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第17話 失くしたもの

 

 下校途中に寄ったコーヒーショップ。

 自分と村尾さんは、カウンター席に並んで座っていた。

 

 帰還の前後の記憶を合わせるうち、自分たちはだんだん、言葉が少なくなっていった。

 気が付くといつの間にか、無言の時間が続いていた。

 

 どうしても、考えてしまう。

 自分たちが消えたあとの、あの世界について。

 

 村尾さんは思い出したように、両手でカップを持って、しかし飲まずに紅茶を見つめる。

 そして静かにカップを置く。

 

 「急にいなくなって、みんな、びっくりしてますかね」


 小さく、力のない笑顔を見せた。

 

 「……そうだね」

 

 考えていることは同じだった。

 

 「エミさん心配してるかな」

 

 「……」

 

 あの世界で同じように時間が流れているのなら、自分たちが急に消えて、3日が経ったことになる。

 ギルドに顔を出していない。

 貸し馬屋の厩舎にも行っていない。

 街の誰とも、顔を合わせていない。

 いなくなったことに、もう気付いているだろう。

 

 「……家まで様子を見に来たり、してますかね」

 

 村尾さんはそう言った後、

 

 「私、クッキー焼いてる途中だったから、キッチン片づけてない」

 

 そう言って、また小さく笑顔を見せる。

 確かに誰かが、まるで村尾さんが今までそこにいたようなキッチンの光景を見たら、驚くかもしれない。

 

 「相良くんと買った、石鹸とバーム、まだたくさんあったのに、使えませんでしたね」

 

 「……」

 

 「こんなことなら、この間、エミさんにあげておけばよかった」

 

 「……うん」

 

 そんなことはできたはずもない。

 でもつい、そう考えてしまうのは分かる。

 

 村尾さんは真剣な表情になって、自分を見つめて言った。

 

 「花壇は――どうなっちゃうかな?」

 

 花壇。

 あの世界の季節は冬だった。

 今はまだ、大丈夫かもしれない。

 しかし暖かくなる前に、剪定と追肥をしないといけない。

 雑草や虫の駆除も、いつまでも放っておけない。

 村尾さんが春を楽しみに、丁寧に手入れしていた花壇が、誰からも忘れられて、だんだん荒れていく姿は想像したくなかった。

 

 「どうかな……。なんとか咲くだけは、咲いてくれるといいけど」

 

 そうとしか言えなかった。

 村尾さんは力なく頷く。

 

 あの世界がこの先どうなっていくのか、あの家はこれからどうなってしまうのか、自分たちはそれを見ることも、知ることもできない。

 

 

 村尾さんは俯いたまま、しばらく何も言わなかった。

 その横顔は、全然動かない。

 小さく笑みを浮かべているように見えるが、そう作っているだけなのが分かる。

 

 何か言おうとしたとき、

 

 「……夢じゃなくてよかったって、思ったんです」

 

 村尾さんが、口を開いた。

 今朝のことだ。

 廊下で、自分と話したとき。

 

 「でも……夢だった方が、よかったのかな」

 

 そう言って、村尾さんは紅茶のカップを見つめた。

 

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

 夢だった方が、よかった。

 そう言われて、考える。

 夢であれば、大変だったけど楽しかった、そんな夢を見た、それで済んだのかもしれない。

 何か大きなものを失った寂しさは、なかったかもしれない。

 

 でも。

 

 この二日間、単なる夢であることをあんなに怖れたのは、なぜだったか。

 喪失に気づきながら、本当であって欲しいと願ったのは、どうしてだったか。

 

 そんなの、決まっている。

 

 村尾さんだ。

 この世界では、自分にとって少し特別な存在というだけだった、村尾さん。

 しかしあの世界では、その村尾さんと生き抜いて、街にたどり着いて、日々を過ごした。

 

 その場所と時間が、とても大切だったのは確かだ。

 でもそれは、一緒にいたのが村尾さんだったからだ。

 

 そして今。

 場所と時間は失われたとしても、彼女はこうして、ここにいる。

 

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

 どれくらい、考えていただろうか。

 一瞬だった気もするし、少し時間が開いたかもしれない。

 

 「自分は――」

 

