36 ツェツイーリアちゃん参戦?
大魔道士パンプーヤの呼びかけに答えるツェツイの声を聞き、イェンは落ちかけた意識の底から再び浮き上がる。
まさか、と目を開き視線を上げた正面、空間がゆらりゆらりと歪み始めた。そこから感じる魔力の波動はよく知ったもの。それは間違いなくツェツイのものだ。
「じじい、何でここにあいつを呼ぶ! あいつを巻き込むつもりか!」
こんな姿をツェツイに見せるわけにはいなかい。
泣かれてしまう。
泣かせたくない。
あるいは、激怒してレギナルトに戦いを挑もうとするかもしれない。ツェツイが意外にも直情的であることもイェンはよく知っている。しかし、目の前の相手は戦いにかんしてそうとうな場数を踏んできているのは確か。戦い慣れている。決して、ツェツイの実力を低くみるわけではない。が、ツェツイにかなう相手ではない。
戦わせるわけにはいかない。
ツェツイを巻き込むわけには決して。
いや……それどころか……。
イェンはがりっと、爪をたてるようにして地面を掻いた。
ツェツイには自分にはもう使うことのできない回復系の魔術をすべて引き継がせた。蘇りの術もしかり。
三年前、術を引き継がせたとき、この術だけは使ってはいけない、知識として持っているだけだと、ツェツイに厳しく言い聞かせ約束させた。だが、もしここで自分が命を落とすことになってしまったら、ツェツイは禁断の術でもって自分の魂を呼び戻そうとするかもしれない。
大切な者を失いたくないという衝動で罪に手を出してしまった自分と同じように、彼女もまたその小さな手を罪に染めてしまう可能性はおおいにあり得ることだ。
くそじじいが奥の手と言ったのはこのことか。
こんなの奥の手でも何でもねえ。
あいつに俺と同じ轍を踏ませる気か。
くそっ!
俺が不甲斐ねえばかりにツェツイを……。
「だめだツェツイ。来るな……おまえはここに来ちゃいけない!」
来るな、と必死になって訴えるイェンの目の前を、吹く風に誘われ、どこからともなく無数の白い花びらがさっと舞い散るのが映った。それは、こんな状況にはまったくそぐわない美しい光景であった。その直後、歪んだ空間から一人の少女が姿を現した。
言わずもがなツェツイーリアだ。
体重を感じさせない軽やかさで、とんと地面に足をついたツェツイの真っ白なワンピースの裾が大きく膨らんでひるがえる。腰のリボンがふわりと虚空に舞うさまは、まるで妖精の羽を思わせた。
地面に降り立ったツェツイは、すぐさま倒れたイェンの元に泣きながら駈け寄るかと思いきや、イェンを背にかばうように両手を大きく広げ、挑むような目で黒衣の魔道士、レギナルトを見上げた。
「誰だ? あの愛くるしい少女は。まるで天使ちゃん」
「ふわふわの美少女ちゃんですー。綿菓子みたいです」
「小っちゃいっス。お人形さんみたいに可愛いっス!」
「妖精さん……」
「ツェツイーリアちゃん!」
「ツェツイ!」
イヴンと双子たちの声に、その場にいた全員がえ? と、目ん玉を飛びださんばかりに大きく見開いた。四人組にかんしては驚きのあまり口をあんぐりと開けている。
イェン自身は恋人ではないと言い切っていたが、その彼の危機に駆けつけてきたということは、彼女にとっては大切な人なのだろうことは誰の目にも明らかであった。
「あの少女がツェツイ-リアちゃんだと? つまり、あいつの恋人……十二歳年下というのは本当だったのか。あんな汚れきった外道に、あのような可憐な少女が」
「てっきり、冗談だと思っていたのだけれど」
リプリーとエーファも現れた小さな少女に注目する。
「何考えてんだ、じじい! 何故ツェツイをこの場に呼んだ!」
『どうじゃ? 見たか? かわゆいツェツイ-リアちゃん登場のために、たくさん花びらを散らしてやったぞい。ちょっとした演出じゃ』
「ふざけんなっ!」
『死にかけのくせに、そう怒鳴らんでも。だから、奥の手と言ったじゃろ?』
大魔道士パンプーヤは、まったく悪びれた素振りもなくひょうひょうとした口調で言う。
「あいつを危険にさらす気か! あいつに罪を……」
傷の痛みに顔を歪めながら、イェンはぎりぎりと歯を鳴らした。この場にパンプーヤの姿があったら掴みかかっていったかもしれない。もっとも、怪我のせいで動くこともままならないが。
『罪じゃって? おまえさんは可愛い自分の弟子を信じてやることもできんのか? まったく情けないぞい』
「なん、だと?」
「これはこれは、驚きました。ここにきて、まさか小さなお弟子さんの登場とは」
