21.少しのヤキモチ
しっかりと抱きしめられたまま目を覚ますのは何度目だろう。まだぐっすりと眠っているエリオットの顔を眺めながら、アンナは起こさないように気を付けながらそっとエリオットの頭を撫でる。
キラキラと輝く金色の髪はサラサラとしていて手触りが良い。眠っている筈なのにしっかりと妻を抱きしめている腕は温かく、この温もりを知っている人が他にもいるのだと思うと、何となく胸が苦しかった。
ソフィアもそうだが、アリシアも美しい人だった。疲れ切っていてボロボロだったが、きっと着飾れば儚げで美しい人になるのだろう。
アンナではつり合いが取れないのではないか、隣に立つにはあまりにも分不相応なのではないかと不安になった。
もしも、エリオットがアリシアを憐れんで傍に置いてやると言い出したらどうしよう。かつて妻だった人なのだから、仲を深めてしまうかもしれない。
傍に置くのなら、誰だって綺麗な女性を選ぶだろう。一度の裏切りを許してしまう程エリオットが優しい人だったら、自分はどうなるのだろう。
そんな、ありもしない事を考えて、アンナは不安を掻き消す様にエリオットの胸に顔を埋めた。
「ん…アンナ?」
「…おはようございます」
目を覚ましたエリオットは、抱き付いているアンナの頭を撫でながら「おはよう」と囁いた。
前の奥様にも同じ事をしましたか?
そう聞く勇気は無い。結婚経験のある男性と結婚したのだから、自分以外の女性と仲睦まじくしていた経験くらいあると分かっていた。
過去の事だと割り切っていたつもりなのに、元妻の顔を見てしまうと、一気に心が重たくなる。考えてはいけない、今の妻は私だと何度も自分に言い聞かせたが、なかなか顔を上げる事が出来なかった。
「今朝は甘えたい気分なのかな?」
クスクスと笑いながら、エリオットは可愛いと呟いて、アンナの背中を摩る。子供扱いをされているような気分だが、不安で重たくなった胸は少しずつ軽くなったような気がする。
「少し寝坊しよう。昨日は疲れただろう?」
アリシアとリジーの件を言っているのだろう。突然現れた元妻を招き入れ、医師を呼び、事情を聞いたアンナに礼を言いながら、エリオットは何度も繰り返し頭を撫でる。
「エリオット様は美しい人がお好きなのですか?」
「何、急に…」
「だって、ソフィアさんもアリシアさんも美しい方なんですもの」
ぶすっとむくれたような声でそう言うと、エリオットは面白い事を言うねと笑った。
アンナは真面目に言っているのだが、冗談だと受け取られたようで、なかなか笑う事をやめられないようだ。
「忘れたの?前の妻たちは皆母上が選んだんだ。私が選んだのはアンナだけだし、アンナはとっても可愛い人なんだから自信を持って」
「答えになっていません…」
「全く…どうして急にこんな事を言うんだい?何か思う事があるのかな?」
話してごらんと続けたエリオットの胸に顔を埋めたまま、アンナはぽつぽつと話し出す。
自分ではエリオットの妻に相応しくないのではないか。離縁したとはいえ、一度は夫婦になった人なのだから、気持ちが再燃して傍に置いてしまうのではないか。そう思うと不安なのだと話しているうちに、エリオットはゆっくりと腕の力を強めていった。
「不安に思わせてしまってごめんね。でも安心してほしい。愛しているのは君だけだよ」
何度も唇を落としながら、アンナの好きだと思うところを幾つも並べた。
笑った顔が可愛らしい。
何事にも一生懸命で、物事を達成させた時の満足げな顔を見ていると、自分も誇らしい気分になれるところ。
誰に何を言われても堂々と胸を張り、自分らしさを見失わない強さを持っているところ。
相手が誰であろうが、分け隔てなく優しく手を差し伸べるところ。
次々に並べられる言葉にどう反応すれば良いのか分からず、アンナは耳まで真っ赤になりながらエリオットの胸に更に顔を埋めた。
「確かに私は三人も妻がいたよ。でも、彼女たちには抱かなかった感情を君に抱いている。何があっても君を失いたくない、ずっと傍に居てほしい。隣に立っていてほしいのは、他の誰でもない君なんだ」
母が決めた結婚で、妻に対して女性に向ける愛情は持っていなかった。愛そうと思っていたが、守る対象だったり、友情のような感情しか抱く事が出来なかったと、エリオットは言う。
「どうしたら安心してくれるかな?」
