【6】恋愛特訓編:鏡越しのリモート指導
「管理人さん、大変です! 大変なものを見つけてしまいました!」
リリアは朝から大慌てで小屋に駆け込んできた。
あまりの勢いに、入り口の段差で綺麗に足を取られ、床をダイナミックに滑走してゼノスの足元に激突する。
「……リリア、落ち着け。今度は何だ。巨大な魔獣か? それともまた何かを粉砕したのか?」
ゼノスは手慣れた様子でリリアの襟首を掴み、ひょいと立たせた。
リリアは目を回しながらも、一生懸命に指をさす。
「ち、違います! 小屋の裏にあるドロドロの紫色の沼が、急にブクブクし始めたんです! 爆発しちゃうかもしれません!」
「何だと……。あそこは千年の間、生物を拒む『死の毒沼』だったはず。……もしや、お前がさっき洗濯物を干しに行った時に——」
「はい! 転んだ時に、洗濯物と一緒に聖水のバケツを三つほどぶちまけました!」
ゼノスは即座に外へ飛び出した。
しかし、そこで彼を待っていたのは、禍々しい毒沼ではなく、白く透き通った湯気が立ち上る、エメラルドグリーンの美しい天然露天風呂だった。
「……毒が、完全に消えている。いや、これはただの水ではない。魔力が極限まで高められた、究極の癒やし湯だ」
「わあ、温かいですよ、管理人さん! これならお洗濯も楽ですし、二人でお風呂に入れますね!」
リリアは無邪気に服の袖をまくり上げ、お湯をかき混ぜようとして——再び滑った。
「わわわっ!?」
バシャーン! という派手な音とともに、リリアがお湯の中にダイブする。
図らずも、湯気に包まれたリリアが濡れた格好で顔を出し、ゼノスを誘うような形になった。
「管理人さんも、一生懸命お掃除して疲れましたよね? 一緒にどうですか?」
「…………っ!!」
ゼノスは顔を真っ赤にし、即座に後ろを向いた。
理性が、聖力による浄化よりも早く焼き切れそうになっていた。
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! 混浴!? リリア、あんた確信犯!? 天才なの!?」
「見て! ゼノス様のあの耳まで赤い横顔! 今すぐ飛び込みたいのを必死で耐えてるわ!」
「リリア! そのまま『背中を流しましょうか?』って言いなさい! それが聖女の慈愛よぉぉ!!」
女子たちの叫び声で、資料室の鏡がビリビリと震えていた。
「……リリア。少し、話をしよう」
お風呂事件(第19話)以来、ゼノスはかつてないほどの危機感を抱いていた。
このままでは、リリアの無自覚な攻撃によって自分の心臓が止まるか、理性が焼き切れて彼女を襲ってしまう。
彼はリリアを小屋の裏にある巨木の下へと呼び出した。
「はい! 管理人さん、改まってどうしたんですか? また何かお掃除の修行ですか?」
「掃除ではない。……お前というやつは、自分がどれだけ無防備か分かっているのか」
ゼノスは一歩、また一歩と詰め寄る。
逃がさないようにリリアの背後の木に手を突き、いわゆる『木ドン』の体勢を取った。
至近距離で見つめる、蒼く深い瞳。リリアの桃色の髪が、彼の吐息に揺れる。
「あ、あの……管理人さん? お顔が近いです……」
「近いのはお前のせいだ。俺はもう、管理人という役割だけで自分を抑え込むのは限界なんだ。いいか、リリア。俺は一人の男として、お前を——」
ゼノスの声が低く、甘く響く。
彼が覚悟を決め、その顔をさらに近づけた、その時だった。
「わわわっ、管理人さんの目が、なんだか肉食獣みたいで怖いです……あっ!」
緊張のあまり、リリアの足元がいつものようにつれ合った。
バランスを崩した彼女は、踏ん張ろうとして勢いよく頭を突き出した。
ドッゴォォォォォン!!
全力の頭突きが、ゼノスの突き出した腕ではなく、背後の巨木の幹を直撃した。
リリアの焦りからくる膨大な聖力が木に注入され、千年もの間魔の森を見守ってきた巨木が、景気よく真っ二つにへし折れた。
「ひゃあああ! 木がー! 木が折れちゃいましたー!」
「…………理性が砕ける前に、物理的に木が砕けるとはな」
折れた巨木の破片を頭から被り、ゼノスは虚空を見つめて立ち尽くした。
甘いムードは、聖力の爆風とともに彼方へ吹き飛んでいた。
その頃、教会の資料室では——。
「リリアァァァァァ!! あんた、何してんのよぉぉ!!」
「そこはキスされる流れでしょ!? なんで物理的に木をなぎ倒してんのよ! 怪力聖女なの!?」
「でも見て……ゼノス様の、あの魂が抜けたような顔……。不憫すぎて、もう私たちが代わってあげたいわ……」
女子たちの叫びが虚しく響く中、リリアは「一生懸命、木を直しますね!」と、折れた幹に必死に絆創膏(聖力入り)を貼ろうとするのだった。
「わあ、綺麗な方! 管理人さん、見てください、迷子さんですよ!」
リリアが嬉しそうに駆け寄った先には、銀髪をなびかせた中性的な美青年が、力なく草むらに座り込んでいた。
……と言っても、その頭には立派な角があり、背中には蝙蝠のような羽がある。
「リリア、下がれ! それは迷子ではない。魔王軍の幹部クラス、上位魔族だぞ!」
ゼノスが咄嗟に剣の柄に手をかける。しかし、リリアは全く動じない。
「でも、管理人さん。この方、なんだかお腹を壊しているみたいですよ? よしよし、今一生懸命に治してあげますからね!」
「待て、やめろ! 魔族に聖力を注いだら、それは治療ではなく消滅——」
時すでに遅し。リリアは青年の背中の羽を「汚れ」だと思って、聖力たっぷりの手でゴシゴシと撫で始めた。
ドォォォォォォン!!
「ぐあぁぁぁ……っ!? な、何だ、この清らかな暴力は……! だが、悪くない……いや、むしろ心地よい……?」
リリアの無垢な聖力によって毒気を抜かれた魔族の青年は、一瞬にしてリリアの足元に跪き、彼女の手を取って口づけをしようとした。
「お救いいただき、感謝します。麗しき聖女よ。私は貴女の僕として——」
「……おい。その手を離せ。死にたいのか」
瞬間、森の気温が氷点下まで下がった。
ゼノスが、かつてないほど冷徹で恐ろしい表情(しかし、どこか子供っぽい嫉妬が滲み出ている)で魔族の青年の腕を掴み、リリアから引き剥がした。
「管理人さん……? お顔がすっごく怖いです。お腹が空いてるんですか?」
「腹など空いていない! いいかリリア、この男をこれ以上近づけるな。不潔だ」
「不潔……? じゃあ、今からお風呂に入ってもらって、一生懸命ゴシゴシ磨かないといけませんね!」
「それだけは絶対に許可しない!!」
その頃、教会の資料室では——。
「ギャァァァァァァ! ゼノス様が初めて『男』の顔で嫉妬したわよ!」
「『その手を離せ』だって! ひゃああ! 今の台詞、百回リピートして!」
「でもリリアの返答が『お風呂でゴシゴシ』なのが絶望的だわ……。ゼノス様、ライバル出現でついに本気になっちゃうわね!」
女子たちは鏡に爪を立てながら、急展開する三角関係(?)に狂喜乱舞するのだった。




