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【8】外敵(?)襲来編:嫉妬と正体の狭間で

 深夜。聖王国ルミナリスの地下資料室では、もはや「祈り」とは程遠い、禍々しいまでの熱気が渦巻いていた。

 鏡の向こうでは、リリアが「お腹いっぱいですー」と無防備に丸太の上でうたた寝をしており、その横でゼノスが自分の上着をそっと彼女に掛けてやっている。


「……甘い。甘すぎるわ! あんなの、ただの保護者じゃないの!」


 カレンが机を叩き、資料室に激震が走った。


「そうよ! あんな超絶イケメンのゼノス様が隣にいて、なんで手も握らないのよ! リリアの恋愛偏差値が低すぎるのが原因だけど、ゼノス様も紳士すぎよ!」


 ミナが鼻息を荒くして鏡に詰め寄る。女子たちの忍耐は、今夜ついに限界を迎えた。

 カレンは禁じられた術式を鏡に刻み込み、無理やり双方向の「最大音声通信」を起動させた。


「ちょっと! そこにいる元・近衛騎士団長、現・正社員のゼノス様! 聞こえてるわね!?」


 魔の森の静寂の中に、女子たちの怒号が響き渡った。

 跳ね起きたのは、眠っていたリリアではなく、周囲を警戒していたゼノスだった。彼は驚愕の表情で鏡を凝視する。


「な、何だ……!? 鏡から、女たちの呪詛じゅそのような声が……」


「失礼ね! いいから聞きなさい、ゼノス様! リリアは待ってるのよ! あんたがいつ、男らしくガバッと襲ってくれるのかを!」


「お、襲……!? 何を不謹慎なことを! 俺は彼女を聖女として、一人の女性として大切に——」


「大切にする方向性が間違ってるのよ! あのね、あの子はドジなの! 自分から進展させる能力なんてゼロなのよ! あんたが強引に抱きしめるとか、耳元で愛を囁くとかしないと、一生お芋を焼いて終わるわよ!?」


 ゼノスは顔を耳まで真っ赤にし、鏡に向かって絶句した。

 一国を揺るがす軍略を練る脳細胞が、女子たちの赤裸々な恋愛指導によってパニックに陥っている。


「そ、そんなことは、彼女の気持ちを尊重して……」


「気持ちなんて、あんなに顔を赤くして懐いてる時点でバレバレでしょ! いい? 次にリリアが転んだら、ただ抱き起こすんじゃなくて、そのまま自分の膝の上に乗せなさい! そして逃げられないように抱きしめるの! わかった!?」


「……っ、わ、わかった。……努力、してみる」


 伝説の騎士が、教会の女子たちに屈した瞬間だった。

 その頃、リリアは「むにゃ……管理人さん、お芋のおかわり……」と寝言を言いながら、幸せそうにゼノスの膝に頭を預けていた。

 ゼノスは震える手でその頭を撫でながら、「……襲う、とは具体的にどの程度の力加減なんだ……」と、かつてない深刻な顔で悩み始めるのだった。


 魔の森に、吸い込まれるような深い群青色の夜が訪れていた。

 リリアの浄化によって淀みの消えた大気は、星々の光を地上へと届け、森の木々は淡い白銀の輝きを放っている。かつての「死の地」は、今や神話の楽園のような静謐さに包まれていた。


 そんな中、ゼノスは一人、焚き火の爆ぜる音を聞きながら、昨夜の教会女子たちによる「総攻撃(恋愛指導)」を思い出していた。


(……強引に抱きしめろ、か。そんな真似、この無垢な少女にできるはずがないだろう)


 自嘲気味に息を吐く。だが、隣で幸せそうに「光るお芋」を頬張るリリアの横顔を見るたびに、胸の奥が焼けるように熱くなるのも事実だった。


「ゼノスさーん! 見てください、このお芋、今日一番の輝きです! 一生懸命焼いた甲斐がありました!」


 リリアが満面の笑みで、ホクホクのお芋を差し出してくる。その無防備な仕草、信頼を疑わない瞳。彼女にとってゼノスは「頼りになる正社員の管理人さん」でしかない。その境界線を越えるのは、騎士としての理性が許さなかった。


「……リリア。お前は、本当に……」


「えっ? なんですか? あ、もしかして口の横にお芋がついてますか? わわっ!」


 慌てて顔を拭おうとしたリリアは、案の定、自分の膝に引っかかって前方へと倒れ込んだ。

 いつものように、ゼノスがその体を受け止める。だが、今夜の彼は、いつもと違った。


 抱き起こそうとした腕に、無意識に力がこもる。

 リリアの桃色の髪から漂う、甘い花の香りが鼻腔をくすぐり、彼女の小さな体温が胸板を通してダイレクトに伝わってきた。


「きゃっ……。あ、ありがとうございます、ゼノスさん。えへへ、また助けてもらっちゃいました」


 リリアが照れくさそうに笑い、彼の胸に手を添えて離れようとする。

 しかし、ゼノスの腕はその細い腰を離さなかった。それどころか、逃がさないようにさらに強く引き寄せ、彼女を自分の膝の上に固定した。


「え、あの……ゼノスさん? ちょっと、近すぎませんか……?」


「……お前、いい加減にしろ。……俺がどれだけ、お前を自分だけのものにしたいと、必死に抑えていると思っているんだ」


 ゼノスの声は、かつてないほど低く、地を這うような熱を帯びていた。

 驚きで目を見開くリリア。その至近距離に、月光に照らされたゼノスの、苦悩と独占欲に満ちた瞳があった。


「お前はドジで、危なっかしくて、放っておけばどこかへ消えてしまいそうで……。だから、もう誰にも渡したくない。管理人としてではなく、一人の男として、お前を離したくないんだ」


「ゼノス、さん……」


 リリアの頬が、これまでにないほど赤く染まる。ドジで回らなくなっていた思考が、彼の真っ直ぐな言葉に射抜かれ、ようやく「恋」という名前の熱に気づき始めていた。

 ゼノスは彼女の髪に顔を埋め、深く、深く、その存在を刻み込むように抱きしめた。


 その頃、教会の資料室では——。


「ギャァァァァァァーーー!! やったわ! ついにゼノス様が野生の獣になったわよ!!」

「見た!? あの腰の抱き寄せ方! あんなのもう『俺の女だ』って宣言してるようなもんじゃない!」

「リリア、固まってないで抱き返しなさい! 今が最大のチャンスよぉぉ!!」


 鏡の向こうで、女子たちが互いの肩を掴んで激しく揺さぶり合い、感涙に咽んでいる。

 

 魔の森の中、虹色の星空の下で。

 一人の不器用な騎士と、一人のドジな聖女の関係は、今、後戻りできない場所へと踏み出したのだった。


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