「…分かりません」
「アンナに分からないなら私にも分からないなあ…愛情表現で贈り物をする人はいるけれど、アンナはそれで安心する人じゃないだろう?」
こくりと頷くと、エリオットは「困ったなあ」と小さく呟いた。困らせてしまったと申し訳なく思ったが、頭に頬を摺り寄せるエリオットは本心から困っているわけではない。顔がにやにやと緩んでしまっているのだが、それをアンナに見せないようにアンナの頭を軽く押さえつけた。
「苦しいです…」
「今顔を見られるわけにはいかないからね。アンナがヤキモチを焼いてくれたのが嬉しくて、今酷い顔をしているんだ」
「見たいです」
「だめ」
ぎゅっと頭を抱きしめられたアンナはもぞもぞと動いて逃れようとするが、男の力には敵わない。脇を擽ってやったが、やめてと笑いながらより一層きつく抱きしめられるだけだった。
「朝からおかしな事を言って申し訳ございません。もう大丈夫です」
「そう?でも私がまだこうしていたいから、大人しくしていておくれ」
「そろそろバトラーが起こしにくる時間では?」
「寝坊するって言えば良いよ」
困らせてやれば良いんだと笑ったエリオットの胸に顔を埋めたまま、アンナも一緒になって笑った。
堅物のバトラーが困る顔を見られたら面白そうだが、エリソンの作った朝食が冷めてしまうのは少し惜しい。しかし今は、もう少しだけこの温もりに包まれていたかった。
◆◆◆
いつもよりほんの少しだけ寝坊をして、アンナとエリオットは二人仲良く階段を降りた。リジーを抱いたアリソンは二人に挨拶をしてから出て行くつもりだったようで、ソワソワと落ち着きの無い様子で玄関ホールで待っていた。
「本当に、何とお礼を言ったら良いのか…」
「リジーはどうかしら?熱は下がった?」
「昨晩よりは下がりました。きっと夜には落ち着くと思います」
安心したように微笑んだアリシアは、エリオットがアンナの腰を抱いている姿を見て目を細めた。
「エリオット様」
「何かな」
「どうか、お幸せに」
少しだけ寂しそうな顔をして、アリシアはもう一度頭を下げて玄関から出て行った。
かつてアンナのいる場所はアリシアの居場所だった。その場所にもう戻れない事は、きっとよく分かっているのだろう。
「…エリオット様」
「うん?」
「追いかけても宜しいのですよ」
「またベッドに戻る?どれだけアンナを愛しているか、さっき散々教えてあげた筈なんだけれど」
顔を真っ赤にしたアンナを見ながらにんまりと笑ったエリオットは、お腹が空いたと言って食堂に誘う。微かに香る美味しそうな香りに、腹の虫が空腹を訴えて騒ぎ始めた。
「母上怒ってるかな?」
「相当お怒りだと思います…」
「だよね。はー…どうやって宥めようか」
今頃食堂ではエミリーが眉間に皺を寄せながら待ち構えているのだろう。顔を見た瞬間怒鳴りつけられるだろうなと想像した二人は、揃って小さな溜息を吐いた。
「説明なさい!」
扉を開いた瞬間響いた怒号。眉間に皺を寄せているどころか、怒りで顔を真っ赤にしたエミリーが扉の前で仁王立ちになっていた。
もしやここで待ち構えていたのかと驚きながら、アンナはそっとエリオットの背中に隠れた。
「母上…血圧が上がります」
「私の健康を気遣うのなら、あの女を屋敷に入れるべきではなかったわ!」
「子供が酷い熱を出していたのですから、仕方ありませんよ。子供に罪は無いのですから」
「あの子供は裏切りの象徴じゃないの!」
ぎゃんぎゃんと吠えているエミリーを落ち着かせるのは至難の業だ。まあまあとエリオットがいくら宥めようが、怒りを爆発させたエミリーが口を閉ざす事は無かった。
「あの女が何をしたのか忘れてしまったの?お前を裏切り、我が家に泥を塗ったのよ!」
エミリーの怒りはごもっともだ。大切な息子を裏切り、子供を成してしまったのだから、怒らない人間はいない。
「アンナに悪いと思わなかったの!何年も前に離縁したとはいえ、貴方の妻だった女でしょう!」
「あの、それは私がお泊りになったらどうですかと…」
「貴方が?」
驚いた表情で、エミリーはアンナを見つめる。怒りの炎が僅かに収まった隙に、エリオットは食事の時間だからと母親を定位置に座らせた。
「どうして貴方があの女を招き入れたの?普通は嫌なものでしょう?」
