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35 イェン絶体絶命……

「レギナルト。その名前には聞き覚えがあるぜ。〝灯〟の中でもごく一部の者しか知らない話だ。十五年前、魔術と医学の国ディナガウスで、わずか八歳にして〝灯〟の最高位に昇りつめた天才魔道士がいた。だがそいつは禁である悪魔召喚に手を出し、魔道士の資格を剥奪。〝灯〟の奥深くに監禁され処分を受けるはずだった。だがよくよく調べてみると、それは一部の大人たちがレギナルトの才能を妬み、巧みに罠を仕掛け、陥れた仕業だということがすぐに判明した。誤解は解けた。が、すでにレギナルトはディナガウスの〝灯〟から逃げ出し、そのまま行方しれずとなってしまった。レギナルトを陥れた魔道士たちも魔道の道を断たれ〝灯〟を追放された。あんたの疑いはとっくに晴れている。もう一度〝灯〟に戻ることだってできる」


「そんな、昔のことなど……」


 今度はレギナルトの方が過去の記憶に触れることを拒む様子であった。

 いまいましい追憶の糸を断ち切るかのごとく杖を振り払い、眼前にかまえる。


『光よ我のもとへ』


 イェンは苛立ちの表情をあらわにする。光の攻撃術。だが、そんな単純な攻撃はもう通用しないと言ったはず。

 詠唱とともに、束状の光がレギナルトの杖の先端に向かって集まっていく。

 イェンは杖でとんと地面を叩き、防御の術を一瞬で張る。

 大きく膨らんだその光の塊を、レギナルトは一気に上空に向かって解き放つ。

 目もくらむような強い光が空をおおった。


 が……。


 来るはずの攻撃がこない。

 眩しさに目をすがめ、イェンは光の行方を追う。

 上空に放たれた一筋の光はあろうことかレギナルト自身に向かって落ちていく。その攻撃を全身で受け止めようとばかりに、レギナルトは大きく両手を広げた。


 あいつ、何考えてやがる!


 左手を突き出しイェンはレギナルトに向かって防御術を張る。だが、それよりも早く落ちてきた光はレギナルトの胸から背を斜めに貫き、きらめく粒子を拡散させ地面に砕け散った。


