第35話 仮面の下は
翌朝。
ルーザス軍は領地に向けて退却を開始した。
経験豊富なマキュラーが殿の大将を務めていたため、スモーフ軍は早々に追撃を諦める。
サディスたちはルーザス軍が完全に引き揚げたことを確認すると、砦の守備をオーズに任せ、居城に向けて出立した。
数日後、サディスたちは無事、本拠地に凱旋を果たす。
勝利の報を聞きつけた領民たちが、道の両側からねぎらいの言葉を送る。
領内は完全に祝賀ムードだ。
「こんなに称賛の言葉をいただけるとは……。少し照れてしまいます」
「これも、レイナ様が仁政を施しているからですよ」
(レイナ様は昔から領民に愛されていたよな……)
サディスは幼少期のことを思い出す。二人並んで街を歩いていると、多くの領民たちが温かく声をかけてきたものだ。
二人は知らないことだが、レイナたちに話しかけて良いのは最初の10分間だけで、それ以降は二人の時間をジャマしてはならないという不文律があったとされるが、定かではない。
居城に帰還したレイナは、すぐにサウザンと面会した。
場所はいつもの応接室や会議室ではなく、他国の君主やそれに準ずる貴人と会談するための部屋だ。
サウザンを縛っていた縄は既に解かれているが、部屋にはネストが護衛として控えている。彼らの実力差を考えると、サウザンが変な気を起こしたところで、ネストに一撃で仕留められるだろう。
「初めまして。レイナ・スモーフです。以後、お見知りおきを」
「サウザン・ドゥーイです。お会いできて光栄です」
レイナとサウザンが互いに頭を下げる。
敵国の捕虜に対してここまで礼を尽くすのは珍しいが、これにはちゃんとした理由があった。
「サウザン殿のお噂は、常日頃から耳にしております。あなたのお力を、当家に貸していただけないでしょうか?」
「仁君と名高きレイナ様にそう言っていただけたこと、大変嬉しく思います。ですが、僕はルーザス家とその領民に忠義を誓った身ですので、仕える先を変えるつもりはありません」
「忠臣は二君に仕えず、ということですね……」
レイナが助けを求めるようにサディスを見るが、彼は力なく首を横に振った。
今の彼は、サウザンを説得できる言葉を持ち合わせていない。
その後、サウザンは賓客が宿泊するための部屋に案内された。
レイナは、『ルーザス家から返還要請が来るまで、サウザンを丁重にもてなすように』と家臣たちに命じ、一同はその言葉に忠実に従っている。
だが、十日が過ぎてもルーザス家からの使者は来ない。
それどころか、彼らが再び合戦の用意をしているという噂が流れてきた。
「ふう。疲れた……」
サディスはげっそりとした顔で帰宅の途に就く。
この日、居城ではルーザス家への対策について激論が交わされた。
ネストを中心とする強硬派が徹底抗戦を、ハルバーを中心とする穏健派が停戦を主張し、真っ向から対立した。
普段であれば強硬派に賛成するサディスだが、今回はそうできない事情があった。
北のユージュ家も不穏な動きを見せている。
今のスモーフ家に二正面作戦をとる余裕は無いので、敵を減らせるのなら減らしたいのだ。
(優秀な指揮官が増えれば、このあたりの事情も改善するかもしれないが……。一将は求め難しという奴か)
兵は雇えば増やせるが、優秀な将を得るのは困難なのだ。
サディスが自宅に着くと、門の前でうずくまる人影が目に入った。
その人物は、サディスに気づくと立ち上がり、彼のもとに駆け寄る。
「サディス殿! サウザンは無事なのですか!?」
そこにいたのは、サウザンに仕える客将、クラーナだった。
「どうぞ。クラーナ殿のお口に合えば良いですが……」
「あ、ありがとうございます」
二人はサディスの家の応接室に移動し、向かい合って席に着く。
何気にクラーナと言葉を交わすのは初めてなので、サディスは緊張していた。
「では、失礼して……」
クラーナはそう言うと、自身の仮面に手をかけ、ゆっくりと外す。
仮面の下に隠されていた顔を見た途端、サディスは息を呑んだ。
「あれ? どうかなさいましたか? おーい、サディスどのー?」
クラーナがサディスの顔の前で手を振る。それを見て、サディスはハッと我に返った。
「クラーナ殿……、あなたはもしかして」
「こうして顔を見せたのは初めてでしたね。見ての通り、私は女です。サウザンは全然気づいてくれませんが……」
そう言ってクラーナは口を尖らせる。
「何故、顔を隠されていたのですか?」
「殿方は、謎の多い女性に興味を惹かれると聞いたものですから」
「えぇ……」
ほんのりと頬を染めたクラーナを見て、サディスは思わず頭を抱える。
色々と間違っている彼女に、サディスは一つだけ助言することにした。
「あの、あなたが女性だと認識されないことには、効果が無いと思いますが……」
「ああっ!」
クラーナの顔が絶望色に染まり、目の輝きが失われる。
……それはそれでゾクリとするような美しさだった。
「私は今まで何のために仮面を着けていたんでしょうか暑いし蒸れるし肌の手入れも大変だしみんなに男だ変人だと言われても我慢していたというのに――」
サディスはそっと目を逸らす。
クラーナがぼやいている間、彼女の目に光が戻ることは無かった。
「すみません、お恥ずかしいところをお見せしました」
「いえいえ。それより、サウザン殿についてでしたね。彼の身柄は城で預かっておりまして、不自由なく過ごしてもらえるよう、家中一同で努めています」
サディスがそう言うと、クラーナは安堵の息を吐く。彼女の目には光るものがあった。
「もしかして、クラーナ殿はサウザン殿の返還を求める使者として当家へ?」
「いえ。あの男……カムス・ルーザスはサウザンを見殺しにするつもりです」
「なんですって?」
サディスの目がスッと細められる。
「ルーザス家では、サウザンの処遇を巡って連日議論が行われました。家臣たちは貢物や領地を差し出してでも返還を求めるべきという意見でしたが、カムスは違いました。あの男は『スモーフ家に何かを差し出すぐらいなら、サウザンは戻って来なくても良い』と言い放ったのです!」
クラーナはうつむいて唇をかみ、両手を強く握る。
「部下を大切にしない領主に未来は無い。それが分からないのか……」
この一件は、間違いなく既存の家臣たちに不信感を与える。
それどころか、この話が外に漏れれば、カムスに仕官する者は確実に減るだろう。
(うちがルーザス家に負けることは無くなったな)
サディスはそう確信した。




