君の部屋へ
『なら、私の家に来ます?』
へ?
スマートフォンのメッセージアプリに表示された文字。
次の土曜日、会ってゆっくり話そうということになっていた。
じゃあどこで、という話の流れでこのメッセージ。
『さすがに家は、迷惑じゃない?』
『大丈夫です。土曜は昼間は私しかいないです』
……
いいのだろうか。
村尾さんのお宅に、そしてたぶん、お部屋にお邪魔するなど。
最初はいつもの、学校の駅前の喫茶のつもりだったのだが、
いつも喫茶店だと、お金がもったいないです――
村尾さんらしい論調だった。
まあ確かに、あそこは高校生の懐に優しい店ではない。
かと言ってファミレスやファーストフード店は知人に会いそうで落ち着かないだろう。
『村尾さんがいいなら』
そう返事するとすぐ
『はい。何もないし散らかってますけど』
何もないはともかく、散らかっているはあり得ない。
もしそれが本当なら、日本の部屋の大半はゴミ部屋になるだろう。
『じゃあ、よろしくお願いします』
こういう流れで、村尾さん宅訪問が決まったのだった。
◇◇◇
自分は村尾さんの家を知らないので、駅で待ち合わせということになった。駅から5分もかからないらしく、迎えに来てくれるというのだ。
初めて降りた駅。
言われた通り改札を出た先の、券売機の前で待っている。日中はあまり乗り降りがない駅なのか、人の姿はまばらだ。
9月初旬だが、ここ数日、暑い日が続いている。半袖シャツ1枚で来たが、それでも汗ばむ陽気だ。
村尾さんがどこから来るのか分からず、控えめにキョロキョロしていると、
「相良くん!」
村尾さんの声だった。
声の方を見る。
「――!」
白のTシャツ。
オレンジ色のショートパンツ。
素足にサンダル履き。
そんな装いの村尾さんが、パタパタと近づいてくる。
今日は暑いし、軽装でくるだろうとは思っていた。
しかし、想像をグンと超えてきた。
目の前まで来て止まる。
「え~と……こんにちは」
とりあえず声を出す。
「はい。こんにちは」
その笑顔は陽の光を受けて、もう視認できないほどの眩しさだ。
「わざわざ来てもらって、ごめんなさい」
笑顔のままそう言って、自分を見上げる。
「え~と、今日はお家、大丈夫?」
一応確認する。
「大丈夫ですよ。……じゃあ、行きましょうか」
村尾さんはそう言って、自分をいざなうように、来た方向へ歩き始めた。
あわてて横に並ぶ。
「今日も暑いですね~」
後ろで手を組んで、やや軽やかに歩く村尾さん。
「ホントに。……村尾さん、涼しそうな格好だね」
そう言うと、意外そうな顔で自分を見る。
「……相良くん、そういうこと言うこと、あるんですね」
あれ。
自分って、そんなイメージだった?
「いや……いつもよりだいぶ薄着だし」
「はい。近いし、部屋着のままでいいかなって」
そう言った村尾さんは、確認するように自身の服装を見下ろした。
そして自分の顔を見る。
目が合うと、すぐ前を向いた。
「……やっぱり、着替えてくればよかった」
独り言のように言う。
「ん? いや、涼しそうでいいと思うけど」
そう言うと、村尾さんは後ろで組んでいた手を前で組み直した。
そして少し小さくなるような姿勢。
「あの……あんまり見ないでください」
どうやら、急に恥ずかしくなったようだ。
「うん。……え~と、わかった」
「……」
「……」
「……急ぎましょう」
出会って早々、やらかしたのかもしれなかった。
◇◇◇
村尾さんのお宅は、確かに駅からすぐだった。
20階以上あるマンションの13階。
玄関まで案内されて、
「ちょっと待っててくださいね」
そう言うと、村尾さんは廊下に上がり、サッと一番手前の部屋に入っていった。中からすぐにトタトタと動き回っている音がする。
待たされながら、玄関ホールから続く廊下、いくつかの扉を何となく見ていると、ドアが開いて村尾さんが出てきた。
なるほど。着替えたようだ。
Tシャツは変わらないが、今度はジーンズ姿。
そしてくるぶしまでの白い靴下。
あの世界でよく見たカーゴパンツ姿を思い出し、こっちの活動的な装いの方が自分も落ち着く。
村尾さんは廊下の途中で止まって、
「お待たせしました。どうぞ」
ややぎこちない笑顔で、そう招く。
「じゃあ、お邪魔します」
そう言って、上がらせてもらった。
そして村尾さんの部屋の前。
「どうぞ。……散らかってますけど」
招かれた村尾さんの部屋は、予想通り全く散らかっていない。むしろ入るのがためらわれるくらい綺麗だ。
「お邪魔します……」
もう一度言ってから、彼女の部屋にゆっくり踏み入った。
なんだろう。
この途方もない場違い感。
この空間の静謐さの前に、まるで自分は異物。
おかしい。
村尾さんとはしばらく一緒に暮らしていたし、同部屋で寝起きしていた時期もあった。
それに比べれば、お宅の私室くらいどうということはないはず――
しかし全く違った。
うまく言えないが、その程度の経験などとても通用する場所ではない、いわゆる格の違いを感じる。
「あの、そこに座っててください。お茶持ってきますね」
出ていこうとする村尾さんに慌てて、家から持ってきたお煎餅の袋を渡す。
「あ。ありがとうございます。……これ、美味しいですよね」
よし。
お金を使わない、がテーマでもあるので、ケーキを買ってくるとかはやめておいたが、この反応、正解だったかもしれない。
村尾さんが言った『そこ』は、お部屋の中央に設置された小さな白いテーブルと、向かい合わせに並べられた座布団……いや正確に言うと、パステルカラーのクッション、そういう場所だった。
……
座っていいの?
自分がここに?
そもそも村尾さんはお茶を取りに出ていってしまい、一人取り残されている。
村尾さんのプライベート空間に、自分ひとり。
飾り気がない室内は彼女らしい落ち着いた佇まい。一方でこれはミスだろうが、ベッドの上に先ほどのオレンジ色のショートパンツがパサリと放置されているのが私室感を倍増している。
これいいの?
身動きすることも、何かを目にすることも、息をすることさえ、村尾さんの許可なしにやってはいけない気がする。
「あれ。何で立ってるんですか?」
村尾さんがお盆にガラスのコップを2つ載せて、戻ってきた。あと、自分が持ってきたお煎餅のお皿。コップには涼しげな、薄い黄緑色のお茶が注がれている。
「あ。いや、どっちが自分の席かなって。ハハ……」
嘘だ。
「フフ……相良くんらしいですね」
そうなの?
とにかく村尾さんに位置決めをしてもらい、何とか、テーブルに向かい合って座るという形ができあがった。
が、テーブルが小ぶりなので、向かい合った村尾さんとの距離がかなり近い。目に映る村尾さんの半袖Tシャツ姿がかつてないほど大きくクリアで、どこに目をやったらいいのか分からない。呼吸の自由も奪われている。持つのかこれ……
しかし座ってすぐ、置かれたコップから慣れた香りが薫ってきた。
「これ、ラベンダーだね。……あとミント?」
「はい。あたりです」
分かってもらえたのが嬉しいのか、そう言ってニッコリ笑った。
いつもの、自分にだけ見せてくれるちょっと無防備な笑顔。
とにかく、じゃあ、と一口飲む。
村尾さんも、コップを静かに口に運んでいる。
ふーっ。
落ち着く。
異世界で慣れた香りと味わいに、ようやく心が落ち着きを取り戻した気がした。
◇◇◇
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