22.思い付き
「エリオット様!助けてください!」
悲鳴混じりの声を上げたアンナは、ドレスのお姉さんと呼ばれながら住民の子供たちに囲まれていた。少し離れた場所で見ているエリオットは微笑ましそうな顔でその様子を眺めているのだが、転んでしまう前に助けてほしい。
「ほらほら、私の妻が転ぶ前に返しておくれ」
漸く助け出されたアンナは、げっそりとした顔でエリオットの腕に縋りつく。子供は好きだが、流石にこれだけ遠慮なくもみくちゃにされるのは好きになれそうにない。
「もう少し早く助けてくださいな…」
「面白かったから、つい」
ごめんねと笑ったエリオットは、子供たちに手を振って歩き出す。町は賑やかで、本邸の周りよりも栄えているように見えた。
エリオットが言うに、グルテール領で一番栄えている町だそうで、沢山の店が並んでいたり、お金を持った人達が集まる町なのだそうだ。
「用事って何ですか?」
「君のドレスを見せびらかしに来たんだよ」
「ええ…見せる程上手に刺せていないと思うのですが…」
「そんな事ないと思うけれど…」
染みを隠す為に刺繍を刺しただけ。なるべく丁寧に刺したつもりだが、職人の仕事と比べてしまうと胸を張って見せられる程の腕ではないと自分でも分かる。
「あ、いたいた」
「おーい」
ブンブンと手を振っている男に、エリオットはひらりと手を上げた。それは以前屋敷に招いたピーターで、満面の笑みで二人を迎えてくれた。
「ごきげんよう、ピーターさん」
「どうも、夫人。ご機嫌麗しゅう」
恭しく頭を下げたピーターは楽しそうに笑っていた。どうしてここにいるのだと問いたくなったが、それは聞かなくてもすぐに分かった。
「当店へようこそ!最高の宝石をご用意しておりますよ」
「おい…今日は買い物に来たわけじゃないぞ」
「口上ってやつだよ」
へらりと笑ったピーターに連れられ、アンナとエリオットは店の奥へと進んでいく。幾つか宝石を展示してはいるが、殆どは大事に金庫にしまい込んでいるそうで、客が来たら奥に通して商談をするそうだ。
「こんにちは、お二人共」
通された部屋にはソフィアもいた。穏やかに微笑みながら出迎えてくれたのだが、何となく以前と比べて華やかさが控えめになっていた。
着ているドレスも以前程華やかなものではないし、何だかすっかり落ち着いた奥様のような印象に変わっていた。
「雰囲気変わったでしょう?」
「実家を追い出されてしまいましたの」
うふふと笑ったソフィアがピーターに擦り寄った。ちらりと見えた左手には、大粒のダイヤが嵌められた指輪が輝いている。
二人は笑っているが、追い出されたという言葉に、アンナとエリオットは揃って口をあんぐりと開いて固まった。
「何が…え?」
「お父様と喧嘩したの。やっぱり商人と結婚は許さないって言うから飛び出して来ちゃった」
飛び出しただけでなく、勝手に結婚したと笑ったソフィアは、とても幸せそうに見える。公爵家の娘がする事かとエリオットは声を荒げたが、ソフィアはふふんと鼻を鳴らして言った。
「もう公爵令嬢じゃないわ」
「そういう事を言っているんじゃないんだが」
「もう遅いわ。結婚証明書にもサインしたんだから」
溜息を吐いたエリオットの隣で、アンナは困惑したままぱちぱちと手を叩きながら「おめでとうございます」と祝福の言葉を贈る。
ソフィアはこの結婚を回りから反対されていたようで、祝福してもらえたのは初めてだと嬉しそうに笑って言った。
「そういうわけだから、今はここに住んでいるの。よろしくね、領主様?」
にんまりと笑ったソフィアは、この街で一番大きな家に住んでいるらしい。アンドリュー家は宝石商で成功しており、資産は潤沢にある。公爵家で育ったソフィアが何不自由なく生活出来るだけの環境は整っているし、心配いらないとピーターは言うが、元妻が二人もすぐ傍にいると思うと、エリオットの頭が少し痛んだような気がした。