驚いたと言うわりには、レギナルトの口調は相変わらず淡々としたものであった。それどころか、ツェツイがこの場に現れたところで、状況は何一つ変わらないとでも言いたげであった。
「あなたを攻撃することができないとわかっていながら、ずいぶんと、お師匠様にひどいことをしてくれましたね。こんな真似をして」
「こんな真似をして私を許さないと? ですが、あなたに何ができるというのですか?」
「子どもだからといって侮らないでください。こう見えてもあたし、攻撃魔術も得意ですよ」
眉間をきつく寄せ、ツェツイは目の前のレギナルトをにらみ据える。
レギナルトとツェツイの間に緊迫した空気が流れた。
「ツェツイ!」
ツェツイを制する切羽つまったイェンの声。
その声に、レギナルトは地面に這いつくばったままのイェンを一瞥し、再びツェツイーリアに視線を戻すとほう? とおかしそうに小さく声をもらした。
「では、彼の代わりに、弟子であるあなたが私と戦うというのですか?」
「まるで、あたしでは相手にならないとでも言いたげですね」
「そんなつもりで言ったのではないのですが、そう感じてしまいましたか? それにしても、師匠とは違ってお弟子さんの方はずいぶんと好戦的なのですね。ならば、試してみましょうか? 小さな女の子を痛めつける趣味は私にはないので、怪我をしない程度に遊んであげますよ」
「おまえ……」
それまで、地面から起き上がれずにいたイェンがゆらりと立ち上がった。その形相は今まで見たこともないほど凄まじいものだった。
その身から放たれる気はもはや殺気に近い。
「ツェツイ、そこをどけ」
「いいえ、どきません」
「俺の言うことがきけないのか。いいから」
どけ、と低い声をもらしてイェンはツェツイの肩に手を伸ばす。が、己の手が血で汚れていることに気づき、すぐにその手をツェツイに触れることなく引っ込めた。
もはや、イェンを動かすのは大切な弟子であるツェツイを傷つけさせたりはしないという気迫だけであった。
「前にも言ったはずだ。こいつに指一本でも触れたらおまえを消してやると」
「おや? 大切なお弟子さんの登場で、ようやく本気を出していただけましたか? なるほど、最初からそこにいる王子様ではなく、彼女を呼び寄せておけばよかったというわけですね。ですが、もう遅いでしょう。もはや、あなたに戦う気力もない。大切な彼女を守ってあげられるだけの力も残されていない」
「そうか? それこそ試してみるか? あとかたもなくおまえを消してやるぞ」
「あなたにそれができるのですか」
「だから、試してみるかって言ってんだよ。容赦しねえぞ」
「あなたでも、そんな目をするのですね」
「だめですお師匠様。そんな身体で動いてはだめです! 重傷なんですよ!」
悲鳴をあげてツェツイはいやと首を振る。
「ツェツイわかっているな」
血に汚れていない手の甲をツェツイのあごに添えて上向かせた。半眼でツェツイを見下ろすその目は厳しい。
「たとえもし俺に何かあったとしても……」
「お師匠様……」
「その先は、言わなくてもわかるな。師弟の縁をきることになるぞ」
師弟の縁をきると言われてツェツイは泣きそうな顔で瞳を揺らした。
「それはいやです。でも、お師匠様は勘違いしています」
ツェツイは再びくるりとレギナルトに向き直った。
「あなたとなんか戦いません。魔術で人を傷つけてはいけない」
「そう〝灯〟の掟ですね」
レギナルトは嫌味のように口許にうっすらとした嗤いを浮かべた。
「いいえ、お師匠様の教えです。あたしは絶対にお師匠様との約束を違えたりはしません」
「私と戦うつもりはない。ならば、あなたがここへやって来た理由は何でしょうか? 傷ついた彼を回復させてあげようとでも? ですが、ご存じでしょう。彼にはいっさいの回復魔術が効かないということを。どうするのですか?」
「ひとつ、あなたに言っておきます。お師匠様は絶対に人を傷つけたりはしない。そのおかげであなたはそうして無傷で立っていられるってことを忘れないでください。これ以上、お師匠様を傷つけさせません。そして、あたしがここに来た理由は」
そう言って、ツェツイはレギナルトににこりと微笑んでみせた。それはどこか勝ち誇った笑みでもあった。
「こうするためです!」
言って、ツェツイはイェンの両腕にすがりついた。
瞬間、二人の姿がその場から消えた。
二人が立っていたその場所に、白い花びらが舞いあがった。




