最終話 Re:君が特別になった日
村尾さんと約束してから、最初のバイトの日。
夏休みの初日だった。
夕方、その日の勤務が終わったあと、クラブの事務室に立ち寄って村尾さんの体験コースの申し込みをした。
その際、事務室にいた所長さんに、知り合いなので自分が馬を引かせてほしい、とお願いする。
体験コースの手伝いで馬を引くことは普段からしているので、たぶん大丈夫なはずだ。
すると所長は、ああ、という顔になって
「この人って、前に、一緒に乗りたいって言ってた人?」
「はい。……すいませんでした。あの時はよく知らずに」
最初の頃、村尾さんとの二人乗りを実現させたくて、それを所長に相談していた。
所長は用紙に書かれた日付を確認すると、
「この日、検定の日だね。……じゃあ、相良君、バイト最終日か」
「そうですね」
この先はともかく、ライセンスを取ってバイトはいったん終わりにする予定だ。
夏休みの終わりも近い。
所長は机上のPCでカレンダーを確認しながら、
「分かった。言っておくよ」
インストラクターへのメモだろう、PCに何か入力してそう言った後、
「……で、知り合いなら逆に頼みたいんだけど。夏休みは体験コースは混むので、この人、一番最後のコマにしてもらってもいいかな」
一番最後といっても、確か午後4時からだ。問題ないだろう。
了解して、手続きは終わった。
◇◇◇
学校が夏休みに入り、多めに入れたバイトをこなしながら、日々を過ごした。
そして3週間が経ち、ライセンス検定の日が来た。
朝の乗馬クラブ。
検定は始まった。
試験官となったインストラクターにチェックされながら、課題を進める。
始動、停止。歩行から速足。
手前を替えての右回り、左回り、そして駆け足。
もうどれも自信があったし、リラックスしてこなしていく。
馬も味方だ。まるで自分を合格させようとしているかのように、よく言うことを聞いてくれる。
こういうのを、人馬一体、というのだろうか。
問題なく、検定は終わった。
そして、その後すぐに、合格を告げられた。
心配はしていなかったのだが、異世界の貸し馬屋で始めた騎乗訓練の、その集大成だと思うと、予想外の感動があった。
村尾さんに合格したと、メッセージを送る。
するとすぐに
『おめでとうございます! よかったです!』
と返事が来た。
そして、夕方予定通り行きます、と追信されていた。
時間は過ぎていき、昼下がりから夕刻へ移っていく。
体験コースの手伝いをしていると、着いたという村尾さんからのメッセージが入った。
胸がドキリとした。
ようやく約束を実現できるという高ぶり、ではなかったと思う。
ただ、彼女に会って、その声が聞ける
そういう高鳴りだった。
3週間、彼女の姿を見られなかったのだ。
仕事中の馬場を少し抜けさせてもらって、フロントへ向かう。
フロントに着いて見渡すと、係員の案内でロッカーに私物を入れている人たちがいる。
その中に、村尾さんがいた。
一瞬、声を失う。
周りから見ると、乗馬のため少し気合を入れてきた女子、くらいに見えるだろう。
でも、自分には全然違った。
少し丈の長い、黒の半袖のTシャツ。
オリーブ色のカーゴパンツ。
後ろで縛った髪。
足元が白のスニーカーなのを除けば、見慣れていた異世界の討伐スタイルだ。
村尾さんは自分を見つけると、紅潮した顔で小走りに近付いてきた。
目の前で止まり、自分を見上げる。
「合格、おめでとうございます!」
そして下を向いて、自らの装いを確認しながら
「どうかな。……せっかくだから、買っちゃいました」
少し照れくさそうに笑う。
よく見ると、異世界で着ていたものとはディティールが違う。
当たり前だが、新たに探して揃えたのだろう。
「……うん。よく似合ってると思う」
これ以上の言葉は思いつかなかった。
◇◇◇
今日の体験コースの、最後のコマが始まった。
馬の横に立って、インストラクターの指導を真剣に、頷きながら聞いている村尾さん。自分は補助役として控えている。
やがて、インストラクターが自分に合図する。
騎乗するようだ。
万一の落馬に備えて、自分は反対側に回って控える。
補助されながら、村尾さんはスイッと馬に跨った。
颯爽と。
わ、高い、という村尾さんの声。
しかし動作は機敏で芯が通っており、馬上でのバランスもいい。
インストラクターの、お。いいね、の声が聞こえた。
そしていよいよ出発だ。
村尾さんが、教わった通り、足で馬に発進を伝えた。
馬がゆっくり動き出す。
自分もリードを引いて、ゆっくりと歩き出した。
馬上を振り返ると、村尾さんが緊張した面持ちで手綱を掴んでいる。
自分はリードを持ちながら、馬上の彼女の横に並んだ。
「村尾さん、どう?」
見上げて聞いてみる。
村尾さんは真剣な表情を一瞬スッと和ませて、
「はい。すごく楽しいです!」
そしてまた夢中で手綱を握る。
乗馬を楽しめているようだ。
うん。そうだ。
こういう表情をする人だった。
しばらく忘れていた気がする。
ふと見ると、馬場の端に、所長と厩舎長が並んで何か話していた。
馬場ではあまり見ない二人だが、体験コースの巡回だろうか。
村尾さんの騎乗を眺めているようにも見えた。
このあと、騎乗を終えて、エサやりなどの体験となる。
そして、体験コースの時間は終わった。
◇◇◇
この日のクラブの営業時間が終わり、自分のここでの仕事も終わりが近づいていた。
クラブの厩舎で最後の清掃作業。
3ヵ月続けたバイトもまもなく終わる。
そんなとき、
「相良君」
厩舎のスタッフが声を掛けてきた。
はい、と振り向くと
「この馬を、馬場に連れて来てくれって。厩舎長が」
そう言って、横の馬を指さす。
このクラブで、たぶん一番大きい馬だ。
ん?