「ソフィア…君の人生に私が口出しをするものではないと分かっているけれど、元妻である君が傍にいる事をアンナが嫌がるとは思わなかったのかい?」
「それは少し気になりましたけれど…」
もごもごと口ごもったソフィアは、遠慮がちにアンナに視線を向ける。ピーターも少し気になっていたようで、困ったように後頭部を掻いていた。
「もし夫人が嫌だと仰るのなら、拠点を移します。元々王都で店を出したのが我が家の始まりですから…」
「気にしませんよ。ソフィアさんは私の友人ですもの」
にっこりと言ったアンナに、ソフィアとピーターは安心したように息を吐いた。
エリオットは納得していないような顔をしているが、アンナは本当にソフィアを友人だと思っているし、隣町に住んでいても構わないと思った。
「私の元妻だよ?良いのかい?」
「今の妻は私ですよ。むしろピーターさんがお気になさらないかの方が心配です」
「え?俺は全く…エリオットは友人の妻とどうにかなろうとする男じゃないですから」
気にしないと二人で言うと、元夫婦の二人は揃って顔を見合わせた。心の広い伴侶を手に入れたと吹き出すと、今度は四人で声を漏らして笑い合う。
何だか不思議な関係の四人になってしまったが、仲良くやれるのならそれで良い。
「結婚のお祝いをしませんと。何か欲しい物はありませんか?」
「何でも言ってくれ。必ず準備するから」
「そうだなあ…すぐには思い付かない」
うーんと唸りながら考えるピーターは、まだ腕に絡みついているソフィアに視線を向ける。ソフィアも特に思い付かないと小さく首を横に振り、思い付いたらお知らせしますねと微笑んだ。
「そろそろ座ってくださいな。お客様をいつまでも立たせたままで申し訳ございません」
そういえばと思い出したような顔で、ソフィアはアンナとエリオットに座るよう促した。
大人しく客人二人が腰を下ろすと、ソフィアはせっせとお茶の支度をし始める。公爵家の令嬢だった頃、お茶の支度は使用人の仕事だった。今は貴族ではないし、この建物にいるのは仕事で雇っている人ばかりで、お茶が飲みたければ自分で用意するしかないようだ。
「ソフィア、俺がやるよ」
「私の仕事を取らないで」
仲が良さそうだなと新婚夫婦を見ていると、アンナの口元はにやにやと緩んでしまう。だらしない顔をしないように表情を引き締めようとするのだが、初めて会った時のソフィアに比べて柔らかく微笑んでいるところを見てしまうと、「可愛い」と思わず呟いてしまう程癒された。
「そうだ、今日の用事を…」
お茶の支度を奪い取れなかったピーターは、小さな金庫の中から二つの小箱を取り出し、テーブルに置いた。
一つはオパールの耳飾り、もう一つはペリドットの指輪だった。
「素敵…」
結婚祝いだと言って、ピーターが屋敷に持ってきてくれた宝石は、身につけられるように加工されて戻って来たらしい。
溜息交じりに呆けているアンナの隣で、エリオットが指輪の小箱を手に取った。
「流石、良い出来だ」
「当然だろう?うちの職人は国一番だ」
にんまりと笑ったピーターが向かい側に腰かけ、ソフィアは人数分のお茶をテーブルに置き、自分も座る。
ソフィアが嵌めている指輪もウィルソン家の職人が作ったそうで、アンナによく見えるように手を差し出してくれた。
「台座の細工も見事ですね…」
「そうでしょう?歳を重ねても、いつまでも身につけられるように。それでいて華やかさを忘れない意匠にしてもらったのです」
大粒のダイヤだけだと思っていたのだが、ぐるりと取り囲むように小さなダイヤが嵌っている。動く度にキラキラと輝いて見えたのは、この小さなダイヤが光を反射していたからなのだろう。
