第1話「ちゃんと、やれてますから」
深夜一時。
街の音が一段階、下がる時間。
「FMまちかど、『しゃべれま10』のお時間です」
低くて、よく通る声。
黒崎の声は、感情が少ないのに妙に残る。
「この番組は、“まだ誰にも言っていないこと”を持っている方だけが出演できます。無理に話さなくて大丈夫です。……話せるところまでで」
一拍。
「では、今夜の方です」
カサ、と紙の音。
小さな緊張が、電波に乗る。
「ラジオネーム、ユイさん。18歳」
マイクの前に座る気配。
息が、少しだけ浅い。
「……こんばんは」
かすれる声。
頑張って出しているのが分かる。
「こんばんは。来ていただいて、ありがとうございます」
「いえ……」
それ以上、言葉が続かない。
黒崎は急かさない。
「今日は、どんなお話を」
沈黙。
五秒。
十秒。
普通の番組なら事故みたいな時間。
でも、この番組では、それが“本編”だった。
「……受験、で」
「はい」
「ちゃんと、やらないとって思ってて」
言葉が、途切れ途切れに出てくる。
「周りも、みんな頑張ってるし……親も、期待してて」
「うん」
「だから、その……」
また止まる。
黒崎は一度、視線を落としてから言う。
「“だから”の先、言えそうですか」
少しだけ、優しいトーン。
ユイは、息を吸う。
「……逃げたらダメだなって」
「逃げてる、と思いますか」
「思ってないです」
即答だった。
でも、その速さが、少しだけ不自然だった。
「ちゃんと、やれてますから」
その一言は、きれいに整っていた。
まるで何度も心の中で練習したみたいに。
黒崎は、すぐには返さない。
「“ちゃんと”って、どういう状態ですか」
「え……」
ユイが詰まる。
「勉強してて、成績も落ちてないし……」
「うん」
「だから、大丈夫で」
言葉が、だんだん軽くなる。
自分で言い聞かせているみたいに。
「ちゃんと、やれてます」
もう一度。
今度は少しだけ、弱い。
スタジオの時計の秒針だけが進む。
黒崎が、静かに言う。
「誰かに、“大丈夫じゃない”って言われたことは」
「ないです」
少し間。
「……言わせてないだけかもしれませんけど」
小さく付け足す。
その声は、ほとんどマイクに乗らないくらいだった。
黒崎は、それを拾う。
「言わせてない、というのは」
「……」
ユイは何も答えない。
代わりに、マイクに近づく気配。
息が、少し荒くなる。
「……ちゃんと、やれてますから」
三回目。
今度は、祈りみたいだった。
黒崎は、そこで初めて少しだけ笑う。
優しさにも、諦めにも見える笑い。
「そうですか」
一拍。
「それなら、よかったです」
その言葉は、肯定でも否定でもなかった。
ただ、終わらせるための音だった。
「ユイさん、ありがとうございました」
「……ありがとうございました」
椅子が引かれる音。
足音。
ドアが閉まる。
スタジオに、また静けさが戻る。
黒崎は、次の紙をめくる。
「この番組では、まだ誰にも言っていないことを募集しています」
いつも通りの声。
「無理にしゃべらなくていいです」
少しだけ間を置いて、
「……そのほうが、楽なこともありますから」
赤いランプが、変わらず点いている。




