第14話 最後の歌
冬の早朝。
自分は馬の背に跨っている。
朝靄が立ちこめる牧草地に、馬を導き、踏み入れる。
貸し馬屋の厩舎の本馬場だ。
馬場に入るとすぐ、馬が両方の前脚を持ち上げて、嘶いた。
おっと。
落ちないようにバランスを取る。
そしてヨシヨシ、と声を掛けてから、手綱を振って、前進の合図を送った。
すると馬は、白い息を吐きながらゆっくりと、そしてあっという間に、キャンターを始めた。
冷たい風を切って、一体になった自分と馬は牧草地を駆けていく。
高速で流れる景色。
激しい上下動。
自分はリズムを合わせて、足と腰でその振動を柔らかく受け止める。
最初の頃はこの振動についていけず、何度も落馬した。
今でも、不意に振り落とされてしまうことがある。
気は抜けない。
特に今日は。
牧草地が街道に面した場所。
肩ほどの高さの柵がある。
その向こう側に、村尾さんがいるのだ。
馬に乗ってるところ、見たいです――
そう言った彼女が、今朝はこの牧草地まで来ているのだった。
◇◇◇
馬とリズムが馴染み、余裕が出てきたところで、顔を上げて街道の方を見る。
村尾さんを見つけて、手でも振ろうか、としたとき。
おや。
遠くに見えた光景は、緑のロングスカートに茶色の外套姿の村尾さん。白いスカーフが頬までを覆っている。
そして厩舎の先輩が、彼女の目の前に止めた馬の背から、話しかけていた。
両腕を伸ばしている。
柵を越えておいで、と言っているようだ。
そして馬の背の後ろを軽く叩いている。
乗せてあげる、と言っているようだ。
村尾さんは、引き気味に両手を振って、必死に遠慮しているようだ。
……。
こらこら。
仕事中に。
「ごめん。頼む」
馬にそう言って、手綱を引いて村尾さんの場所へ進路を向ける。
言葉は通じた筈はないが、指示は伝わったようで、馬は村尾さんの方へと向かってくれた。
ペースアップの指示をしたいが、止まらなくなると困るので無理はできない。
蹄音に気付いたらしい先輩は振り向いて、自分だと気づくと、村尾さんに手を振って、手綱を動かして離れて行った。
去り際に自分にも軽く手を上げる。
うーむ。
油断も隙も無い。
そう思いながら、自分も手を上げて応えた。
まあ、仕方ないか。
この馬場に女性が来ることは、かなり珍しい。
村尾さんの元に向かいながら、減速の指示をする。
馬は徐々にペースダウンし、村尾さんの前まで来て、ゆっくりと止まってくれた。
普段はこんなに思い通りに止められないので、助かった。
馬が察してくれたのかもしれない。
「相良くん!」
村尾さんは紅潮した顔で、柵の向こうから自分を見上げてきた。
自分は頷いて応える。
「え~と、ごめんね。大丈夫だった?」
村尾さんは苦笑いして、
「はい。ちょっとびっくりしましたけど」
そう言ってから
「相良くん、すごいです! もうちゃんと乗れるんですね」
そう言って、自分をまた見上げる。
瞳を輝かせて。
「いや……まだなかなか、思い通りにいかないんだけど」
「でも、すごくカッコいいですよ」
村尾さんは笑顔で言った。
ちょっと、いやかなり照れくさい。
それに、今は仕事中だ。
「え~とごめん、行くね。……あ、寒かったら、勝手に帰ってていいから」
「はい。行ってください。終わるまでここで待ってますよ」
村尾さんはそう言うと少し屈んで、その場で草を食んでいる馬に顔を近づけて、
「相良くんを、よろしくね」
そう話しかけた。
馬は村尾さんの声に見向きもせず、のんびり草を食み続けていた。
◇◇◇
「私でも、後ろに乗れるんですか?」
厩舎から家へ帰る途中の、畑の小径。
村尾さんが聞いてきた。
先ほど、厩舎の先輩に誘われたからだろう。
「うん、たぶん。前の人にしっかりしがみつけば」
実際にそういう場面はよく見かける。
「乗りたいです!」
村尾さんは握った右手を胸に当てて、自分に少し顔を寄せて言った。
そうなのか。
乗りたいのか。
「二人乗りだと、速く走るのはできないけど」
「はい!」
嬉しそうに頷いた。
「あの……結構、お尻が痛くなるけど」
「……え~と、うん。平気です」
一瞬怯んだが、覚悟したようだ。
「分かった。でも、もう少し待ってね。外を乗れるようになってから」
「はい。……いつごろ、ですか?」
「ごめん、まだ分からない。……けど、もうすぐいけると思う」
今度、場長さんに聞いてみよう。
OKが出たら馬を借りて、この辺りを、村尾さんを乗せて歩いてみようかな。
そんな話をしたら、
「わ。いいですね!」
村尾さんは何だか興奮気味だ。
想像以上に楽しみらしい。
「約束ですよ」
笑顔で、そう念を押された。
……これは、守らないわけにはいかないだろう。