「アンナ様の指輪も素敵ですよ。どうぞ手に取って見てくださいな」
お待ちかねですよとエリオットに視線を向けながら言った通り、アンナの手を取ろうと待ち構えているエリオットと目が合った。
そっと左手を差し出せば、薬指に真新しい指輪が嵌められた。
「綺麗…」
うっとりと眺めるアンナの頬に赤みが差す。エリオットの瞳によく似た色の石は、アンナのお気に入りとなった。指輪の台座は植物の蔦のようになっており、永遠の愛を象徴しているのだとピーターが教えてくれた。
「永遠の愛…」
同じ言葉を繰り返したアンナは顔を真っ赤にしてエリオットを見つめる。優しく微笑むエリオットは、指輪を嵌めた左手に唇を寄せる。
友人の前で何をと文句を言いたかったが、ピーターとソフィアは揶揄うようにニヤニヤと笑っている。恥ずかしい、今すぐ消えたいと顔を俯かせたアンナの耳元で、エリオットがそっと囁いた。
「愛しているよ、アンナ」
「ひぇ…」
「何言ったんだ?」
「やめなさい、下世話なんだから」
両手で顔を覆って恥ずかしがっているアンナを眺めながら、残りの三人は楽しそうに笑う。おもちゃにしないでと怒り出したアンナを宥める為か、ソフィアは用意していたお茶菓子を取りに立ち上がる。
「幸せねぇ」
うふふと楽しそうに笑ったソフィアの足取りは軽い。スカートの膨らみが少ないドレスを着て、するすると歩いて行く背中を、ほんの少し恨めしい気分で見つめた。
◆◆◆
少し大事な話があるからと、ピーターとエリオットは別室に消えていった。アンナはソフィアと二人で楽しくお喋りをしているのだが、幼い頃から友人がいなかったアンナにとって、初めての友達になってくれたソフィアは女神のように思えてならない。
「そういえば今着ていらっしゃるドレス、見覚えがあるのですけれど…」
「恐らくソフィアさんのドレスですね。染みが出来てしまったので刺繍を刺してみました」
ちょいとスカートを摘んで微笑んだアンナは、まだ刺したいドレスが五着もあるのだと困り顔をした。ソフィアは新しいドレスを作ったら良いと言うが、そこはまだ公爵家の令嬢のままなのだろう。
「刺繍をしてしまえば目立ちませんから」
「それはそうですけれど…大変でしょう?ハンカチとは違うのですから」
まじまじとアンナの刺繍を眺めているソフィアは、刺繍は好きではないらしい。
長い時間をかけてちまちまと同じような作業を続けるよりも、お菓子を食べながらのんびりとお喋りをしている方が好きなようだ。
「手直しすればまだ使える物を捨ててしまうのは勿体なくて…こういうところは貧乏が染みついていますね」
「倹約家ということでしょう。私も見習わなくては」
上品に笑うソフィアは、今着ているドレスも大切にすると言葉を続ける。お金を稼ぐ事が大変な事だと、まだ短い結婚生活で思い知ったそうだ。
「倹約は素晴らしい事ですけれど、奥様はもっとドレスを作った方が宜しいわ。結婚してから何着作りましたの?」
「殆ど作っていませんね。エリオット様は職人を呼ぶと言うのですけれど…気乗りしなくて」
ドレス一着でどれほどのお金を使うのだろうと思うと、贅沢すぎると気がしてしまう。衣裳部屋には着られない程沢山のドレスがあるし、それだけあれば充分だ。
「私たちは職人から見れば広告塔ですからね…お気に入りのデザイナーが見つかった時は積極的に作ると良いわ。喜ばれますから」
「そういうものですか?」
「そういうものです。夜会の時、素敵なドレスを着た方に何処のデザイナーの物か聞く方がいらっしゃるでしょう?」
自分も同じデザイナーに頼みたいから教えてほしいと頼む女性はそれなりにいる。