「知らずに招き入れてしまったのです。子供を抱いて助けを求めている女性を助けなくてはと思って…」
「あの女が元妻である事を知っても追い出さなかったのは、子供がいたからかしら?」
「その通りです。お義母様だって、高熱を出している子供を寒空の下に追い出したり出来ないでしょう?」
おずおずと言うと、エミリーはわざとらしい溜息を吐いて頭を掻く。まだ苛々しているようだが、アンナが良いと言って泊まらせたのならと無理矢理納得しようとしているようだ。
「二度とあの女を屋敷に入れないでちょうだい」
「はい、お義母様」
エミリーが嫌がるのは仕方のない事。きっとアリシアも、二度とこの屋敷に近付こうとしないだろう。アンナも出来ればあの美しい人をエリオットに近付けたくないし、怒り狂ったエミリーは面倒なので近付いてほしくなかった。
「全く…よくもまあ助けてなんて言えたわね」
「今一人で子供を育てているそうだよ。子供が死ぬかもしれないと思ったら、少しでも頼れるかもしれない相手の元に来るのは仕方のない事です」
ぶちぶちと文句を言うエミリーに、エリオットは簡単にアリシアの事情を説明した。
聞きたくない、興味も無いとエミリーは顔を背けていたが、アリシアの仕事を聞いた瞬間、顔を顰めた。
「貴族の娘が…」
「そこまでしてでも、娘を守りたいんだと思うよ。母上もその気持ちは分かるのでは?」
ぐっと唇を引き結んだエミリーは、たった一人の息子をじっと見つめた。アンナはまだ母の気持ちは分からないが、きっとエリオットが言うように、何をしてでも我が子を守りたいと思うものなのだろう。
例えそれが、胸を張って言えないような事でも。
「あの女は、何処に住んでいるのかしら」
「町外れの小さな家に住んでいるそうです。追い出したりしないでくださいね」
母を睨んだエリオットは、給仕が差し出したスープに手を伸ばす。ふわりと立ち上る湯気が、アンナの空腹を更に煽った。
「アンナは良いのかしら?すぐ傍に元妻がいるなんて…」
「今更ですよ。気にするような女が三番目の妻だったソフィアさんとお友達になると思いますか?」
「…それもそうね」
やれやれと溜息を吐き、エミリーも一口スープを口に運ぶ。まだ言いたい事はあるのだろうが、今は温かくて美味しいスープの方が大事だ。
「アンナ、聖夜祭の準備はどうかな?」
話題を変えようと、エリオットは一か月後に迫った聖夜祭の事を話題に出した。
食材の手配も済んでいるし、当日の作業についてはエリソンが町に出て、手伝いに来てくれる料理人たちと相談する事になっている。
「順調ですよ。大体の手配は終わりましたから、あとは使用人たちが上手くやってくれると思います」
「随分手際が良くなったわね」
「お義母様の御指南のおかげです」
エミリーに褒められると嬉しい。未だに小言を言われる事もあるが、以前と比べて褒めてもらえる事が増えた。ソフィアたちを迎える時に不測の事態が多発したが、それでもきちんと支度を済ませる事が出来たと知ってから、アンナに色々と任せてもらえるようにもなった。
きっと少しは認めてもらえているのだろうと、アンナは口元を綻ばせながらスープを飲む。玉ねぎの優しい甘みが口いっぱいに広がり、胃袋を優しく温めてくれた。
「そうだわ、お義母様。この間教えて頂いた刺繍のモチーフなのですけれど…上手く出来ないところがあるのです。少しお時間いただけませんか?」
「構わないわよ。今日は忙しいから、明日の朝食後はどうかしら?」
「ありがとうございます」
母と妻が仲良く話をしている姿を見つめるエリオットは嬉しそうに微笑んでいる。かつての妻たちは、食事の最中エミリーと目を合わせようともしなかった。エリオットはいつもローラと話をして、エミリーは妻相手にぐちぐちと小言を言ってばかり。そんな食事の時間が苦痛だったのだが、アンナのおかげで楽しく食事をする事が出来るようになった。
「アンナ、この後少し出かけよう。隣町に用事があるから付いて来てほしいんだ」
「よろこんで」
「昨日出来上がったドレスを着てきてほしいな。良い?」
「あれですか?構いませんが…」
どうしてあのドレスを指定したのかは分からないが、エリオットがそう言うのなら、言われた通りにするだけだ。
何処に行くのかなと楽しみにしながら、アンナは次々運ばれてくる料理を堪能した。