◇◇◇
帰宅して、自分の部屋。
ベッドに体を預けて、休んでいる。
すると階下からかすかに、村尾さんの声が聞こえた。
歌を歌っているようだ。
彼女が歌が好きなのかどうかは、知らない。
ただこれはたぶん、「時計」代わりだ。
おそらくお菓子を作っているのだろう。
ちょっとした時間を測りたいとき、彼女は歌を歌って目安にするのだ。
自分が近づくと恥ずかしがって歌をやめてしまうので、こういうときは一人にしておいてあげるのがいい。
ベッドでしばらく、村尾さんの歌をぼんやり聴く。
気分がいいのか、その歌声はいつもより少し大きい気がする。
自分は知らなかった歌だが、村尾さんがよく口ずさむので、覚えてしまった。
かなりゆっくりした、明るい、しかし少し切ない曲。
グランド、ベンチ、ユニフォームという言葉が出てくるので、何か野球に関係した歌なのだろう。過ぎていく楽しい時間を惜しみ、いずれくる別れを待つ、そういう歌詞だった。
目を閉じて、しばらく聴き入る。
時よ、動かないで――
彼女の声がそう歌うのを聞いたとき、自分は、思ってしまった。
いっそこのまま、時間が止まってしまえばいいのに。
分かっている。
そんなことは自分の我儘だということくらい。
でも、考えるくらいは許してほしい。
一人でこうしているときくらいは。
この時の記憶は、これが最後だった。
◇◇◇
目が覚めると、自分の部屋だった。
眠ってしまっていたようだ。
ゆっくり体を起こして、立ち上がる。
部屋を出て、階下に降りる。
リビングに入ると、台所からいい匂いがした。
母さんが夕飯の支度をしているのだろう。
自分に気づいて
「寝てたの? 疲れは取れた?」
母さんが声をかけてきた。
「うん。ちょっと寝てた」
それだけ言って、ソファに腰かける。
流れているテレビを、ぼんやりと見る。
昨日は、高校のキャンプ合宿だった。
キャンプとは言っても、山麓にある公共の施設に泊まっただけだが。
今日は施設に最寄りの駅で現地解散となり、昼過ぎに、この家に戻っていた。
行く前は面倒にしか感じていなかったのだが、集団で宿泊するのは新鮮だったし、普段あまり話さないクラスメイトとも会話ができて、結構楽しかった。
できれば村尾さんと、挨拶ぐらい交わせたらなと少し期待したのだが、そういう機会はなかった。2年生になってから席は離れて、普段は会話の機会はほとんどなくなっている。それでも合宿中、クラスの女子の輪の中で楽しそうにしている彼女の姿は、何度か見かけた。
まあ、それでよしとしよう。
このあと、帰りが遅い父親は待たずに母さんと夕食をとり、風呂に入って、少し机に向かってからベッドに入った。
布団の中でスマートフォンを使いかけたが、疲れのせいか、ひどく眠かった。
すぐスマートフォンをベッド脇に置いて、いつもよりかなり早く、灯りを消した。
◇◇◇
次の朝、目覚めた瞬間、
ここは、どっちだ?――
咄嗟にそう思った。
跳ね起きるように体を上げて、部屋を見渡す。
参考書が積んである、自分の机。
小説やマンガの単行本が並んだ、本棚。
元の世界の、自分の部屋だ。
それはそうだろう。
昨夜、この部屋で就寝したのだから。
なら。
あの世界の、あの家はどうなっている?
村尾さんは、どうしてる?
すぐ確かめないと。
……。
やがて、そんな方法はないことに、次第に気づく。
頭の中に、2つの文字が浮かんだ。
『帰還』
これが、そうなのか?
どうして?
頭が混乱する。
キャンプ合宿から帰宅まで、記憶は自然に繋がっている。
しかし、途中で別の世界に転移して、村尾さんと二人だけになって――
その記憶もリアルにある。
いや。
本当にそうか?
異世界のことは、自分が昨晩、夢に見ただけのことなのでは?
単にリアルで、長い夢。
そんな筈はないと思う。
確認したい。
誰かと話してみるか。
ときどきメッセージを送り合うクラスメイトが何人かいる。
――しかし、話してみる気にはとてもなれない。
そもそも、何と話せばいいのか。
とにかく、村尾さんに無性に会いたかった。
そして確認したかった。
何がどうなったのか。
しかし自分は、彼女の電話番号も、メッセージIDも知らない。
どこに住んでいるのかも、当然知らない。
今日は日曜日だ。
そして明日の月曜は、合宿の振替で休校。
村尾さんに会えるのは明後日、ということになる。
明後日になれば、分かるのだろうか。
あるいは、分かってしまうのだろうか。
※※※
お読み頂きありがとうございました。
興味を持って頂けましたら、下の☆☆☆☆☆からご評価頂けますと、今後の参考になります。
あわせてブックマーク、感想の方頂けますと非常にうれしいです。




