第10話 雨の次の日に
昨日の雨は上がり、今日は朝から日が差していた。
自分は日課になっている貸し馬の厩舎での騎乗練習を終えて、帰宅している。
山に慣れていない自分と村尾さんは、雨の日は当然だが、雨の翌日も山岳エリアには入らないことにしている。
なので今日も、このあと丸1日お休みだ。
村尾さんと二人で、キッチン部屋の食卓で向かい合って座っている。
食卓の上には、昨日作った将棋セット。
自分が厩舎から帰ってきたとき、食卓には既に駒が綺麗に並べられていた。想像を超えて気に入ってもらえたようだ。
「勝てちゃうかな?と思ったけど、相良くん、やっぱり強いです」
一手違いの敗戦に悔しがる様子もなく、村尾さんは楽しそうにお茶を飲んでいる。
昨日から数えて6~7局やっているが、ここまで自分の全勝。
しかし昨日、ちょっとした実戦のコツを、格言を交えて説明してみせて、そして1晩寝て起きたら、見違えるような強敵になっていた。
次あたり、もう負かされる気がする。
自分はゆっくりお茶を飲んでから、話題を変える。
「今日もだいぶ時間あるけど、どうしようか?」
「そうですね……昨日1日家でしたし、一緒にお散歩とかしたいかも」
よし。
お散歩だ。
「まだ道は悪いけど、街に行くなら、大丈夫と思う」
そう答えた。
この世界の道は、雨にとても弱い。
道は泥んこになるし、街の石畳も、水が浮いて靴の中まで濡れる。
だが今日は雨上がりなので、たぶん街は平気だろう。
「街ですか」
しかし村尾さんは、そう言ってからお茶を一口飲んで、考えている。
思っていたお散歩とは、違うようだ。
確かに、ただ街に行くだけなら、毎日のように行っている。
何か目的があるなら別だろうが。
「じゃあ……」
以前からちょっと思っていたことを言ってみる。
「久しぶりに、宿の食堂に行って食べてくる、とか?」
村尾さんは、ああ、といった表情になる。
「それいいですね。……お料理の参考にもなるし」
宿の食堂は、宿屋時代は毎食お世話になっていた。引っ越しが決まってからは、村尾さんは来たるべき自炊のため、数日間見習い修行のようなこともさせてもらっていた。
「でも……」
村尾さんはそう言ってから
「それなら、家で、何か作ったことない料理を作ってみたい、かな……」
なるほど。そうなるか。
彼女なら。
「村尾さんがいいなら、それでもいいよ」
そして
「必要な材料があれば、街へ行って買い物してくればいいし」
そう続けた。
これなら、ちょっとお出かけもできて、一日の予定としてちょうどいい。
「いいですね! そうしましょう」
そういうことになった。
◇◇◇
作ったことのない料理を作ってみる、までは決まった。
が、具体的に何を作るかだ。
「相良くんは、何か食べたいものはありますか?」
「……」
村尾さんが尋ねてきたので、考える。
食べたいもの。
作ったことがないもので。
……
自然に思い浮かんだものを、言ってみる。
「すき焼き、とか?」
「!――」
言った瞬間、村尾さんの目が大きく見開かれた。
そのまま固まって、ずっと自分を見つめている。
しまった。
自然過ぎた?
そんなもの、できると思います?――
少しは考えて言ってくれませんか?――
村尾さんの見開かれた目が、そう言っているように見えてくる。
冷たいものが背中を通り過ぎてゆく。
「あ、いや、え~と……」
「ちょっと……難しいと思います」
自分の言いかけに重ねるように、村尾さんが普段の目に戻って話す。
「まず、お肉がないです。肉屋さんに生で置いてるのは、鶏肉と……羊と、あとホーンラビットくらい、ですし」
「……そうだよね」
いつもの声色にちょっとホッとしながら、そう返した。
確かに、豚は塩漬け肉しか見ないし、牛肉は見たこともない。
しかし、なぜか羊肉はあるんだよな。
羊肉といえば、元の世界ではたまに「ラムしゃぶ」を家で食べていた。
結構好きだったな。あれ。
「しゃぶしゃぶ、か……」
あ。
また声に出てしまった。
慌てて村尾さんに視線を向けると
「!――」
絶句した様子で、その目がまた大きく見開かれていた。
そのまま固まって、ずっと自分を見つめている。
「あ、いや、これは違って……」
「相良くん――」
自分の言いかけに重ねるように、村尾さんが言った。
「……何で、今まで気付かなかったんでしょう?」
え?
