!」
兵士たちは無言で拳を突き上げた。
――ヒタ……、ヒタ……。
夜襲部隊は足音を殺してゴルダス家の野営地に近づいていく。
そして、ゴルダス家の陣の前に到着した。
「物音ひとつ聞こえないな。よく眠っているみたいだ」
ネストは配下に命じて門周辺の柵を解体させる。
兵士たちは木と木を結んでいた紐を切り、音を立てずに木材を取り払っていく。
やがて、馬3、4頭分の幅の隙間が出来あがった。
「よし、ゴルダス軍を蹂躙するぞ! 俺に続け!」
ネストは兵士たちを引き連れ、ゴルダス軍の野営地に突入した。
「夜襲だー!」
「うおおおお!」
スモーフ軍の兵士たちが大声を出しながらゴルダス軍の陣内を駆け回る。
だが、周囲はシンと静まり返っていて、敵が反撃してくる様子は無い。
兵士の一人が近くにあった陣幕を破って中を確認する。
「ネスト様! 誰もいません!」
「しまった、これは敵の罠だ! すぐに引き揚げの鐘を鳴らせ」
ネストがそう叫んだ瞬間、夜陰に太鼓の音が響き渡る。
ラースは夜襲を察知し、陣の外に兵士たちを伏せていたのだ。
わずか50騎の兵に対し、500を超える軍勢が襲い掛かる。
だが、ネストとその配下たちは冷静だった。
兵の一人が手持ちの鐘をかき鳴らして合図すると、全員が一目散に退却を始める。
「命あっての物種だ! 死んじまったら逆玉の夢も叶わんぞ!」
もはや鼓舞かどうかも分からない言葉だが、兵士たちの士気はしっかりと上がる。
また、野営地の外に伏せられていた敵の兵が歩兵主体だったことも幸いした。
ネストたちはどうにか血路を開き、味方の陣地に逃げ戻る。
そのとき、背後から無数の足音が響き渡った。
厳密には、足音が聞こえる距離まで近づいてきた、というのが正しい。
つまり、ゴルダス軍の追っ手が徐々に距離を詰めてきていた。
「ネスト様! 後方より、100を超える蹄の音が聞こえます。」
「ゴルダス軍め、騎兵で追撃してきたか! 何としても野営地まで逃げ切るぞ!」
兵士たちは恐怖心をグッと我慢し、北に向かって馬を走らせる。
馬の足音と呼吸音、兵士たちの荒い息遣いだけが国境付近に響いていた。
どれくらい走り続けただろうか。
ネストたちの視界に、野営地が飛び込んできた。
「見えたぞ! あと少しだ!」
彼らは疲労で速度が落ちてきた馬に鞭を入れる。「悪いな。逃げ切ったら美味しい飼葉をたっぷり食わせてやるから、もう少しだけ辛抱してくれ」と誰かが声をかけた。
「ネスト先輩! 早く!」
ピューラが野営地の中からネストを呼ぶ。
「お前たち! 救いの女神様のもとに飛び込め!」
ネストが最後に一度鼓舞すると、兵士たちが「おおーっ!」と叫んだ。
気がつくとゴルダス軍の追っ手が矢を放ってきていたが、ネストたちはそれを掻い潜って陣に逃げ込む。彼らはそのまま止まることなく駆け抜けて行った。
「みなさん、持ち場に移動してください!」
兵士たちがピューラの指示に従って配置についた直後、ゴルダス軍の兵士がスモーフ家の陣に突入し、周囲は火の海に包まれた。