アンナも会話に困って相手のドレスを褒める事があるし、その時は必ず自慢げにお抱えのデザイナーがいるだとか、王都の有名店だとか、親切に教えてもらっている。
「領地の職人が作った物を身に着ける方もいますね。あとは屋敷に沢山置いておいて、どなたか尋ねて来た時に紹介するのです。気に入ってもらえれば、職人に仕事が舞い込みますし…」
贅沢は悪い事ばかりではないと教えてくれるソフィアの向かいで、アンナはじっと自分のドレスを見つめながら考え込む。
ソフィアの言う事は間違っていないのかもしれないが、貧乏生活が染みついてしまっているアンナは心から納得する事は出来ていない。
「ふふ、気乗りしないといったお顔ですね。頭の片隅に置いておいてくださいな」
「あ…申し訳ございません。その…長年貧乏生活をしていると、ドレスよりもパンの方が重要でして」
何となく恥ずかしくなり、ぎゅっとドレスを握りしめると、それに気付いたソフィアは一緒に頑張りましょうねと言って励ましてくれた。
「二人とも、ちょっと良いかな」
話し込んでいたエリオットとピーターが戻って来たようで、それぞれ座っていた場所に座り直すと、エリオットが口を開いた。
「これを見てくれないか」
そう言って、エリオットはテーブルに小さな袋を置く。中に入っていたのは沢山のビーズのようで、これがどうかしたのかとアンナはソフィアと共に首を傾げた。
「最近くず石が増えたんですよ。捨ててしまうのは勿体ないですし、有効活用できないかと考えておりまして」
にっこりと微笑んだピーターは、アンナの顔をじっと見つめる。見られても何も思い付かないのだが、エリオットは優しくアンナの背中を摩りながら言った。
「くず石をビーズに加工してみたんだ。これを使って何か作ってみようと相談していてね」
「何を作るか、私たちも意見を出してほしいという事ですか?」
「その通り。これを使って新しい商品を生み出したいんだそうだ。上手くいきそうなら、我が家から出資金を出すんだよ」
ニッコリと微笑んだエリオットの隣で、アンナはじっと小さなビーズたちを見つめる。糸に通してアクセサリーにするくらいしか使い道は無さそうだが、それくらいならエリオットとピーターでも思い付くだろう。
「レースは如何?糸の途中にビーズを入れるの」
ぽんと手を叩きながら言ったソフィアは、昔レース編みを教わった事があるらしい。シャトルに糸を通し、ちまちまと同じ動きを繰り返すのが退屈ですぐに飽きたそうだが、慣れてしまえば簡単らしい。
「刺繍にも向きそうですね。花の刺繍にビーズが入れば華やかになると思います」
「レース編みと刺繍か…難しい?誰にでも出来るかな?」
「向き不向きはあると思いますが、良家の娘であればどちらも教養として習います」
そうよねと笑ったソフィアは、アンナがレース編みを教わった事が無いと知らずにいる。そんな時間は無かったし、刺繍をしていたのは当て布をしすぎてあまりにもみすぼらしいからと、少しはどうにかしようと努力した結果である。
「うーん…どっちも一つ品物を作るまでに時間が掛かりすぎる。現実的じゃないな」
肩を竦ませたピーターに、三人は溜息を吐いた。廃棄してしまう石を有効活用しようと考えたまでは良かったが、その先を考えるのは大変だ。
「人手を集めれば、問題は解決しますか?」
ふと思い付いたアンナは、ピーターを見つめながらそう言った。
こくりと頷いてもらえたが、エリオットはどうするつもりか分からないようで、アンナの顔を黙って見つめている。
「働きたい人間は、沢山いると思いますよ」
にんまりと笑ったアンナは、良い事を思い付いたと自分で自分を褒めてやった。勿論それを言葉に出す事は無かったが、ニヤニヤと笑っているアンナを見ながら、エリオットは「またこの顔だ」と溜息を吐いて頬杖を突いた。