 すべての音がかき消された。

 時が止まってしまったかのような、そんな静寂が辺りを包む。

 何が起きたのかわからず、イェンは呆然と立ちつくす。

 押さえつけるリプリーとエーファの手を振りほどき、悲痛な表情でイヴンがこちらへと駆けてくるのが視界のはしに映った。

 まるで時の流れが緩やかになったと思うくらいの動作だった。


 何? 何でおまえが泣いてんだよ。


 顔をゆがめ、泣きながらイヴンはこちらに駆け寄り、転んでは起き上がってを繰り返し走ってくる。

 その口は何かを叫んでいた。

 何も聞こえない。

 だが、自分の名前を叫んでいることだけはわかった。


「……っ」


 手にしていたパンプーヤの杖が離れ、どっと音をたてて地面に倒れ砂煙を上げる。

 胸に焼けつくような痛みを感じ、イェンは胸元に手をあてる。見つめたその手は真っ赤な血で濡れていた。

 流れる血が足元に点々としみを作っていく。

 青ざめた顔でイェンはその場に膝をつく。そして、うつぶせになって地面に倒れ込んだ。 胸のあたりからじわりと血溜まりが広がっていく。

 光の攻撃に体を貫かれ、苦痛の呻きとともに倒れたのはレギナルトではなく、イェンの方だった。

 騒然としたざわめきを耳に取り戻す。


「コケーッ!」


 側ではヤンが鳴き声を上げ、イェンの頭を嘴で何度も突っつき、せわしなく動き回っていた。

 何故だ、とイェンは視線だけを動かしレギナルトを見上げる。

 相手はフード越しにこちらを見下ろしていた。

 そうか……とイェンは薄く笑った。

 その笑いはどこか相手を哀れむ笑いであった。

 受けた攻撃と負った傷をそっくりそのまま、定めた相手に移行させる高位の術を相手は使ったのだ。

 本来の使い道は相手の負った傷をすべて自分に引き受ける自己犠牲の術だ。


 おまえ……。


 使い方を間違っているぞ、と言ってやりたかったが声にはならなかった。

 レギナルトは倒れたイェンに近づいていく。

 こちらを見下ろすレギナルトの目と、イェンの目がかち合う。

 ふと、相手の瞳に動揺の色を見つけイェンは訝しむ。レギナルトのその目はまるで、こうなることなど予想していなかったとでもいうような目であった。

 仕向けておいて何だよその目は? と言いかけたイェンの元に、駆けつけたイヴンが着ていた寝間着の裾を引き裂き、応急処置をほどこそうと試みる。

 慣れない手つきに、小刻みに震える声と手。しかし、イェンはその手を振り払った。

 もういいから……行け、というように。

 杖を手放したと同時に、回りに被害が及ばないよう張った結界が解除されてしまった。 ここにいてはイヴンを危険に巻き込んでしまう。

 ようやく状況を理解した〝灯〟の魔道士たちが、倒れたイェンに回復魔術をかけるため動き出すのを、すぐさま、イェンの父が無言のまま手で制する。

 魔道士たちが訝しんだのは言うまでもなかった。

 イェンの大罪は〝灯〟の中でも上層部の、それも一部の者しか知らない。

 回復魔術をほどこしたところでイェンには意味がない。理由は先ほどレギナルトが言った通りだ。そして、そのことを知られるわけにはいかない。


「兄貴は回復魔術がだめなんだ!」


「ハイデラちゃんがいけないことをしたからって言ってましたです!」


 事情を知らない四人組が余計なことを喋り出した。が、要領の得ない説明に魔道士たちには何のことだかわからなかったようだ。


「とにかく医者だ! 医者を呼べ!」


「この中に誰かお医者さんはいませんですかー?」


「ふつーのお医者さまっス」


「ハイデラちゃんを呼ぼう……」


「ばか言え! ハイデラちゃんは遠い遠い東の港町だぞ。呼べるわけがないだろ!」


 アホか! と言い捨てる頭の両肩に、突然イェン父ががしりとつかみ激しく揺さぶった。


「あなたたち、ハイデラ・グリエンタ様をご存じなのですか?」


「え? ハイデラちゃん? 魔道士で女医の女の子ですよね」


「女の子……」


 その言葉に引っかかったのか、イェン父は唸り声をもらし首をかしげる。


「ハイデラ様は今年還暦の祝いを迎えるはず……いや、まあよい! 彼女は各地の〝灯〟を転々とし一所に留まることはないのだが、運が良ければ捕まるかもしれない。早速〝灯〟の通信魔術でハイデラ様に連絡をとってみましょう。誰か! ハイデラ・グリエンタ様にご連絡を!」


 長の命令に数名の魔道士たちが〝灯〟へと身をひるがえす。


「この場にいる他の者はいっさい手出しをしてはならない」


 手出しは無用と長に言われ、その場に残された魔道士たちはどうしたものかと困惑している。


「だが、あのままでは彼が……」


「早く回復をしないと」


「これは命令だ」


 〝灯〟の長に命令と言われてしまっては、彼らも身動きをとることができなかった。その理由を求めることも許される雰囲気ではなかった。彼らはみな固唾を飲んでこの状況を見守るしかなかった。

 あわあわとこのやりとりを眺めていた四人組はふと我に返り、再びイェンと黒衣の魔道士に視線を戻した。


「これでも本気をださないというのなら、もう一度その王子をあの世へと送ってさしあげましょうか? けれど」


 蘇りの術はもう、あなたには使えないのですよ、と囁き含みレギナルトはイェンに言い聞かせる。


「そんなこと……させるか……」


 かすれた声がイェンの口からもれる。

 すかさずイェンを守ろうとイヴンがおおいかぶさってきた。その体勢のまま、肩越しに振り返り上目遣いで挑むように魔道士を睨む。


「僕の命はイェンからもらった大事な命だ! おまえの好きにはさせない。おまえみたいに人の命をもてあそぶ真似は許さない! これ以上イェンを傷つけるのも許さない!」


 側にいるはずのイヴンの声がまるで遠くに聞こえる。

 目がかすみ、視界が揺らぐ。

 イェンからもらった大事な命……。


 そう思ってくれているのか。


 イェンは口許に微かな笑みをのぼらせた。目の奥に熱いものが込み上げてくる。

 罪は許されなくとも、その言葉に救われた気がする。


「私を許さない? 力も何も持たないあなたに何ができるというのです」


 侮蔑を込めた物言いだ。けれどイヴンは動じなかった。むしろイェンの方が歯噛みする。

 ふと手に温もりを感じた。

 イヴンの手が、ぎゅっとイェンの手を握りしめる。


「イェン、僕、間違っていたね。イェンが身を削ってまで与えてくれた大事な命だと、わかっているつもりで、本当は、何もわかっていなかったんだ。僕は今まで、回りに流されるまま、ただ何となく毎日を過ごしてきてしまった。ねえイェン、僕ヴルカーンベルクに行ったらいろんな事、やりたいこと、やらなければいけないことを見つけて頑張る。だけど僕にはまだ、イェンが必要なんだ。側にいて欲しいんだ。僕、まだまだ子供だね。でも、イェンがいないと寂しいよ」


