第2話「言わんほうが、丸く収まることもある」
深夜一時。
同じ時間、同じ声。
「FMまちかど、『しゃべれま10』のお時間です」
黒崎の声は、昨日と同じ温度だった。
「無理にしゃべらなくて大丈夫です。話せるところまでで」
一拍。
「では、今夜の方です」
紙をめくる音。
「ラジオネーム、西田さん。45歳」
椅子が、ゆっくり軋む。
「……どうも」
低い声。
少しだけ乾いている。
「こんばんは。来ていただいてありがとうございます」
「いや、まあ……」
言葉が濁る。
遠慮とも、面倒ともつかない間。
「今日は、どんなお話を」
「大したことやないんですけど」
すぐに前置きが入る。
「家のこと、で」
「はい」
「まあ、ようある話ですわ」
軽く笑う気配。
でも、その笑いは広がらない。
「家族って、いろいろあるじゃないですか」
「ありますね」
「でも、全部言うたらあかんこともあると思うんですよ」
黒崎は何も挟まない。
「言わんほうが、丸く収まることもある」
はっきりした言い方だった。
ユイのときとは違う、迷いの少ない声。
「例えば、どんなことですか」
「いや……細かいことですわ」
少し間。
「嫁がなんか言うてきても、いちいち返さんとか」
「返さない」
「子どもが変なことしてても、あえて何も言わんとか」
「それは、どうしてですか」
「どうして……」
西田が少し考える。
「そのほうが、揉めんで済むからです」
即答ではなかった。
でも、用意していた答えみたいに出てくる。
「揉めるのは、よくないですか」
「よくないでしょ」
少し強くなる。
「家なんか、平和なんが一番なんやから」
「平和、ですか」
「そうです」
一拍。
「別に、仲良うなくてもええんです」
その一言だけ、少し浮いた。
黒崎が、間を置く。
「……仲が良くない、と感じることはありますか」
「いやいや」
軽く笑う。
「そんなん、どこでもある話ですやん」
笑いが、すぐに止まる。
「普通です」
その言葉も、きれいに整っていた。
黒崎は、少しだけ視線を上げる。
「“普通”って、どんな状態ですか」
「え?」
「西田さんにとっての“普通”」
数秒の沈黙。
「……揉めへんことです」
「なるほど」
「問題が起きんこと」
「はい」
「だから、言わんほうがええんです」
同じ結論に戻る。
ぐるりと一周して。
黒崎は、ゆっくり頷く。
「言わないことで、守れているものはありますか」
「ありますよ」
今度は即答だった。
「家の空気とか」
「空気」
「変にギスギスせんで済むし」
「それは、西田さんにとって大事なものですか」
「まあ……」
少しだけ、言葉が詰まる。
「そういうもんやと思ってるんで」
“思っている”という言い方。
黒崎はそこに触れない。
代わりに、
「逆に、言わないことで失っているものは」
静かに置く。
西田は、答えない。
時計の音。
遠くで、車が通る音。
「……別に、ないです」
少し遅れて出てきた言葉。
そのあと、小さく
「たぶん」
と付く。
黒崎は、それを拾わない。
「西田さん」
「はい」
「さっき、“仲良くなくてもいい”とおっしゃっていましたけど」
「はい」
「それは、西田さんが決めていいことですか」
沈黙。
さっきまでとは違う、止まり方。
「……どういう意味ですか」
「ご家族も、同じように思っているかどうかは」
言い切らない。
問いの形のまま。
西田は答えない。
長い沈黙。
初めて、この人が“言葉を探している”時間。
でも、結局。
「……まあ」
そこで止める。
「言わんほうが、丸く収まることもあるんで」
最初と同じ言葉に戻る。
少しだけ、弱く。
黒崎は、それ以上追わない。
「そうですか」
一拍。
「それなら、そうかもしれませんね」
肯定でも否定でもない声。
「西田さん、ありがとうございました」
「……どうも」
椅子が動く。
足音。
ドアが閉まる。
静けさ。
黒崎は、少しだけ息を吐く。
そして、いつもの調子で言う。
「この番組では、まだ誰にも言っていないことを募集しています」
同じ言葉。
「無理にしゃべらなくていいです」
一拍。
「……言わないことで、守れるものもありますから」
赤いランプが、変わらず点いている。