何だろう?
「あ。分かりました」
とりあえず馬を出す準備をはじめると、
「バックパッドで来てくれって」
スタッフが言った。
それを聞いて、まさか、と思った。
バックパッド。
自分がずっとこだわってきたもの。
異世界時代から慣れていることもあったが、鞍と違い、2人でも跨ることができる。
軽くて馬への負荷も小さい。
ウエスタンを選んだのも、バックパッドが使えたからだ。
「はい」
そこから先は、何となく意識がぼうっとしていた。
言われるがまま、馬にバックパッドを装着して、馬場へ引いていく。
営業時間が終わって人が消えた馬場には、所長と厩舎長、それからロビーで待っているはずの村尾さんがいた。
厩舎長は村尾さんに、身振りを加えながら何かを説明している。
連れてきた馬を馬場に入れると、所長は自分に、
「最後に、2人で乗っていったらいい」
そう言って、ただしゆっくり歩くだけ、走らせない、速足もダメ、時間は10分間だけ、と何度か念押しした。
自分は、所長、そして厩舎長に、順に頭を下げた。
そして馬のバックパッドに跨る。
厩舎長の補助で、村尾さんが後ろに乗ってきた。
自分のお腹に後ろから腕を回して、背中に抱きついてくる。
馬は大丈夫そうだ。
厩舎長が村尾さんに何か言っている。
抱きついてくる力が、グッと強くなった。
厩舎長が一歩離れる。
所長が何度か頷く。
「行くね」
「…はい」
発進の合図を送ると、馬は誰もいない、夕暮れの馬場を歩み出した。
本当の、約束の時間が始まった。
◇◇◇
馬の背に揺られて、しばらく馬場を進む。
「村尾さん、大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
左の耳に村尾さんの声が入ってくる。
どうやら右の頬を、自分の首の後ろに押し付ける体勢のようだ。
「……一緒に、乗れちゃいましたね」
「そうだね」
馬を歩ませながら話す。
おそらくもう、二度と経験することはできないだろう。
馬場の外周に沿ってゆっくり進む。
誰もいない馬場に、馬の蹄が砂をかむ音だけが響いている。
村尾さんの腕は、自分の体にずっと、固く回されたまま。
彼女の温もりが強く伝わる。
馬場の一番奥まで来たところで、一度馬を止めた。
柵の向こう側は林になっている。
2人で馬上から、夕暮れの林をしばらく見渡した。
ここだけを見れば、どの世界の風景なのか、判別できない。
「相良くん」
村尾さんが後ろから話しかけてきた。
「うん?」
「よかったら、ですけど」
「何?」
「大学、同じところに行きたい」
胸がドキリと鳴った。
高校2年の夏。進路のことはもちろん、考えはじめている。
村尾さんと同じ大学に行けたらと、考えてもいる。
「……そうだね。そうできたらいいな」
後ろにいる村尾さんの姿は見えないが、頷いたのが背中の感触で伝わる。
「……そうしたら、通えるところにお家を探して、一緒に通いたいです」
そうだね、と言おうとして、
ん?
どういうことだ?
それは。
少し考えてから、
「それって……また家を借りるってこと?」
そう言って、後ろを振り返る。
村尾さんはもっと強くしがみつきながら、体を少し横に出す。
目が合った。
「この世界では、シェアハウスっていうみたいですよ?」
村尾さんは、見慣れたはずのいたずらっぽい笑顔で、そう言った。
そうか。
何で分からなかったのだろう。
どこの世界だっていい。
2人で叶えたい未来があるなら、それが一緒にいる理由になる。
夕暮れの馬上。
約束の時間がもうすぐ終わる。
ーENDー
※※※
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続編について、間もなく公開予定です。
そちらもぜひお読みください。