 そう口を開いた。

 村尾さんは、視線をゆっくり、自分に向けた。

 

 「この世界に戻ってきたとき……正直に言うと、全然うれしくなかった」

 

 村尾さんは、少し驚いた表情を見せた。

 自分は外の景色に視線を向けて、続ける。

 

 「今もまだ……あの世界と別れたことが、とても寂しい」

 

 「……はい」

 

 村尾さんは小さく頷く。

 自分は改めて、彼女の目を見る。

 

 「だけど……あれがただの夢だったら、それはもっと寂しい。自分は」

 

 村尾さんは、少し目を見開いた。

 話しているのは、ただの、自分の正直な気持ちだけ。

 

 「本当は……寂しくなったらいつでも、あの世界に連れて行くからって言いたいんだけど……ごめん、できない」

 

 「……」

 

 「だけど――」

 

 もう一度、彼女の目を見た。

 

 「一緒に、あの世界の話をすることなら、いつでもできるから」

 

 村尾さんは、自分を見つめたままだ。

 話しているのは何でもない、自分の気持ちだけ。

 でも、覚えているだろうか。

 この気持ちを教えてくれたのは、あの世界の村尾さんだということを。

 

 「……」

 

 村尾さんの表情に、何かが戻ったように見えた。

 そして視線を前に向けると、何かをゆっくり思い出すような口調で言った。

 

 「……そしてこれからここで、たくさん思い出を作っていけばいい――」

 

 また続けて思い出すように

 

 「――この世界に入りきらないくらいの」

 

 そう続けてから、

 

 「……ですよね?」

 

 自分に視線を戻して言った。

 答えを促すように。

 それを言ったのは、あの世界の自分だった。

 少し控えめに、自分は頷いた。

 

 

 

 それから少し、時間が流れた。

 村尾さんは、カウンター席の前の窓から、外の景色を見ていた。

 何事もなく、行き交う人たち。

 自分たちがいる、この世界の。

 

 村尾さんは、紅茶のカップに視線を落として、口を開いた。

 

 「今はまだ……よく分からないです」

 

 考えをまとめているのか、少し時間が空く。

 やがて顔を上げると

 

 「でも……本当にあったあの世界で、一緒に過ごせたのが相良くんでよかった」

 

 そう言って、笑顔を見せた。

 少し頑張ったような。

 

 急な名指しにびっくりする。

 でも何か言わないと。

 

 「あ。いや……自分は、そんな」

 

 慌てて、パッとしない言葉が出てしまった。

 そして続きもない。

 村尾さんは一瞬、拍子抜けしたような表情になってから

 

 「フフ……」

 

 口に手を当てて笑った。

 

 「うん……相良くんらしいです」

 

 「……そうかな」

 

 「そうです」

 

 少し懐かしい、会話のリズム。

 ただ気持ちが晴れただけであっても、それでもいいと思った。

 でもきっと、乗り越えられるような気がした。

 必要なら、一緒に。

 

 

 やがて、村尾さんは少し考えるような仕草のあと、制服の脇のポケットを探るようにして、何かを取り出した。

 

 「いつでも、一緒に話をしてくれるなら――」

 

 両手で持った白のスマートフォンを、自分の前に出した。

 

 「まず、連絡先の交換、お願いします」

 

 一瞬、目が合う。

 村尾さんはちょっと緊張した表情だ。

 

 「あ。そうだよね」

 

 大事なことだった。

 あわてて自分のスマートフォンを出す。

 村尾さんは自分に少し顔を寄せて、やや小声で言った。

 

 「あの、こういうのは、女子から言うのは変でしたか?」

 

 「いや……どうだろう? でもあの……ごめん」

 

 自分もよく分からなかったので、一応、謝っておいた。

 

 

 

 このあと、自分と村尾さんはコーヒーショップを出て、駅まで歩いた。

 そして改札を抜けた後、また明日を交わして、それぞれのホームへと別れた。

 

 村尾さんとゆっくり話せて、気持ちはかなり晴れやかになった。

 そのはずだった。

 だが、改札を抜けた後。

 また別の、何か大事なものを失くした感覚があることに気付いた。

 

 

 

  ※※※

 

 

 


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