「……え~と、しゃぶしゃぶに?」
「はい」
村尾さんは目を輝かせて、胸の前で両手を軽く握る。
「それなら、できるかも!」
村尾さんによると、こうだった。
まず、肉屋で羊肉を買ってきて、それをできるだけ薄切りにする。
そして、鍋に湯を沸騰させて、それを食卓に下して、通し湯に使う。
タマネギとニンジンを一緒に煮て、野菜ブイヨン風に。
湯はだんだん冷めてしまうとは思うが、また沸かせばいいだろう、と。
確かに、ここまではいけそうだ。
「問題はつけ汁です」
村尾さんは腕を組みながら言った。
「つけ汁は普通だと、ポン酢かごまだれ、だよね」
「……まず、ごまだれは無理そうです。ポン酢ですね」
村尾さんは頷きながら言う。
自分もそう感じる。
「むしろポン酢の方が好きだから、全然いいけど」
そう言った後
「……でも、ポン酢って、何からできてるんだっけ?」
村尾さんは視線を落として少し考えてから
「たぶん、お酢と醤油と……あとゆず? でしょうか」
「……なるほど。できるかな」
村尾さんは、今度は視線を上げて考えてから
「お酢はリンゴ酢があるし、レモンがあるのでゆずの代わりにして……でもお醤油はないですね……」
「……」
ちょっと代用も思いつかない。
「とりあえず、実際に試してみませんか? つけ汁がないと、しゃぶしゃぶは難しいと思いますし」
「そうだね」
そういうわけで、二人で席を立って、サマーキッチンへと移動した。
◇◇◇
サマーキッチンでポン酢の試作が始まった。
村尾さんは、コップに作った試作ポン酢を小さい木皿に少し注ぎ、口元に運ぶと、スッと含んだ。
単にリンゴ酢にレモン汁を入れただけのもの。
すぐに険しい表情で、目を細めた。
「すっぱいです」
そう言って木皿を自分に渡してくる。
飲んでみろ、ということだろう。
ちょっとドキリとするが、気にしている場面ではない。
心を無にしてから、木皿に口をつけてチビリと飲む。
口の中で風味を確認する。
「……すごくすっぱい」
レモンの酸味が加わったお酢、というだけで、ポン酢感は遠い。
しかしまだまだ、これからだろう。
「どう思います?」
う~ん。
元の世界のポン酢を、精一杯思い出してみる。
「もっと、甘かった気がするんだけど」
「ですよね。……甘味だと、お菓子用のハチミツがありますが……」
ハチミツか。
あまり想像できない組み合わせだが、砂糖が流通していないこの世界では、甘味料としてはそれしかない。
「少し、入れてみましょう」
村尾さんはそう言うと、棚に移動して、布で蓋された陶器を取り出した。
止め紐を解いて蓋を外し、スプーンで中のハチミツを掬って、試作ポン酢のコップの中に慎重に垂らす。
コップをかき混ぜたあと、木皿に少し注いだ。
そして、片手で髪を抑えながら、口元に運んだ木皿に口をつけて、スッと含んだ。
「うん?――」
少し目を見開く。
自分に視線を向けて、木皿を渡してきた。
受け取って自分も飲んでみる。
あれ?
意外にも、急激に近づいた気がする。
まろやかで、爽やかな酸味。
「これ、いいんじゃない?」
「ですよね!」
村尾さんの目が輝いてきた。
「もう少し足してもいいかもしれません。あと、塩気が欲しいから、塩を少し、かな」
このあと村尾さんによる幾度かの微調整を経て、ついにポン酢が完成。しゃぶしゃぶ実現に向けて、大きく前進した。
◇◇◇
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