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mercy rain  作者: 塔子
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【柔らかな日差しの中で】

番外編その3です。

夏休みも、もうすぐ終わりという土曜日の朝。


今日の私はキッチンに立ち、せっせと出来上がったカレーをお鍋から大きなタッパーに流し込んでいる。


後ろにあるダイニングテーブルには、ママと華江おばさんが楽しげに笑いながら紅茶を飲んでいる。


「朝早くに、ごめんねー!」という声と共に両手に大きな紙袋を持ってやって来た華江さん。



「わざわざ、ありがとう。言ってくれれば取りに行ったのに」

「いいの、いいの。私も久し振りにゆっくりしたかったから」



華江おばさんが言うように、この空間にはゆっくりした時間が流れている。


お父さんは、リビングで新聞を読みながら紅茶のカップを持っている。


何もかも満たされているような…、こんな感覚は――。



「それで、どうだったの?」



と、華江おばさん。



「う~ん、次の検診の時にって」



と、ママの答えにピリっと全身に小さな衝撃が走る。


ぎこちなく振り向く私は、笑顔のママとおばさんの様子が信じられない。



「――ママ、どこか具合…悪い、の?」



震える声色で、どうにか言葉に出来た。


記憶は不確かだけど、あの白い部屋と独特の薬のにおいは今も忘れる事など出来ない。


私にとって、パパとの最後の記憶の場所。



「衣里!検診って、何の話だ?」



さっきまで、リビングで新聞を読んでいたお父さんがすぐ傍まで来て、硬い口調でママに問う。


お父さんも心配げな表情をしている。誰だって“検診”って聞けば、おのずと何らかの病気を想像してしまう。



「いや~ね、二人ともそんな深刻な顔をして」

「もしかして、まだ話してなかったの?内緒だった?」



華江さんが、しまったという顔をしてママを見てる。



「う~ん、確かにまだ話してはいないけど…。内緒という訳でも…」



「ごめんね~」と謝る華江さんに、ママはにっこり笑ってる。


そのほんわかした空気に私もお父さんもイライラして、にじり寄る。



「どこの病院だ?衣里」

「ちゃんと説明して!!」



この緊迫した中で、ママが笑って答えてくれた。


「産婦人科よ」と。










あの後、お父さんはママを連れて、きちんと話を聞きたくて病院へ向かった。


華江おばさんは「仕事に戻るわね」と言って帰って行く。


私はヒロくんの家に行くので、途中までおばさんと一緒に行く事にする。



「何だか、朝から慌しくさせちゃったわね」

「いいえ――」



元はと言えば、ママがちゃんと私達に話してくれていれば良かっただけの話。


出かけ前に、「期待させておいて、ガッカリは嫌でしょう」と言っていたけど、例えそうであっても何も知らないまま過ごす方が悲しいと思う。



「おばさん、あの持ってきた荷物って…」

「ああ、あれね。知り合いから貰ってきたのよ。ベビー服とか哺乳瓶とか」



――!!


気が早いよ!!


って言うか、おばさんが一番舞い上がっているじゃないの…。


ちょっと驚いた顔を見せれば、華江おばさんは本当に嬉しくては仕方ないという笑顔を浮かべる。



「幸せって無くしても、何度でも巡ってくるものなのね」



おばさんの小さな呟きが、胸の奥深くまで差し込んでくる。


それは暖かな光なのか、冷たい影なのか。



「おばさん、私もそう思う…」



光と影は、互いに存在して初めて成り立つもの。


辛く悲しい出来事があるからこそ、楽しい出来事に心踊るのかもしれない。


私も、笑みをこぼした。





ヒロくんの家に着くと、まず窓を開け空気の入れ替え。


かつて私たち母娘が住んでいた部屋は、少しずつヒロくんの部屋になってきている。


実結も夏休みの間は、華江おばさんの美容室でバイトする事になった。


きっと今頃は、華江おばさんも戻って家族3人とスタッフさん達でお仕事頑張ってるのを想像する。


保冷剤でしっかり冷やしたカレーの入ったタッパーは、そのまま冷蔵庫に。


実結はお昼を食べに帰ってくるので、それまで一人課題をして過ごす。



(お昼は、何にしようかな~?)



