第2話 故郷へ
およそ1か月の旅路を経て、サディスは領地に帰ってきた。
領地が近づくにつれ、彼のもとには様々な情報が入ってきていた。中でも一番サディスを驚かせたのは――
(まさか、あのクシュー様が亡くなっていたとは……)
クシュー・スモーフ。スモーフ家の先代領主であり、レイナの祖父でもある。
巷では奸物扱いされているクシューだが、孫娘のレイナのことを溺愛していた。
サディスも実の孫のように可愛がってもらったため、他国での評判を聞くまでクシューのことを好々爺だと思っていたほどだ。
(いつもオレの後ろから離れなかった、あのレイナ様が領主になったんだな)
クシューは息子たちに先立たれていて、血縁者はレイナしか残っていなかった。
彼はまだ若いレイナのためにと、晩年を領地の拡大に捧げた。
問題は、そのやり方が強引だったため、周辺国から強く恨みを買ったことだ。
(クシュー様が亡くなった途端、周囲の国が騒がしくなってきたな)
どうやら周辺国、特にスモーフ家の西に位置するルーザス家はかなりのスピードで兵を増やしているようだ。
彼らが攻めてきたら、レイナが中心となって領地を守らなければならない。
(だが、残念ながら、今のレイナ様はクシュー様には遠く及ばない)
クシューは智謀に優れた人物で、謀略という名の毒を仕込み、敵が十分に弱り切ったところを食らうような性格だった。
彼は残忍な性格もあって、『梟雄』と呼ばれるほど周囲から恐れられていた。
しかし、レイナは毒を持たない。彼女は心優しい少女なのだ。
時代が違えば仁君になれる逸材かもしれないが、少なくともこの乱世を生き抜くには頼りない。
(だからこそ、オレがレイナ様の『毒』になると決めたんだ)
レイナが毒を持たないなら、周りの誰かが毒を持てば良い。クシューのように一人で全てをこなせなくても、互いに補い合って領地を守り、発展させれば良い。
それがサディスの考えだった。
「ただいま戻りました」
領地に戻ったサディスは、まず実家に立ち寄った。
予定よりも1年ほど早く帰参したことを、まずは家主である父親に報告する必要があると考えたからだ。
「……随分と早かったな」
「もう学ぶことが無くなりましたので、一日でも早くレイナ様のお役に立つことが最善だと判断しました」
もちろん、サディスの言葉は嘘だ。あの占い師と出会うまで、彼は期日まで修行を積むつもりでいたのだから。
「……そうか」
だが、サディスの父は早く帰参した息子を責めることはなかった。
「……何も言わないんですね?」
「臨機応変に動けぬ人間は、今の世の中では生きていけぬからな」
(なるほど、クシュー様が亡くなったからか。それに、父上もレイナ様が優しすぎることを見抜いている……と)
この時点で追い返される可能性も考慮していたため、サディスは内心で安堵の息を吐く。
父親の理解を得ることが出来たため、最初の関門はクリアしたことになる。
(後はレイナ様に会うだけだな)
サディスは帰参できることを確信していた。
その日の夕方、サディスはレイナの居城を訪ねた。
使用人が彼をレイナの私室に案内する。
(レイナ様に会うのも久しぶりだな。元気にしてたかな)
サディスの心は自然と高鳴っていた。
「レイナ様、サディス様をお連れしました」
「どうぞお入りください」
レイナの声が聞こえた瞬間、サディスの心が大きく跳ねた。
サディスはゆっくりとレイナの私室に入る。
彼は室内を見回したいという欲求を必死に抑え込み、視線をレイナの顔に固定した。
「お久しぶりですね、サディス。会いたかった……」
レイナの声は徐々に小さくなっていったので、サディスには後半部分が聞き取れなかった。
「レイナ様、お久しぶりです。またお会いできて本当に嬉しく思います」
自然と、この言葉がサディスの口からこぼれ出た。
大げさなように聞こえる言葉だが、二人とも不思議に思わなかった。
再会を喜び合った後、二人は互いに近況を報告し合う。
ひとしきり話し終えると、レイナが聞きづらそうに尋ねた。
「ところで、サディスはいつまで領地に居られるのですか?」
どうやらレイナはサディスが一時的に帰省したものだと思っているらしい。
「すみません、言いそびれていましたね。修行の旅は終わりました。これからはレイナ様の隣で精一杯働く所存です」
サディスの言葉を聞いて、レイナの顔がぱあっと華やぐ。しかし、彼女は慌てて首を振ると、そっぽを向いた。
「許可しません」
「えっ?」
「聞こえませんでしたか? サディスの帰参は許可しません。約束通り、18歳になるまで修練に励みなさい」
レイナの顔は苦痛に歪んでいて、彼女が無理をしているのは明らかだった。
普段のサディスならばレイナの言葉が本心ではないことを簡単に見抜いただろう。
だが、レイナに拒絶されて頭が真っ白になったサディスは、魂の抜けた声で「また来ます」と言って帰っていった。
◇
その日の夜。レイナは私室で沈んでいた。
「どうして……。どうして戻ってきたのですか……?」
サディスが帰ってからレイナはずっとこんな調子だ。
そんな彼女を見かねて声を掛ける人物がいた。彼女はシンシア・リーフィス。レイナに10年以上仕える侍女だ。
レイナはシンシアのことを姉のように慕っており、今のような非公式の場では互いに遠慮なく話せる間柄でもある。
「レイナ様が10年以上ずっと待っていたサディス様が戻ってきたのですから、帰参を認めて差し上げれば良かったのではありませんか?」
シンシアに図星を突かれ、レイナの顔がかあっと染まる。
「な、何のことですか? 私は別にサディスのことなんて好きでも何でもありませんよ」
「いや、わたしは好き嫌いの話まではしていませんが……」
「うっ」
シンシアはレイナに聞こえない声量で「まあ、見ていれば一目瞭然ですが」とつぶやいた。
「ねえ、シンシア。私は選択を間違ったのでしょうか?」
「お家のことだけを考えれば戻って来てもらうべきだと思います。ですが、レイナ様の感情はそうではないのでしょう?」
「……はい。私もサディスが隣に居てくれれば心強いです。でも、彼を私の運命に巻き込んでしまうのが怖い」
その未来を想像したのか、レイナの目に涙が浮かぶ。
シンシアはゆっくりとレイナに近づくと、彼女をやさしく抱きしめる。
静寂の中、二人の影はしばらく重なっていた。




