第6話-2 春を待つ庭
◇◇◇
このあと村尾さんは、店主に、こういうことをやりたい、それにはどのくらいの苗が必要かを、一生懸命に説明しては尋ねはじめた。
いつの間にか周囲にいた客も、村尾さんの話に聞き入っているようで、面白そうに、人によっては頷きながらこの様子を見ている。
「そうだな……それなら10苗ずつはあった方がいいな?」
店主はそう言って、周囲の客に同意を求める。
数人が、同じように頷いた。
「10苗ずつ、ですか……」
かなりの分量だ。
苗の根の部分は土の塊で覆われていて、1苗でも一抱え、という感じだ。
村尾さんの表情が曇る。
「明日でよければ、届けてあげるが」
店主の男性が、雰囲気を察して言ってくれた。
村尾さんの顔がパッと明るくなった。
「本当ですか?」
「ああ。どこだい? あまり遠いと無理だが」
村尾さんが自分を振り向く。
借家への行き方は、慣れてないとちょっと難しいので、説明となるともっと難しい。
「……え~と――」
どう説明したものか考えていると、
「君たち、最近、『西の林』に引っ越した若夫婦さんだよね?」
突然、横から声を掛けられた。
話を聞いていた客の1人だ。
西の林というのは知らないが、風景的に、今の借家のことを指していそうだ。
後半のセンセーショナルなワードはもちろん正しくないが、最近引っ越したことも含めるとたぶん、自分と村尾さんのことで正しいだろう。
ここで、いえ夫婦ではなくてですね、とか言い出すと、今度は関係性や同居の理由などに話が飛び火しそうだ。苗屋の前で。
……。
うん、もういいや。
この際これに乗っかろう。
「え~と、はい」
そう言っておく。
後ろから、村尾さんの、え?という声が聞こえたような気もするが、それも気のせいということにしておこう。
その客は自分に代わって、露店の店主に、我が家の場所について説明してくれた。というか、場所ではなく、知らない人の近況を説明している。
聞いていた店主はやがて、
「ああ。あの林向こうの家か」
そう言って自分たちを見つめた。
場所は知っているようだ。
「そうか。……もう畑をやめて売ったと聞いていたから、どうなったかと気になってたんだけど。あんたたちが住んでるのか」
そして明日届けるよと言った後、穏やかな顔で続けた。
「あんたたちなら、きっと家も喜んでいるよ」
このあと自分と村尾さんは、何人かの街の人たちに見守られるように売買を済ませると、店主の男性と、街の人たちにお礼を言いながら、苗の露店を後にした。
これで自分と村尾さんの、思いのほか長かった今日の街歩きは終わった。
◇◇◇
すっかり夕暮れの風景になった、畑の小径。
村尾さんと並んで、家へと歩いていた。
色んなことがあったので、歩きながら、話題が尽きなかった。
やがて、林を抜けて、家の敷地に入った。
家の入り口までの小径を進むと右手に、背の低い木の柵がある。
この裏側が、さっき話していた花壇の場所だ。
二人とも、足を止めて、その地面を眺める。
今日買った苗なら、余裕をもって植えられそうな広さだ。
「花が咲くのは、5月頃って言ってましたね」
「そうだね。8ヵ月後だ」
8ヵ月後。
長いとも思えるし、もうすぐ、という思いもある。
「がんばって、育ててみます」
村尾さんが、夕日でオレンジ色の光に染まった地面を眺めながら言う。
「初めてだから、うまくいかないかもしれないけど」
少し心配そうな表情に変わる。
「自分もがんばってみるよ。教えてくれる人も探してみる」
それを聞いた村尾さんは、自分に顔を向けて、
「始めは少し、お願いするかも。……でも相良くんはその分、乗馬の練習、がんばってください」
そう言って、笑顔を見せた。
花壇については、自分の手で育てるという気持ちが強いようだ。
村尾さんは、花壇を整え、暮らしを整える。
そして自分は、いずれ来る旅立ちの準備を。
村尾さんは気付いているだろうか。
半年はかかるという騎乗訓練。
でも半年だというなら、そのときこの花壇にまだ花は咲いていないだろう。
そのとき自分は彼女に、ここを離れて旅に出ようと言うのだろうか。
それとも、まだしばらくこうしていようと、そう言うのだろうか。
「花が咲いたらこの庭も家も、すごく賑やかになると思うんです」
村尾さんが、目線をあげて家を見上げる。
「そうだね」
花壇の場所に視線を戻すと、
「……すごく楽しみです」
そう言って、春の庭を想像しているのだろう、しばらく夕日に染まった花壇の場所を見つめていた。
しばらくそうしてから、
「そろそろ、家に入ろうか」
「……そうですね」
そう言って、家の勝手口へと向かう。
二人で水桶で手を洗いながら
「やっと帰ってきましたね」
「うん」
今はそんなやりとりも、貴重なものに思える。
◇◇◇
夕方から夜を過ごし、そしていよいよ、お風呂の時間になった。
もちろん、元の世界のような浴槽もシャワーもないが。
この家は、1階の奥に、来客用と思われる寝室が2つある。
自分たちは一応、1つは来客用として空けておき、もう一つを、体を洗うための部屋、つまり浴室として使っている。
その部屋が水場に一番近いという理由だ。
村尾さんがどうしてもというので、今日は自分が先に使わせてもらった。白石鹸とハーブ石鹸の使用感はすばらしかったが、自分の使用感など、今は重要なことではない。
「では、私も行ってきます」
少し気合が乗っている村尾さん。
「うん。ゆっくりね」
着替えを手に、浴室へ向かっていった。
少なくとも今日は、石鹸もバームも、思い切って使ってみるように話してある。特にバームは、2個オマケされているので計算より多く手に入れており、しかもうち1個は、村尾さんの日々の地道なケアがもたらしたものなのだ。
どれくらい時間が経っただろうか。
食卓に座って、今日街で起こった色々なことを思い出しているうち、
ガタッ
奥の浴室から扉が開く音が聞こえて、フッと現実に戻る。
やがて村尾さんがキッチン部屋へ現れた。
食卓に座っている自分にゆっくり近づき、止まる。
いつもの、白いリネンの、ダボッと足元までを覆うナイトワンピース。
今日磨いたばかりの床が、彼女の素足を涼しげに受け止めている。
すでにその体全体から、ラベンダーの微香をさらにマイルドに包んだ香りが漂ってくる。白石鹸のオリーブ成分だろうか。
立ち上がって、少し近づいてみる。
その髪から、一転して爽やかなミントとローズマリーが匂い立つ。それでいて優しいのは、欠かさないラベンダー湯の仕上げのせいだろう。
そして目の前に立ってみた。
自分を見上げるその顔から、柔らかで、甘やかな香りが薫ってくる。これはハニーバームのそれに間違いない。愛用のローズウォーターは変わらぬ気品を添えている。
「相良くん――」
村尾さんは、自分の前に呆然と立ちすくんでいる。
「え~と、どうだった?」
パッとしない自分の言葉が聞こえていたか、なかったか。
村尾さんは、その若草混じりの淡い瞳を漂わせながら、うわ言のように、
「このまま……溶けてなくなりそうです……」
……。
うん。
とにかくよかった。
本当に。
だから今日は、このまますぐにおやすみにしよう。
溶けてなくなったら困るし。
明日は、バラとラベンダーの苗が届くはずだ。
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