夏休みの間は、こんな風にゆっくり時間が過ぎていくんだと思うと、自然と頬が緩むのを感じた。






ふと、我にかえると空はすっかり暮れている。


有り得ないほど長い時間寝ていた事に気付き、一人でプチパニック。


慌てて洗濯物を取り込んで、お風呂のお湯を沸かして、持ってきたカレーをお鍋に移して温めて、炊飯器のスイッチを入れてご飯を炊く。


あと、簡単にサラダを作れば――。



「ただいま~~!」

「お帰り、実結!」



う~ん、良いにおい~!と言って実結は抱き付いてくる。さっきまで寝ていたから汗でベトベトなんだけど…。



「奥さん貰ったら、こんな感じなのかな~?」

「……それって、新婚さんって事?」



でも、誰と誰が?


にこにこ機嫌のが良いのか実結は私を放さず、ぎゅうぎゅう抱きしめたまま。



「はぁ~、仕事から帰って、家にこんな可愛い奥さん居たら堪んないよ~」



振り返ると、ほんのり赤い顔をしているヒロくん。



「ヒロくん、お帰り」

「た、ただいま」



どういう訳か、異様にテンションが高い実結は「ねぇ、ねぇ!言ってよ!新妻のお約束セリフ」と言って催促してくる。



「新妻のお約束セリフって“ご飯にする?お風呂にする?それとも――”っていう…」

「そう!それ!!勿論、私は美雨!だからね!!」



……どうしちゃったの?今日の実結。


私を食べようとしても美味しくないし、第一食べれない…。


そう言えば、以前にヒロくんと一緒に私を食べ物に例えて、食べたいとか何とか、そういう事あったよね。



「だって!お昼に帰ったら美雨は転寝してて寝顔は可愛いし、今だって帰ったらエプロン姿は最高だし、これからもずっと一緒だと再確認しちゃうと嬉しくってさ~!」



一度、帰って来たなら起こしてくれればいいのにと思いつつ、何か良い事が実結にあったに違いない。


それは、後からゆっくり話を聞くとして……。



「先にお風呂に入って!カレー温めて準備しておくから」



「やったー!お母さんが言ってた通り、今夜は美雨のカレー!」と言って、実結は脱衣所に向かう。


ヒロくんは、冷蔵庫を開けて麦茶をグラスに注ぎながら「母さんが、自分の分も残しておいてってさ」と言ってくる。



「そう言えば、おばさんは?」

「今日は、飲み会に誘われて帰りは遅くなるから、明日の朝に食べるって」



私は、小さく頷いて了承する。



「大丈夫!たくさん作ってきたから!ヒロくんもいっぱい食べてね!」









実結に続いてヒロくんもお風呂を済ませ、3人一緒にカレーを食べる。



「ねぇ、実結。今日は何か良い事あったの?」



今もにこにこと笑顔の実結。ここまで、機嫌が良過ぎるのもちょっと怖いかも。



「――エヘヘヘ。まぁ、私の事はいいから。それより、美雨こそ良い事あったでしょう!」

「え?」



話は一転して、私の話に変わってしまった。


良い事?……良い事って言えば、勿論――。



「赤ちゃんが、出来たの」








「は?」

「え?」



ヒロくんと実結は同時に、持っていたスプーンが手からテーブルの上にぽとっと落ちる。



「だから、赤ちゃんが――」



二人して聞き返すから、もう一度はっきりと言おうとした途端、笑顔満開だった実結の顔が一瞬にして般若の如く。



「このーーっ、ボケ兄貴がーーっ!!美雨に何をしたーーーっ!!!!」



食事中にも関わらず、立ち上がった実結はヒロくんの胸倉を掴む。勢いに押されてヒロくんは椅子ごと引っくり返る。そんなヒロくんに実結は馬乗りになる。



「俺は、なにも……」

「何も無くて、出来るわけないでしょう!!!!」

「だけど、なにも……」

「私の目を盗んで、何を!!」

「だから、なにも……」