「おまえ……」


 握りしめてくるイヴンの手にさらに力がこもる。イェンは歯を食いしばった。レギナルトはイヴンにおまえに何ができると言った。だが、イヴンの、その思いだけで落ちかけていきそうになる意識をとどめるには充分だった。


「大好きだよ、イェン」


 言うや否や、イヴンはレギナルトに飛びかかった。これ以上、敵に攻撃をさせまいとイヴンは必死にくらいつく。


「あんなんじゃダメだ!」


「やられ返されちゃう!」


 ノイとアルトが同時に叫ぶ。

 レギナルトは軽くイヴンを払いのける。その反動でイブンは地面に尻をつくが、それでもあきらめずに何度も魔道士につかみかかっていった。そのしつこさに業を煮やしたのか、レギナルトは杖で強くイヴンを払い飛ばした。相手の杖の先端が口許にぶつかり、イヴンの口の端に血がにじむ。


「時間かせぎだ」


 ぽつりとノイが呟き、アルトがうなずいてその先をつなぐ。


「あいつの注意を引きつけ、兄ちゃんが立ち上がるまでの時間かせぎ」


「兄ちゃん、俺たち」


「信じてるからな!」


「やめろ、イヴン……」


 双子たちが手を握りしめ、兄を見守るなか、イェンは声にならない声で呟き、片腕で地面を這い、血のあとを引きずりながらもう片方の手で離れたところに横たわるパンプーヤの杖に手を伸ばす。

 震える指先が杖に触れたその時。


『そうじゃ、気を失ってるばあいじゃないぞい!』


 誰かが頭の中へ語りかけてくる声を聞く。

 聞き覚えのあるその声はパンプーヤのくそじじいの声。

 何でじじいがここに、と思いながら杖を引き寄せ握りしめる。

 なのに。


 くそ……力が入らねえ。

 この身体で、こんな重てえ杖なんか持てるかよ。

 起き上がれねえ。


『さすがのおまえさんも、もうだめか?』


「何言ってる。このくらい……まだだ……」


『まあ、おまえさんはここまでよく頑張ったほうじゃ』


「耳元でうるせえよ。気が散るだろ!」


『最後まで敵を攻撃しようとはしなかったおまえさんの性格は、そもそも戦い向きじゃあないからのう。それどころか、相手の、過去に受けたであろう心の傷を慮ってあやつを拘束することもしなかった。あるいは〝灯〟に捕らわれていた自分の過去と重ねてしまったか。まあ、その優しさがおまえさんのよいところでもあり、甘いというのが欠点じゃ、ぞい』


「知った風な口をきくな。それと、その口調で喋るなって前々から言ってんだろうが……いらつくんだよ!」


 相変わらず勘に障るじじいだと、イェンは歯ぎしりする。


『もうよい。安らかに眠るがよいぞい。言い残すことはないか? 後のことは……』


「だから! こんな時まで人をからかうんじゃねえよ。死なねえよ! 勝手に俺を殺すな……くそっ……」


「あいつは何をしてる。いったい誰と喋っているのだっ! とうとう、頭がおかしくなったのか! 貴様、そんな姿をさらして情けないぞ。立て、立つんだ!」


 遠くでエーファの怒鳴り声を聞く。

 杖を握りしめたままイェンは何度も立ち上がろうと試みる。が、受けた傷は思いのほか深いようだ。やがて、力尽きたイェンの唇からか細い息がもれるだけ。


「イェン……やだよ、イェン! 死んじゃいやだ!」


 イヴンの悲痛な泣き声にすらも反応することはなかった。


 悪いなイヴン。


 ふと脳裏を過ぎる小さな少女の笑顔にイェンは瞳を揺らした。


 ツェツイ──

 ごめんな。


『ありゃりゃー。こりゃ、冗談抜きにいよいよだめかもしれんのう。仕方がない。こうなったら奥の手じゃ。ツェツイーリアちゃん! ツェツイーリアちゃん出番だぞい。超見せ場だぞい。こっちに来るんじゃぞい』


 大魔道士パンプーヤの呼び声に、間を開けず即座に答える幼い少女の声。


「はい! パンプーヤ様、いま参ります!」


 ツェツイ……?

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