お父さん(・・・・)と約束したでしょう!卒業までは我慢するって!!」



いきなり始まった兄妹喧嘩に、私はただ驚くばかり。



「どうしたの?実結!!!落ち着いて!!!お願い!!!」

「お、お、落ち着くも、何も!!」



あんなに怒っていた実結が、今度は眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな表情に変わって――。



「だって、美雨!赤ちゃんが…!!」

「うん」

「“うん”って、分かってるの?」

「今朝、病院に行って――」

「病院に行ったの?!」

「産まれるのは、たぶん春頃になるのかな~?」

「ど、ど、どうするのっ?学校とかは!!」

「?--学校?普通に通学するけど…」

「だって、お腹だってだんだん大きくなって!!!」

「うん、だろうね。もう、今から楽しみ!」

「“楽しみ”って、嘘でしょう!!」

「え~、弟かな妹かなって思うと嬉しくて仕方ないよ」


自分でも分かる。


顔が緩んで――あ!華江おばさんの事、言えないわ。私も気が早い?



「…………え?…妹か、弟?」

「うん。“お姉ちゃん!”なんて呼ばれたら――」

「…………お“お姉ちゃん”?!」

「きっと、舞い上がってしまうよ~!」

「誰が“お姉ちゃん”?!」

「もちろん、私よ!」

「美雨が“お姉ちゃん”?!」



「そうだよ~」と答えると、実結はそろりとゆっくりとした動きでヒロくんの上から退く。


そして、無言でヒロくんを立ち上がらせ、倒れたままの椅子を元の位置に戻す。



「衣里おばさんに、赤ちゃんが出来たって事?」

「…え?、他に誰が――って、まさか、私だと?」



申し訳なさそうに小さく頷く、実結。


あ!そうだ!と思い出した私は、バッグの中からこの夏から持たされた携帯電話を慌てて取り出すと、着信ランプがチカチカと点滅している。


お父さんからの電話がいくつも並んでいる。


うわっと思いながら、すぐに折り返し電話を掛けた。


ワンコールも鳴らないうちに、お父さんは携帯に出て予想通りの嬉しい知らせを伝えてくれる。



「今、3ヵ月だって」








食後の片づけをしながら、私の講義は続く。



「実結、学校で習ったでしょう!」

「………はい」



私の横に立ち、お皿を拭く実結は力無く返事をする。



「いくら、私だって、赤ちゃんがどこから来るのかちゃんと知ってます!」

「………はい」

「それに、キスだけで赤ちゃんは出来ません!」

「っ!」



ぶっ!!



すぐ後ろで、ヒロくんが冷蔵庫から麦茶を出して飲んでいたのか、ケホケホってむせている。


「大丈夫?」と言って、慌てて布巾を取って拭いてあげる。



「兄貴、キスだけじゃあ、赤ちゃんは出来ないってさ」



実結が目を細め、ヒロくんをじとーっと睨んでいる。



「――っ!!!お、俺、もう一度風呂に入ってくるっ!!!」



ヒロくんの背中に向かって実結が「後で、説教だな」と、呟いた。









結局、その夜は実結のお説教――ではなく、引き続き講義の時間となった。


全く、二人ともちゃんと勉強してないんだから。



「つまり、精子と卵子が一緒になって受精卵になって…」



保健体育の教科書を実結の部屋から持ち出して、得々と語る。


そして、出会えるだろう新たな家族を思い浮かべ、想像する。


幸せは、柔らかな日差しの中で――。










【柔らかな日差し中で】       END  

     

これにて、本編番外編全て完結です。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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